正しい食事を考える会

食が乱れている中どういう食事が正しいのかをみんなで考え、それを実践する方法を考える会にしたいと思います。

「何故勉強するのか」ー生きる力をつけるためーその一例を津波から多くの小中学生が生きた「釜石の奇跡」に

2013-07-06 | 食事教育

今日2013.7.6(土)朝6時前、ラジオから音楽が流れて7時に文化講演会の放送が始まった。

内容は釜石小学校の小学生の津波にどう対応したかと言うことでした。

私のメモに

「コピーを考える

想定外を生き抜く力

釜石小 

避難勧告が出たら逃げてください、これでは自分で逃げる判断ができていない

主体的な判断ができるのか

生きぬく力を与えること

受け身の力ではだめだ」

と書いた。

「コピーを考える」とどういう関係があるのか・・・・今後正しい食事のコピーを考えて効果的なブログに書きたいと思っているのです。

自分の主張をコピー的に行うです、100の主張を1にまとめて・・・・それは今後考えることとしてとして

私は、「何故勉強するのか」と言うテーマに取り組んでいます。そして出した答えが「生きる力をつけるということです。

講演を聞いていて、これが勉強すると言うことだ、それによって生きる力をつけた実話の話だと言うことを感じたのです。

そこでインターネット検索しましたら、

1. 想定外を生き抜く力 - 消防科学総合センター

およそ2万人に上る死者・行方不明者を出した東日本大震災。犠牲者の死因のおよそ9割が津波による溺死だと言われている。津波の破壊力のすさまじさを前に、人はあまりにも無力であった。そのためか、今回の津波を「想定外」とする傾向が見受けられる。

2.   想定外を生き抜く力-片田敏孝氏 「東日本大震災を考える」教育講演会(2)

10月31日、京都府向日市立西ノ岡中学校で「東日本大震災を考える」をテーマに教育講演会が開催されました。(同校は2010年にパスナビで連載した「風を起こす学校」の学校です。

3.   想定外」を生き抜く力 - | 日経ブック&ビデオクラブ

命を守った子どもたち□津波防災を取り組みはじめたきっかけ□津波災害の歴史□“逃げない”現状□避難の実態調査□“風化”の本当の意味□釜石での取り組み□子どもたちへの教育□想定とは何か□巨大防波堤のジレンマ□ハザードマップの内と外□災害 ...

4.   小中学生の生存率99.8%は奇跡じゃない 「想定外」を生き抜く力 WEDGE ...

2011/04/22 - 岩手県釜石市内の小中学生ほぼ全員が、このたびの震災で津波の難を逃れた。彼らは、いかにして防災意識と対応力を身につけたのだろうか。

5.   理科教育ルネッサンス|第21回会合 「想定外を生き抜く力―命を守る ...

第21回理科教育ルネッサンスは、9月12日、群馬大学の津波避難をはじめとする防災研究で著名な片田敏孝教授をお招きした。 片田教授は専門の災害社会工学研究という立場から、長年、釜石市の教育委員会と連携して「津波災害から、いかに子ども達を ...」

今日聞いた講演会と同じことが書いてあります。

この中からよさそうなのを選んでコピペします。

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東日本大震災の津波から多くの小中学生が生き延びた「釜石の奇跡」の立役者である群馬大学の片田敏孝教授と、片田教授と一緒に防災教育を推進してきた前・釜石市の消防防災課長末永正志氏が、中学生・保護者・地域の住民の方々に向けて熱く語りました。今回は特別にこの講演会の模様をパスナビ読者にお届けします。

講演Ⅱ 「想定外を生き抜く力 
~大津波から生き抜いた釜石市の児童・生徒の主体的行動に学ぶ~」

 

群馬大学大学院教授 広域首都圏防災研究センター長 片田敏孝氏

■ 津波警報があっても、住民は逃げなかった


津波は定期的に起こる現象です。そしてその都度、日本の沿岸部を襲います。津波だけではありません。日本は災害大国です。地球温暖化の影響でこれから豪雨や台風による洪水・土砂災害が増えてきます。台風はどんどん大きくなり、川は氾濫します。
日本は災害大国であり、防災大国でもあります。日本の技術で自然災害を押さえる取り組みをこれまでやってきましたので、防御レベルはかなりのものになっています。そのため、自然災害に向かい合う姿勢はなくても堤防が守ってくれる、大丈夫、と思っている人が多いようです。

大きな揺れが数分間にわたって起こる地震は、海溝型の地震です1分間以上の地震は、必ず津波が来ると思ったほうがよいです。津波は単なる大きい波というイメージがあるかもしれませんが、違います。海の水位が突然上がって、怒濤のように陸地に流れ込んできます。海からの大洪水というイメージです 。


3月11日の東日本大震災よりも前は、釜石市をはじめ、三陸沿岸では津波警報があってもほとんどの人が逃げていませんでした。津波警報が外れることが多いので「またか…」と思う人が多かったのだろうと思います。
「もし本当に大きな津波が来たら多くの方々が亡くなってしまうのでは…」と、末永先生と大きな危機感を抱いていました。市の公民館や文化会館で防災講演はやっていましたが、毎回来る人は同じでした。来てくれる人はもともと防災意識が高い方々です。広く市民の方に知っていただくことはできませんでした
津波警報が出ても避難しない人たちに、どうやって避難する姿勢をもっていただくか、この大切さをわかってもらうことが非常に難しかったです。

学校の中でずっと防災教育をすれば、10年経って彼らが大人になったときには、津波警報がでたら避難することが当たり前のように思う住民でいてくれるのではないか。そう思って、8年にわたって釜石市の小中学生と津波に関する勉強を一緒にしてきました


■ 本当に「想定外」だったのか?

「今回の地震は、想定外だったから仕方が無かった」と言葉で片づけるのは楽ですが、それでは事の本質がわからないまま終わってしまいます。では、想定外と言うならば、想定とは何かを考えてみましょう。

今回の津波自体は、ひとつの自然現象です。「あり得る」のです。自然の営みとして考えるなら、想定しようと思えばできます。すなわち、想定の内です。

しかし、防災で守ろうとするときには、無尽蔵に大きな災害に対しすべてを想定していたらきりがありません。
「防御の目標」として想定することが必要となり、ある程度の想定内で防災をすることになります。
防御に目標があって、それを超えるものが必ずあることを頭に入れておかなければなりません


■ 世界一の防波堤が決壊

明治29年、釜石市の東方沖を震源として東北太平洋沿岸を襲った『明治三陸大津波』では死者約2万2000人に上りました。釜石市は当時の人口6,500人のうち4,000人亡くなりました。同じく釜石市の東方沖を震源とした昭和8年の『昭和三陸大津波』でも多くの死者を出し、昭和35年にはチリ地震津波にも襲われました。

釜石市では、これまでの過去の津波を防御の目標として、平成20年に海底63メートル、水面上6メートルの防波堤を完成させました。ギネスブックに認定された「世界一」の堤防でした。住民は、これでやっと安心して生活できるようになったと思い込んでしまいました。しかし、今回の津波で堤防はズタズタに破壊されました。逃げられずに亡くなった人はたくさんいます。

どこの地域にどのくらいの深さまで津波が来るのかという情報が書かれている「ハザードマップ」を、釜石市は住民に配っていました。釜石市の津波浸水想定エリアは、堤防ができたおかげで過去の津波浸水範囲と比べて狭くなっていました。皆さんがもしマップを受け取ったら、まず自分の家を探すでしょう。そして、浸水想定境界線に入っていなければ安心するでしょう。今回の津波では、ハザードマップの浸水想定外に住む人たちがたくさん亡くなりました。

住民の中には、「『明治三陸大津波』も『昭和三陸大津波』も、うちには津波が来なかったから大丈夫」「立派な堤防ができたから、うちは大丈夫」「市役所が出したハザードマップによれば浸水しないから大丈夫」と言っていました。これは正しいでしょうか? 相手は自然なのですから、どんなことでもあり得ます。懸命に命を守り抜く姿勢をもちながら生きなければならないのです。

日本は特殊な国です。町を歩いていて命の危機を感じません。海外では、犯罪、ピストルがある危険な国はたくさんあります。 たとえば南米のグアテマラという国は、人口よりも多いピストルが出回っています。皆、自分の身を守ることに必死です。日本は「自分の命を守る」ことに対する敏感さを無くし、自分の身を守ることに対してすごく受け身になっていると感じます。

■ 「避難3原則」


釜石市には中学生999人 小学生1,927人の約3,000人の小中学生がいます。 津波が来たときに登校していた子どもたちは、全員の無事が確認されました。ただし、登校していなかった子どもたちのうち、5名が津波の犠牲となりました。メディアから「釜石の奇跡」と呼ばれましたが、1名の犠牲者も出したくありませんでした。決して奇跡ではなく、褒められるものではないと思っています。しかしその一方で、自分の命を守り抜いた小中学生に対しては、心から褒めてあげたいと思っています。

私は8年間、釜石市の子どもたちに津波から生き延びられるための防災教育をしてきました。「避難3原則」に集約してポイントをお話します。


1.【想定にとらわれるな】

私は子どもたちに「ハザードマップを信じるな」と言ってきました。ハザードマップすら無いと、どこにどんな津波が来るかのイメージすらできないのでマップは必要です。ですが、これはあくまで明治三陸地震が来た場合を想定したマップです。マップをうのみにしてはいけません。ハザードマップの浸水想定外のエリアにある学校でも、もっと大きい津波がきたらそこも危ないのです。

君たち自身が判断しなければならない。
どんなことも起こりえるのだったら、君がやるべきことは何なのか考えようと言ってきました。


2.【最善を尽くせ】
「ここまで来ればもう大丈夫だろう」ではなく、そのときできる最善の対応行動をとること。
大きい津波が来ようが小さい津波が来ようが、子どもたちには最善を尽くせと言ってきました
なぜなら、そのとき来る津波がどのようなものなのか、わからないからです。
3月11日は、雪の降る釜石市では震度5強くらいの地震が5分以上続きました。釜石中学校の教頭先生はハンドマイクを持って避難の指示をしようとしたら、生徒は揺れている最中からすでに避難所に向かって走り出していました。
ある先生が「逃げろ」と叫ぶと、まずはサッカー部の生徒が逃げ出しました。ほかの生徒も後に続きました。「津波が来るぞ!逃げるぞ!」と鵜住居(うのすまい)小学校に向かって声をかけながら走りました。
鵜住居小学校はつい最近耐震補強が終わったばかりでした。はじめ小学生たちは3階に上がっていました。しかし、 普段から中学校・小学校合同で避難訓練をしていたこともあり、小学生にとっては顔見知りだったお姉ちゃんお兄ちゃんが一生懸命走ってくるものだから、それをみた小学生は中学生の後について走りました。

 


地域のおじいちゃん、おばあちゃんも小中学生に後についていきました。鵜住居保育園の保育士さんも、子どもたちを連れて坂道を登りはじめました。その子どもたちを中学生が抱っこして、予め決めておいた避難場所の「ございしょの里」まで行きました。
しかし、「ございしょの里」の近くの崖が崩れているのを発見し、危険と判断してさらに上へ上へと目指しました。高台にたどり着いたその数十秒後に、すぐ近くまで津波が到達し、まさに危機一髪でした。


3.【率先避難者たれ】
私は、自然に向かい合って主体的に逃げること-「率先避難者たれ」ということを教えてきました。 自分の命があって、はじめて人の命を助けられます。 人の命も気になるけど、まずは自分の命を守り抜くことです。

もし、非常ベルがなったときに、みんなは直ちに逃げますか?
「この前鳴ったときも誤報だったし、大丈夫だったし、みんな逃げていないし」と思うのではないでしょうか。まさか自分が火事に巻き込まれているとは思っていません。 非常ベルが鳴って煙の匂いがして、「火事だー!」と誰かが叫んだら、ようやく逃げるでしょう。

非常時には、みんな不安な状態の中にいます。 だから、君が勇気を持って一番はじめに逃げる。そうすれば群衆心理でみんなが君についてくる。君が逃げるということが、多くの人の命を救うことになるのです。
ただし、かっこわるく見える。多くの場合は誤報で空振りに終わり、またみんなのところに戻ってこなければならないからです。でも、空振りだったら「何事もなくて良かった」と思ったほうがよいのです。

私はずっと釜石市の子どもたちに、「一番始めに逃げられる、勇気ある中学生になれ」と言ってきました

■ 津波てんでんこ

「津波てんでんこ」とは、三陸地方に残る、津波から子孫を残すための教えです。 津波があったら、一人ひとりがてんでばらばらに逃げろという意味です。

もし、地震が起きてからお父さんお母さんが君たちを迎えに行くとしたら、お父さんお母さんはその途中で津波に巻き込まれるかもしれない。お父さんお母さんには、「僕は絶対に逃げるから、お父さんお母さんも逃げて」と言うよう、子どもたちには言ってきました。
地震があったら、自分の命を守るために一人ですぐに逃げること。これで一家全滅、共倒れになることを防ぐことができます。命を守り抜くこと、一人ひとりが命に責任をもつこと、それを家族同士で信頼しあえることが重要なのです。

■ 「助けられる人」から「助ける人」へ

釜石市では小中学校合同で避難訓練をしてきました。中学生が、小学生や怪我をした人の避難を支援する訓練をしていました。中学生として災害時にできるあらゆること学習してきました。

防火訓練、応急処置や救急搬送を消防隊から習ったり、非常食炊き出し訓練、津波記念碑の清掃、竹ざお担架づくりなどをしてきました。寝たきりのおじいさんやおばあさんをリアカーで引いて避難する練習もしてきました。彼らは地域の一員という意識で行動してきたのです。
■ 津波なんか恐れる必要はない

日本はどこに行っても災害の危険があります。ですが、人間は災害の危険に毎日恐れながら生きて行くことはできません。
釜石の子どもたちは、自然豊かで海はきれい、そうした釜石の自然の恵みをいっぱいもらっています。自然の恵みに近づくということは、災いに近づくということでもあります。今回のような大津波は50年、100年に1回あるかないかという災害です。 「恐れるよりも、日々日常の自然を満喫してほしい。ただし、津波が来るその日そのときだけは災いをやり過ごすための行動をとれ。それがこの土地に住む人が持つべきお作法だ」と彼らに伝えてきました。

自分の命を守り抜く、そんなみんなでいてほしいです。
 

【講演後インタビュー】
■ 人間教育まで広がる防災教育

自然に向かい合う「姿勢」をどう与えるか、という教育は大事だと思っています。 自然災害は、どんなことが起こるか分かりません。それでも生き延びる子どもであるための「姿勢」をつくることが重要です。

テクニカルに津波の逃げ方を教えるのではなく、そのときの最適な手段は何だろうと考えさせ、危機に向かい合う姿勢を教えていました。 おじいさん、おばあさんを助ける、小さな子どもたちの学校教育を助ける訓練を通して、子どもたちは地域の一員としての役割認識をするようになり、人間教育まで広がりました。 マニュアル的に対応する姿勢ではなく、困難を乗り越える力、その中で弱い者への配慮など、生きることそのものを彼らは学んでいます。防災教育を越えた教育効果があったと思います。

防災は、みんな敵(災害)を知りたがります。しかし、最大の敵は己、そのとき避難しない自分です。「敵を知るよりは己を知れ」と、子どもたちに伝えていました。 地震で揺れてもなかなか逃げられないのが普通の人間です。人間、我が身は大丈夫だと思ってしまいます。

常におびえる必要はありませんが、大きい揺れがきたらちゃんと逃げる。 その日そのときだけ意識を切り替えて、ちゃんと行動できる自分であってほしいです。

 

 

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東日本大震災の津波から多くの小中学生が生き延びた「釜石の奇跡」の立役者である群馬大学の片田敏孝教授と、片田教授と一緒に防災教育を推進してきた前・釜石市の消防防災課長末永正志氏が、中学生・保護者・地域の住民の方々に向けて熱く語りました。今回は特別にこの講演会の模様をパスナビ読者にお届けします。


講演Ⅰ 「東日本大震災からの教訓 ~生きる力を育むとは~」

前・岩手県釜石市市民環境部消防防災課長 末永 正志氏


■ 講演快諾の背景-教訓を引き出し、伝承していきたい

私は3月11日の東日本大震災による津波で、家と車を流失しました。被災者の一人ではありますが、3日後には妻の実家に住むことができたので、多くの被災者と比較すれば大変恵まれた環境にあったと言えます。

自分自身が生かされたことに感謝します。防災担当者としての知識や、日赤救急法指導員やボーイスカウト指導者などの野外指導者としての経験が大変役立ちました。今回の事象を冷静に見つめ、教訓を引き出し、忘れることなく伝承していきたい。そんな思いでいた時期に盛永校長先生から講演依頼をいただきました。


■ 東日本大震災は想定外だったのか?

平成22年当時、国の地震調査研究推進本部が発表した資料は、マグニチュード(※以下Mとします)7.5前後の宮城県沖地震は30年確率で99%でした。260年の間にM7.3以上が6回起きています。最後の年から30年以上経っているので、いつ大きな地震が来てもおかしくありませんでした。三陸沖南部海溝寄り地震はM7.7程度の発生確率が80~90%でした。海溝型地震は間違い無く繰り返しますので、規模は別にしても、三陸地域に地震・津波が「来る」という意味では想定の範囲内であり、決して想定外ではありません。問題はそれにどう備えてきたかでしょう。


■ 津波防災取り組みの背景

宮城県沖地震が大変心配される中、歴史的事実と科学的根拠による恐怖感から釜石市の児童生徒や地域住民に対して防災教育を推進してきました。当市の教員の75%は、内陸育ちで地震や津波に対する知識や備えは全くありません。また、地域でも「津波てんでんこ」(三陸地方に残る、津波から子孫を残すための教え。津波があったら、一人ひとりがてんでばらばらに逃げろという意味)など過去の津波災害からの教訓も薄れてきていました。地域に出向いて、他人依存や行政依存を改め「自分の命は自分で守る」教育が必要だと痛感しました。

特に、地域と学校、行政が一緒になって本番同様の避難訓練(行動)をする必要があります。そのため、教育委員会を通じて学校が主体的に防災教育の教材を作ったり、自主防災会や町内会単位でフィールドワークをしたり、防災に関する講演会や学習会を年間40回も開催しました。


■ 350人と3日間の避難生活

3月11日午後2時46分、私は沿岸自動車運転免許センターで免許更新者に講習をしていました。我々講師3人は地震発生後、直ちに受講者63人を引き連れて高台にある指定避難場所「釜石市民交流センター」(旧白山小学校)に避難しました。

講師3人の前職は、救急隊長の経験がある元消防長、警察官と消防防災課長の私でした。私は、前職の知恵と長年の野外指導者としての経験を生かし、最低3日間を持ちこたえることを想定し、避難所にいた350人に必要不可欠なものを獲得して、運営組織を立ち上げるべく町内会長や民生委員、看護師らの協力を取り付けました。食料や水、燃料等の確保、通信手段の確保、医療の確保に奔走するなど組織の参謀役として知恵をしぼりました。

 

防寒対策にはビニール袋や新聞紙を使い、暖房や照明の不足にはろうそくを使いましたが、避難所となった元小学校の体育館は大変寒くて夜は眠れませんでした。

食料の確保は人数が多いため最重要課題でした。孤立して対策本部と連絡がつかない中でスーパーに食料供給の依頼をしなければなりません。意を決した若者10人に、寒い中三陸鉄道の20メートルを超える高い高架橋を渡って、避難所から1.5㎞先の一番近いスーパーへ食糧調達に行ってもらいました。そのほか、薪や湧き水を確保したり、辛うじて残った住居から食料を提供してもらうなど避難所に集まった方々の協力を得て何とか3日間を過ごしました。

携帯電話は通じませんでしたが、救急車や消防ポンプ車の消防無線(消防が使用する業務無線の総称)を活用して情報を収集しました。ラジオは全体的な地震の情報は流れても、個別エリアの情報が流れず、釜石市内の被災状況も対策本部の対応も分かりませんでした。
今回、大津波の来襲により3日間の避難生活を強いられた中で、主な解決課題は以下の5項目でした。

衣=衣料(寒風・雪等防寒対策、着替え)
食=食糧(水、食料、燃料の確保)
住=住居(暖房、照明、トイレの確保)
医=医療(病院・薬局も多数被災、通院患者・薬・搬送等の問題解決)
情=情報途絶の解消と正確な情報収集(停電、携帯電話不通)

私の野外指導者としての経験からは、避難時に十徳ナイフ、ロープ、笛、懐中電灯などがあるとさらに人助けに役立ったと思います。



■ 「自分の命は自分で守る」教育が必要

以前、市民の行政依存に関する市長の質問に対して、「市は、住民票や戸籍は預かっていますが、市民一人ひとりの命までは預かっていません。災害時には、自分の命は自分で守ることが基本です。発災時には市役所や市職員も被災するので、人も資機材も不足します。被災を前提とした事業継続計画が必要です」と回答したことを記憶しています。

釜石市の児童生徒の生存率が高かったことから、報道関係者等からは「釜石の奇跡」などと言われますが、大津波を生き抜いた釜石の小中学生は、偶発的な奇跡で助かったのではありません。

例えば、釜石小学校の児童184人は、ほとんどが高台にある学校から下校しておりましたが全員無事でした。年3回の授業参観日に実施している実践的な津波避難訓練により、児童一人ひとりが自己判断、自己決定、即行動で身の安全を確保したのです。

つまり「教育の成果」であり先生方の努力の賜物です。適切な教育の継続が重要であり、継続は力なりです。危機管理や防災では、「自分の命は自分で守ること」が基本です。関係者の共通理解を図り、具体的にどのように教育していくかが大切です。正しい知識や情報を基に、正しい判断と行動が求められます。

皆さんは中学3年間で、学習する姿勢を学んで身につけてほしいと思います。目的・目標を決め、自己学習により、自ら行動を起こし自己責任をとれるようになることが重要だと思います。


末永 正志(すえなが・まさし)

岩手県釜石市生まれ。釜石市職員として消防防災課長など歴任。また、日赤救急法指導員やボーイスカウト指導者として活躍。近年は釜石市の教育委員会と連携して防災教育を強力に推進。平成20年度から文部科学省が推進する防災教育支援事業を全国の自治体で初めて導入し、科学的な知見をとりいれた学校防災教育事業や地域の研修会を推進して、防災教育カリキュラムと教材を開発。市役所を退職後、現在は沿岸運転免許センターで免許更新時の講師を勤めている。



末永氏の講演後に、1年生全員が合唱を披露しました。

 


1年生の代表生徒から、乙訓地方の特産である竹を使った「花かご」を贈呈しました。仮設住宅等で暮らしている被災地の方々へ贈る目的で「総合的な学習の時間」に心をこめて作った贈り物です。

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■片田氏の講演「想定外を生き抜く力 ~大津波から生き抜いた釜石市の児童・生徒の主体的行動に学ぶ~」はこちら

Kazue Nishino

  • 本日NHKの放送で拝見しました。是非、学校などで子供たちにも聞かせたいと思いました。
    とても心に響くお話でした。

 


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