数年前に亡くなった伯父さんは戦争に行けなかった。
三重海軍航空隊(正確な名称では無いかも)で戦闘機乗りになるために訓練を受けている時に終戦を迎えたからだ。
勉強が出来た伯父は、自ら志願して国のために命を捧げる覚悟をしてたはずだ。本人からはあまり聞く事が出来なかったが、妹である母が時々話してました。
二男である伯父は終戦後には実家の復興に汗を流し、近隣の農家へ婿養子に入り農家としては農水大臣から表彰されるほど努力したそうです。
江戸川の農地はやがて住宅地に変わり、広い農地は莫大な現金に変り始めると今まで農業を頑張っていた伯父の評価が下がり始め、子供がいない婿養子は親せきからも厄介者扱いをされて離婚に至る。
いくばくかの土地を分けてもらい、死ぬまで一人で暮らしていました。
几帳面で神経質な性格は、近くに住む甥や姪もあまり近づくことも無い?いや少ない程度だった。
晩年はパーキンソン病で手足のしびれがひどくて、家中に手すりをつけたり段差を無くすバリアフリーのリフォーム工事で大工さんと一緒に何度も通っていましたが、あまり話さないで済ましてしまった。
快適な生活になったであろう住まいの、風呂に入った状態で亡くなっていた。
検死のために一時他へ連れていかれましたが、親族だけの密葬。
青白い顔の伯父さんに心の中で語りかけました。
「もし私が伯父さんと同じ時代にいたら、やはり国を救うために戦う決断をしてたはずです。平和な時代には話す機会もなかったでしょう、死を覚悟してた伯父さんの精神は誇りに思ってます。甥である私がその精神をしっかり受け継ぎましたので、安らかにお眠りください」
その年の8月15日に靖国神社に初めて行きました。
靖国神社参拝したことありますか?
三重海軍航空隊(正確な名称では無いかも)で戦闘機乗りになるために訓練を受けている時に終戦を迎えたからだ。
勉強が出来た伯父は、自ら志願して国のために命を捧げる覚悟をしてたはずだ。本人からはあまり聞く事が出来なかったが、妹である母が時々話してました。
二男である伯父は終戦後には実家の復興に汗を流し、近隣の農家へ婿養子に入り農家としては農水大臣から表彰されるほど努力したそうです。
江戸川の農地はやがて住宅地に変わり、広い農地は莫大な現金に変り始めると今まで農業を頑張っていた伯父の評価が下がり始め、子供がいない婿養子は親せきからも厄介者扱いをされて離婚に至る。
いくばくかの土地を分けてもらい、死ぬまで一人で暮らしていました。
几帳面で神経質な性格は、近くに住む甥や姪もあまり近づくことも無い?いや少ない程度だった。
晩年はパーキンソン病で手足のしびれがひどくて、家中に手すりをつけたり段差を無くすバリアフリーのリフォーム工事で大工さんと一緒に何度も通っていましたが、あまり話さないで済ましてしまった。
快適な生活になったであろう住まいの、風呂に入った状態で亡くなっていた。
検死のために一時他へ連れていかれましたが、親族だけの密葬。
青白い顔の伯父さんに心の中で語りかけました。
「もし私が伯父さんと同じ時代にいたら、やはり国を救うために戦う決断をしてたはずです。平和な時代には話す機会もなかったでしょう、死を覚悟してた伯父さんの精神は誇りに思ってます。甥である私がその精神をしっかり受け継ぎましたので、安らかにお眠りください」
その年の8月15日に靖国神社に初めて行きました。
靖国神社参拝したことありますか?