ここで、明治時代に翻訳出版された『フランクリン自伝』を見ておきたい。この本は、国立国会図書館の『国立国会図書館デジタルコレクション』に収められている、深澤由次郎譯『フランクリン自傳講譯 上巻』(静寿館、明治30年11月8日発行)である。
本文の該当部分を引いておく。(映像の26-27 / 76)
善い哉ポープの言、曰く、
「人を敎ゆるに當りては、恰も敎へざるが如くになさゞる可からず、又、人の知らぬことを言ひ出でんには、その人の忘れたる事の如くにせざるべからず」
と、彼れまた吾人に勸めて曰く、
「確かに知るも疑あるらしく(スイーミング)語るべし」
と、而してポープは左の句をばこの句を對(つい)せしむるこそ當然なるべきに他の句と對(つい)せしめたるは較や當を得ざるものと思はる、曰く、
「蓋し不遜は思慮なきの致す所なり」
と、
汝もし、何故當を失せりやと問はゞ、余は下の行を繰り返へさゞる可らず、[見よ、この前の一句と后の一句と稍や相照應せざるにあらずや]曰く、
「不遜の語は辯護を容さゞるなり、
蓋し不遜は思慮なきの致す所なればなり」
と、
扨て、思慮なきは(人若し不幸にして之れを缺く塲合には)却て不遜の辯解となるにはあらざるか。されば、斯く修正する方更に正しきものとならざる乎。
「不遜の語は唯々此辯護をのみ容るす、
曰く謙遜なきは思慮なきなり」
と。
さは云へ、この説の當否は、われより優れる判斷に任せんのみ。 (三十八~四十頁)
問題の部分は、次のような訳になっている。
彼れまた吾人に勸めて曰く、
「確かに知るも疑あるらしく(スイーミング)語るべし」
と、而してポープは左の句をばこの句を對(つい)せしむるこそ當然なるべきに他の句と對(つい)せしめたるは較や當を得ざるものと思はる、曰く、
「蓋し不遜は思慮なきの致す所なり」
と、
やはり、深澤氏の訳も、「左の句をば……他の句と對(つい)せしめたるは較や當を得ざるものと思はる」となっている。この部分が教科書では、「この行を彼は別の行と並べているが、それはあまり適当ではないようで、(むしろ次の行と並べたほうがよかったのではないかと思う)」という訳になっているのである。
→ 『フランクリン自伝』の「少年時代」の一節について(4)
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