今日12日は10日が土曜日だったので集金と支払いの集中日でした。
被災地に送る荷物も積み終えて会社の中も広くなった。
午後、意外な人が自転車に乗って集金にやって来た。
父が入院中に2つ隣の病室に入院してたHさん。
父と同じ年齢で軽い脳梗塞と症状も同じでした。
しかも同業者でもあり父と付き合いも古い。
何度か病室に父を見舞ってくれたし
息を引き取った時も最期のお別れにも来てくれた。
通夜に出られないからと息子さんが来てくれ受付もしてくれた。
親子二代にわたってのお付き合いでしたし。
集金がてら私の様子も心配して自ら自転車で来てくれたのですから有り難い。
「意外と元気そうだな!」
「まぁ、何とかやってますよ」
以前にも書いておりますが私は父の死を悲しいとは思いません。
人生をまっとうした、立派な最期だったと信じております。
意志の疎通も利かず、本人はどう思っていたかは解りません。
でも、残された家族がメソメソしているよりも精一杯
前向きに生きる姿を見せる方が亡くなった本人が喜ぶと思う。
父は亡くなりHさんは元気に復帰され運命は分かれてしまったけど
元気そうなHさんの姿を見て素直に喜べた。
今年はお得意さんで2軒、やはり父親を亡くした会社がある。
父親が創業して息子が跡継ぎなのは共通している。
「親父さん亡くなったんだって?」
「ええ、苦しむ姿も見なかったし救急車で運ばれるまで現役で仕事もしてたし、良い死に方だったと思うから悲しくは無いんですよ」
「だろっ、だろっ!俺もそう思っているんだよなぁ」
たまたまかも知れませんが父と一緒に仕事をしてた立場だとこうなのかもね。
自分なりに津波で突然家族を失った被災地へ行ったからそう思えるのかな?
なんて考えてもいたけど、死生観なんてそれぞれ違うようです。
一周忌が済むまでは喪に服すとか商売にとってはマイナスになる。
かと言って変に明るいと「あいつは遺産を手にしたからだ!」とか
悪く評価されそうですwww
まるでカミュの「異邦人」みたいです。
これは月曜日に途中まで書いて加筆したものです。
最後までお付き合いありがとうございました。
被災地に送る荷物も積み終えて会社の中も広くなった。
午後、意外な人が自転車に乗って集金にやって来た。
父が入院中に2つ隣の病室に入院してたHさん。
父と同じ年齢で軽い脳梗塞と症状も同じでした。
しかも同業者でもあり父と付き合いも古い。
何度か病室に父を見舞ってくれたし
息を引き取った時も最期のお別れにも来てくれた。
通夜に出られないからと息子さんが来てくれ受付もしてくれた。
親子二代にわたってのお付き合いでしたし。
集金がてら私の様子も心配して自ら自転車で来てくれたのですから有り難い。
「意外と元気そうだな!」
「まぁ、何とかやってますよ」
以前にも書いておりますが私は父の死を悲しいとは思いません。
人生をまっとうした、立派な最期だったと信じております。
意志の疎通も利かず、本人はどう思っていたかは解りません。
でも、残された家族がメソメソしているよりも精一杯
前向きに生きる姿を見せる方が亡くなった本人が喜ぶと思う。
父は亡くなりHさんは元気に復帰され運命は分かれてしまったけど
元気そうなHさんの姿を見て素直に喜べた。
今年はお得意さんで2軒、やはり父親を亡くした会社がある。
父親が創業して息子が跡継ぎなのは共通している。
「親父さん亡くなったんだって?」
「ええ、苦しむ姿も見なかったし救急車で運ばれるまで現役で仕事もしてたし、良い死に方だったと思うから悲しくは無いんですよ」
「だろっ、だろっ!俺もそう思っているんだよなぁ」
たまたまかも知れませんが父と一緒に仕事をしてた立場だとこうなのかもね。
自分なりに津波で突然家族を失った被災地へ行ったからそう思えるのかな?
なんて考えてもいたけど、死生観なんてそれぞれ違うようです。
一周忌が済むまでは喪に服すとか商売にとってはマイナスになる。
かと言って変に明るいと「あいつは遺産を手にしたからだ!」とか
悪く評価されそうですwww
まるでカミュの「異邦人」みたいです。
これは月曜日に途中まで書いて加筆したものです。
最後までお付き合いありがとうございました。