しゃちくんは野良猫ブログ

30年以上前になりますが自分探しのためにバイクで日本一周。
そして今、会社を畳んで田舎暮らしの準備中です。

温かい心

2012-11-19 12:40:20 | ボランティア


この森の中を抜けて「にゃんこはうす」に向かうのは7回目だったか?



似たような写真だがこれしか携帯で撮影していない。



真夏の頃と比べると葉っぱの色に季節の移ろいを感じます。


今回「にゃんこはうす」に伺ったのは募金を届けるのが目的だったが

水が出無い状態に陥ってしまった「にゃんこはうす」では

冬に向けての洗い物をしてくれるボランティア要請があったので

コメントを入れておいたのだが参加表明は私だけ?

汲み置きした水を高圧洗浄機を利用して山のように溜まった洗い物を

私が洗う予定なのに…

既に午前10時を過ぎてしまっている。

しかも呑気に写真なんか撮影してるし(笑)

ありこさんは怒っているかな?

にゃんこはうすに到着すると何人ものボランティアさんが

既に洗い物作業をしている真っ最中でした。

各地からこの日初めて参加する方達が駆けつけてくれたのです。

もう、それだけでも嬉しかった

ボランティアが集まらない福島です。

早速、私も作業に加わりケージ、ペットキャリー、猫トイレ等を

高圧洗浄機で洗う。

それを女性陣が除菌スプレーを吹きかけてから乾いた布で拭き取り

ビニール袋に入れて収納する。

作業をしながらお話もしました。

「どちらから来たのですか?」

「猫を飼ってるのですか?」

「猫が好きなんですか?あっ、当たり前ですよね(汗)」

100リットルの水があっという間に無くなると水汲みに行きます。

車で水道が出る建物に貰いに行きます。

にゃんこはうすは元々沢の水を引き込み飲料には適さない不便はあったが

洗い物なら充分だった。

その水が出無いと言う事がどれだけ心細い事でしょうか。。。


作業途中で「これから子猫が来るからこれも洗って!」とケージの扉を

手渡された???

レスキュー班が子猫を保護してこちらに向かっているそうです。

みんな緊張している。

子猫って何匹?どんな状態?

ありこさん達も受け入れ体勢を整え慌ただしくなった。

その後の様子は私も知らないのでブログで読むしかない。


岩手から片道5時間30分もかけて参加されたグループが

お昼すぎに帰りました。

おぉっ!みなさん同じグループの方だと思っていたら

山形県天童市から1人で車で来た女性だったり

多摩からご夫婦?で参加された男性は前日は南三陸町で

ボランティアしてから駆けつけてくれたそう。

私も水汲みすること3回、高圧洗浄機の水で服も濡れ

帰宅時間を考えて午後3時に失礼することにした。


にゃんこはうすを出発してすぐの道の先に何か居た?!

センターラインの上で車を停めるように堂々とした猿でした

道の先では猿の群れが道路を横断している。

小さな子猿も急いで道路を横断してるから車を停めて眺めていた。

どうやら先頭にいるのがボス猿のようで群れを守っているみたい。

ちょっと胸が熱くなりました。


警戒区域の中から猫を救ってくださるにゃんこはうすのみなさんのよう♪

何時かは住民が戻り、再び犬や猫が一緒に暮せる事を願ってます。

終わりの見えない活動だけど、ずーっと支援は続けたいです!






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復興出来ると信じてます!

2012-10-15 00:10:20 | ボランティア
8月10日に警戒解除した楢葉町に行きました。

8月14日に行ってから丁度、今日が2ヶ月目だったのは偶然だった。

ここ江戸川区からは往復500km、常磐道利用で近いです。

(昨年通った南三陸町の半分の距離という比較ですけど)

行きは2時間30分、帰りは渋滞があるので3時間。

休日をどう過ごそうか色々と考えてみるのですが

どうしても復興が進まない被災地を忘れたくないから

今日も楢葉町に行ってしまいました。

被災地のこと、ブログの記事で書いても最近では興味も薄れて

なかなか読んでもらうのも難しいかな?と考えて



趣味的な要素も採り入れて軽トラにバイクを積んで準備をしておいた。

楢葉町には走ってみたい林道が数本ありまして

オフロード好きな方にも読んで欲しくてね。

でも…結局は怪我をしないようスイフトで行っちゃいました(-_-;)

バイクの記事はまたいずれご紹介します。


常磐道は終点の一つ手前の広野ICで強制的に下ろされます。

燃料ランプが点灯してたのでIC近くのGSに飛び込んだら営業してなかった(-_-;)

国道6号線を南下し、いわき市まで戻って満タンにした。



JR常磐線の現在の終点、広野駅から今日はスタート。

駅からは海が見え、これでよくも津波の被害が無かったと感じた程。



海岸近くはやはり津波の爪痕が多く残っていた。

海岸沿いに北上したいけど橋が壊れて迂回ばかりさせられる。

前回も通った道で楢葉町の海岸沿いを北上。



道路脇にはまだこうした自動車がそのままになってます。



こうした住宅も多く残ってます。

実はこの日どうしても行かなくてはならなかった理由が



楢葉町消防団の犠牲になったこの消防車の写真が撮りたかったから。



地元消防団の消防車を買い換えて現在使用中の車輌は

この楢葉町に届ける予定なのに、ちょっと揉めておりますwww



「今の消防車がボロで乗れないから買い換えると寄付を集めたんだぞ!」

「あれはスクラップにする!ゴミを被災地に届けるのか?失礼だろっ!」

実際にこれを見ていないからそんな言葉が出るのだと思う。



スクラップになった自動車の手前にコスモスが咲いていた。

津波被害を実際に見ると絶望感に包まれてしまいます。

でもその後、絶対に復興出来るんだ!と強い信念に変わるのは私だけでは無いと思うのです。


泥棒被害がやりきれないのが福島なんですよ



竜田駅です。ガラスの部分はベニア板で覆われてます。

2ヶ月前は駅舎の中に自由に入れました。

割れたガラスは地震の被害よりも泥棒の仕業でしょうか?



駅前の商店のシャッターも壊されてます。



自販機はバールでこじ開けられてます。



これは国道6号沿いのコンビニです。

ガラス部分はすべてベニア板で覆われてます。

悲しいより、怒りがこみ上げてしまう。

日本人がこんな事をすると思いますか?


竜田駅の近くで猫を発見。

シャムMIXの生後6ケ月位。



人が住めない町でどうやって生きているの?

私が呼んだら距離はあるけどこうして何かを期待している。

あいにくキャットフードを持っていない。

「うちのとらまる」さんのブログでも楢葉町で給餌をする方が紹介されました。

私も一時、この楢葉町で給餌活動をしようか迷いました。

でも復興全般に関わりたいから給餌に専念するのは止めました。

その分、にゃんこはうす支援で猫救済には関わり続けます。

今度、楢葉に行くときは必ずキャットフードを持って行きたいです。


最後に乙次郎林道入口を紹介します。



乙次郎11kmの標識が目印です。

乙次郎とは集落の名称らしい。

ちなみに線量計では0.47μsv/hと低い数値です。

付近の川や草地で測定すると数値は倍に跳ね上がりますが安全レベルでしょう。

また、林道入口周辺でも誰にも会うことは無い状況ですので

林道での事故は誰にも発見されませんから単独での行動はやめましょう!












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福島に行って来ました

2012-10-08 07:31:00 | ボランティア
雨が降る中、福島に行って来ました。

かかりつけの動物病院からも「試供品で申し訳ないけど」とフードを

支援して頂きましたのでにゃんこはうすさんに届けました。

連休中の東北道の渋滞を考えると気が重い

でも無事に帰宅した時には「行って良かった」そう思えるもの。

私が行って、何か役に立っているのか?

そんな風に考えてしまうと福島が遠く感じてしまう

自分が福島に向かった理由の原点に立ち戻る。


テレビニュース等では反原発集会や2030年の発電に占める原発の割合とか

そんなことばかりを取り上げているwww

事故を起こした福島第一原発周辺の警戒区域の現状とか

今後復興に向かって何をするべきなのかとか

野田総理が福島入りしたそうだが今頃?

何を観て、どんな発言をするのだろうか…


カーナビの目的地を南相馬市にあるにゃんこはうすに設定をすると

常磐道を利用して真っ直ぐ北上するルートで案内を始める。

それに逆らって東北道を北上し、福島松川スマートICで降りて

県道12号でぐるっと迂回ルートで向かいます。

警戒区域って何なのだろう?

住民を安全に避難させるために強制されたものだった。

一時帰宅は一世帯一人に限定され、15歳以下は不可。

動物は家畜もペットも置き去りにさせられたのはこの避難勧告のせいでした。

このままでは犬や猫も餓死をしてしまうと救出や給餌に向かった勇敢な方達、

そして保護するシェルターを開設し、現在も活動している。


朝8時に出発してお昼過ぎににゃんこはうすに到着。

ありこさんが応対してくれて支援物資を降ろした。

レスキュー車輌をスタッドレスタイヤに交換する作業を頼まれた。

にゃんこはうすは本格的に冬支度の準備で忙しい。

作業途中で早朝からレスキューに出掛けていた皆さんが帰って来た。

私が届けた車も「しゃち号」と呼ばれて活躍しておりました。


再びフードを積み込み2度目のレスキューの準備が始まる。

震災から直ぐに活動を始めた逞しい女性たち。

見た目からは想像も出来ない程に勇気のある素敵な女性たちです。

給餌によって今も必死に生きている猫達は命を繋いでいる。

ボロボロな姿でレスキューされた子達は病院で診察を受けてからにゃんこはうすで栄養状態が改善されて本来の可愛らしい猫の姿を取り戻します。

だからこそ諦めずに1匹でも多く救ってあげようと頑張る

被爆の影響で化け物みたいな姿になる?

そんな間違った情報を掲載しているブログの悪影響もあって誤解の多い福島。

人間から餌をもらって生きる動物が住民が避難してからは

飢餓状態の中に取り残されたまま。

2度目のレスキューへ出発するのを見送った。

南三陸町を思い出す。

朝8時になるとボラセンの奥の方から重機を積んだ自衛隊のトレーラーが

次々と目の前を通り過ぎ、瓦礫の撤去と遺体搜索に町に下りて行く。

胸が熱くなる。

それに続くようにボランティアも町に下りて行く。

津波で壊滅した町を救いに全国から救援の人が集まった。

福島の浜通りにはそれが来なかった。

復興への希望が湧かないのはそのせいかも知れないwww


前に進むためにも警戒区域内の動物をなんとかしてあげたい。

公的な援助が届くまでは皆さんの支援が必要です。

私もスタッドレスタイヤを準備して今年は冬でも通いたい。

にゃんこはうすの皆さんを応援してあげてください!


帰宅は夜の9時でした。

カーナビの音声ガイドは

「およそ5時間40分掛かりました。お疲れ様でした」とねぎらってくれた。

家猫はお腹を空かせて待っていた。





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支援のお願いです!

2012-09-24 18:29:00 | ボランティア

福島第一原発の事故を受けて住民が避難して置き去りになっている猫。

その警戒区域内から猫を救出し仮設住宅に連れていけないからと

現在も60匹あまりの猫を預かる「にゃんこはうす」さんでは

キャットフードが不足しているそうです。

週末になると圏内でまだ頑張って生きている猫への給餌もされてます。

1回の給餌で必要とされるフードは約100kgと聞きました。

緊急支援のお願いです!

ネットで直接送る事も出来ますのでリンクしときます。

amazon,japan にゃんこはうす 欲しい物リスト

ブックマークトップにもあります。

私も今度の日曜日に直接支援物資を届けようと予定しております。

こちらに送って頂ければ一緒に間違いなくお届け致します。

〒132-0022 東京都江戸川区大杉4-3-16

(有)伊藤木材店 伊藤 茂 宛 tel 03-3652-5606  fax 03-3652-5608

動物にとってこんな地獄のような状態はいつまで続くのでしょうか?

福島の現状を正しく理解して欲しいと願っております。

被爆したからといって普通の猫と変わりありませんよ。

このまま放置すると餓死しか待っておりません。

 

追記:週末からの呼び掛けにも関わらず全国からキャットフードが沢山届いたそうで現在、収容スペースが満杯になり一時的に支援を中断するとのことです。

備蓄スペースを猫の収容スペースとして使っているからでしょうか?SOSが発せられると直ぐに応えてくれる温かい気持ちと、継続した支援のお願いをしたいと言う狭間で言葉に窮するように受け取れます。

一時的な食糧備蓄スペースとしてカーポート用のテントに木製のスノコ床で充分だと思う。

とはいえこれが被災地の現状だと思います。

どうかみなさんで支えてあげて欲しい。。。 

 

 

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終わりが良ければね♪

2012-09-06 00:10:20 | ボランティア
地元の消防車を購入するための寄付集めでは嫌な思いもしたけど

目標の金額まであと20万円と予想以上に集まった。

足りない分は誰かが何とかするでしょう。

町会の役員は自営業者で構成されてますからね。


さて、新しい消防車は納車まで2~3カ月は掛かる。

トヨタのダイナトラックダブルキャブ6人乗りの1t。

真っ赤な消防レッドに塗装されてから専門業者によって艤装。

荷台にはポンプ等の装備がなされ年内に完成するのかな?

現在使用中の消防車はその間に車検を受けます。

まだまだ走れます

スクラップにするにはもったいない。

かと言ってあの色では使い道が限定されます(笑)

ここでまたお節介な私が動きます。


8月14日に福島県双葉郡楢葉町へボランティアの下見に行きました。

原発事故の影響から町全体が避難生活をしておりましたが

8月10日に警戒解除され、居住は認められませんが

誰でも自由に入る事ができるようになり

これから本格的な復興が行われます。

海岸近くの田んぼには地元消防団の消防車がスクラップになっていた。

南三陸町や南相馬市でたくさん観た悲しい光景でもある。

この2つの町は役場に確認したところ日本消防協会や

全国の消防団から消防車が寄贈されて間に合っているそう。

ダメ元で楢葉町役場に電話をしたところ

ボロでも良いから消防車を欲しいと回答があった。

嬉しかったです。

うん、楢葉町の復興に協力できるのですからね♪

楢葉町は現在、いわき市に仮役場を置き住民の多くが避難生活をしてます。


寄付集めでギスギスしてしまった人間関係もこれで修復できそう。

みんなで届けに行きたいです。

現役の消防団員とOBも仲直りして欲しいんだ。

地元の防災の為、被災地の復興の為、一つになろうよ!

震災後の被災地を想うあの優しい気持ち、取り戻そうよ!



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福島にも復興列車を!

2012-08-19 00:10:20 | ボランティア
僅か一週間が過ぎただけなのにオリンピックの話題は消えた。

もっとすごいのがテレビCМすら消えた震災から1年も過ぎると

復興が進まない被災地の事すら忘れられてしまうのでしょうか…

ちょっと良い動画があったのでそれを観てから話をすすめましょうか。

目から鼻水・鼻から涙です。。。


JR東日本 沿線スマイルプロジェクト 本編パート1



昨年通った南三陸町では線路が津波にやられて復旧の目途はたたない。

潮が満ちて来ると町は水没し…

東北の被災地はどこも鉄道が使えず車でしかボランティアに行けませんでした。

上の動画JR仙石線は在日米軍による「ソウル・トレイン作戦」で

復旧が早かったのですよ。


さて、8月10日に警戒解除された福島県双葉郡楢葉町。

海岸近くは津波被害を受けた住宅も震災後そのままの姿が残っております。

これからようやくボランティアを必要としているのに…

線路だって無事に残っている。



写真は竜田駅横の踏切より北を見る。

現在、居住も認められない地域ではあるけど

まずは復興列車を走らせてみたらどうだろうか?

その後は上野発のボランティア列車で週末には

都内から大勢のボランティアを乗せてやってくる。


今、何故このような記事を書いているかと言うと

冒頭にあるように被災地の事が忘れられてゆくのもある。

でもそれ以上に感じる事があるからです。

福島にはボランティアが集まらない事と

復興への熱意よりも諦めムードが漂っているからです。

先日読んだブログでも、原発事故で避難した住民が北海道に移住して

強烈な反原発を主張して福島が二度と人が住めない場所だと烙印を押していた。

郷土愛も何も感じない、批判だけをする左翼思想だと思う。

こんなブログが一日に数千ものアクセス数があり誤解を助長するwww

何度も繰り返し言ってることだが南三陸町は壊滅した。

壊滅というのは町のほとんどの建物が津波で破壊されて消失し

住民の多くが犠牲になっていることなのです。

家族は無事でも必ず知っている方が亡くなっている状況…

避難所の引越し作業では住民の方との会話に神経を使ったのはそんな事情から。

それでも復興にかけた情熱はものすごく熱く感じた。



それに比べたら福島は犠牲者がぐっと少ない。

目に見えない放射能の恐怖を煽り続ける反原発は私の敵なのです!

かと言って原発を推進しているのでは無い。

反原発が福島の復興の足かせになっていると考えての主張なのです。

「にゃんこはうす」のレスキュー班の皆さんや

「うちのとらまる」の太田さんも原発事故直後は

警戒区域に入る際、防護服を着用してたそうですが

今では放射能レベルも下がり普段着で活動されている。

特にぽんぽんさんはこの時期、タンクトップ姿が多く

男性の私は目のやり場に困ってしまいますが(-_-;)

(ぽんぽんさんは人妻ですがとてもCUTEな女性ですよ)


週末に首相官邸を取り囲む反原発デモに参加する人が

一人でも多く福島の復興に目を向けてくれてもらえればと願うばかり。

車が無いと参加出来なかった東北の被災地に

ボランティアを乗せた復興列車を走らせてみてはいかがだろうか?

私からのささやかな望み、少しでも多くの人に届いて欲しいなぁ。。。



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警戒解除された楢葉町に行って来ました

2012-08-15 00:41:00 | ボランティア
まずは福島県双葉郡楢葉町の警戒解除を喜びたいと思います。

興味が無い方、もしくは反原発の方はスルーしてくださいね。

東日本大震災で事故を起こした福島第一原発より半径20km圏内を

警戒区域として住民を避難させて居住はおろか自分の家でさえ

一時帰宅と言う形でしか帰ることが出来ない現状はご存知のはず。

昨年の南三陸町へボランティアに行ったのをきっかけに

復興には何が必要かを真剣に考えるボランティア初心者となりました。


自宅を朝8時に出発して常磐道を走ること2時間30分。

いわきJCTから先は対面通行となり広野ICで強制的に下ろされた。

国道6号を北上する。

途中、交差点の注意書きには「減速・牛衝突注意」との看板を目にした。

8月10日に警戒解除されるまで私はこうして入る事が許されない場所に居る。

動物は置き去りにされ町をうろつく牛は殺処分されてしまったのか?

国道6号の富岡町との堺にある検問でUターンした。



コンビニの駐車場で今日の行動を考えた。

初めて訪れる場所、土地勘も無い。

町の中心部も知らない。とにかく津波被害を見てみたいから

海の方角に向かった。道が判らない。

常磐線の竜田駅に出た。



線路は草に覆われて1年5ケ月もの間、電車が走っていないと知る。

個人的には警戒区域は電車を通過させて復旧させるべきだと思う。

南三陸町の気仙沼線は津波で線路が破壊されているのに対して

常磐線は内陸を走るせいか線路は無事です。

駅前の商店主さんが自宅の後片付けに訪れていたので話しかけた。

「役所にボランティア要請を出して下さい。そうしないと動けませんから」

タバコの自販機はバールでこじ開けられて金銭は盗まれた。

地震の揺れそのものは東京も震度5を記録してるだけに

建物被害はそれほどでも無いと感じる。

放射能被害も見た目には解りません。

警戒区域内で深刻なのは泥棒被害と置き去り動物の問題だと思う。

海が見える地区にたどり着いた。



楢葉町は人口も少ないし家も少ない。でもこの地区は壊滅だった。



住宅の基礎しか残っていない住民の方が居たので話しかけた。

「ボランティア要請してください!希望を捨てないで下さいね」

そんな言葉を掛けるのが精一杯な私だったwww

海岸沿いを南下する予定だったがちょっと想像とは違い道が無い。



行き止まりの先には雉の親子が居たり、キツネが道路を横切ったり



海岸沿いの道路は橋が崩落してアスファルトも剥がれた悪路。



ここは楢葉サイクルステーションとかの宿泊施設。

立派な建物が無人だから不気味です。



海水浴場の駐車場は山のがけ崩れで瓦礫が散乱してる。

誰も居ないと思ったら一人の男性がサーフィンをしてた。



海岸の横には広野火力発電所があり、津波被害の復旧工事をしながら

フル操業で発電しているようだった。

原発を停止したしわ寄せは火力発電所の危険を招くはずなんです。

またこの発電所に隣接した場所に東電の運営するJビレッジがあり

確か、なでしこジャパンの鮫島彩選手はここから世界に羽ばたいたと思う。

この他にも町のあちこちに原発マネーで寄贈された施設も多いです。

隣の富岡町堺には福島第二原発もあるからこの地域の経済は

原発によって支えられていたと想像出来ますし…

ここから少し南下すれば広野町に入っている。



これ何だか分かりますか?

ただのガレキの山ではありません。

放射性の汚染ガレキの貯蔵施設です。



これも同じ。当然、県外には移動しません。

各地で繰り広げている震災ガレキの受け入れ拒否問題(怒!)

自由報道協会の上杉隆氏は震災直後には福島に入って

独自の取材なんかしてたけど現在の福島に興味が無いと思えるし

タレントの山本太郎もチェルノブイリまで出掛けて勉強した割に

北九州市のガレキ受け入れ拒否の先頭に立っていた!

復興が目的では無く、自分の主張と活動が目的になっているんじゃないか?


楢葉町の復興はこれから始まるのです。

江戸川区から常磐道で2時間30分の距離にある被災地に

どうか、皆さんの力を貸して下さい!

また、自由に入れるようになった楢葉町の置き去り猫の情報

教えていただければ助かります。

私も自分で出来る範囲で頑張るつもりですから。。。







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3時間50分

2012-08-06 00:10:20 | ボランティア
朝7時に福島に向けて出発した。

先月、セレナを届けたのでこの日初めてスイフトで被災地へ。

前日に慌てて新しいカーナビを取り付けて目的地を設定。

これで購入4台目のソニーのNAV-Uはまたも常磐道利用で道案内してる。

にゃんこはうすの在る南相馬市は警戒区域を迂回して

東北道から県道12号線で太平洋側を目指します。

カーナビの音声案内はしつこい程に常磐道に導こうとするから

先月同乗した従兄弟の子供からも

「このカーナビ、すごいおしゃべりだよね(笑)」と言われた位。

乗車位置の高いセレナに比べ乗用車は運転が楽ですね。

1300cc91psのエンジンは意外と良く走ります。

サービスエリアから出るときはフル加速をしてみたけれど

ツインカムのエンジンは高回転まで気持ち良く吹け上がりgood!

カーナビはオービス(自動速度取締機)を知らせてくれるからかっ飛びました。

巡航速度はセレナより速いです。

県道12号線はアップダウンのキツイワインディングロード。

登りでは非力さを感じるけどこれはセレナのCVT(無段変速)に慣れてしまったせいでスイフトの4ATではキックダウンすれば登ってくれる。

コーナーリングでの足回りの良さが光るスイフトです。

今までの最短時間の3時間50分でにゃんこはうすに到着。

福島がより近く感じられ、これからも苦にならないと思えました。


にゃんこはうすには全員集合でした。

そしてやっと「ねこさま王国」のありこさんにお会いできました。

ただし皆さん重たい雰囲気で話しかけづらいwww

これから福井に帰るありこさんが手短に説明してくれました。

昨夜、バニラちゃんが亡くなり、火葬されて骨になって帰ったところ。

3月に小高区からレスキュー班が保護して常駐さんが看病してた

白血病のバニラちゃん、このところ腹水がたまり状態が悪かったこと、

ずーっと関わってきた皆さんにはとても辛い時間だったでしょう。

そんなタイミングで訪問した私でしたwww

うちの猫が大好きな千葉県勝浦産の煮干やらおからサンド(猫砂)等

「適当に下ろしておきます」と言って黙々と荷物運びです。

「みなさんの美しさ保つために」とウェットティッシュも運んだ。

用意しておいたオヤジギャグも封印して自分の存在も消した。

多分、皆さん泣きたいのだろう…

彼女たち、多くの悲しみを抱え込んでいると思う。

私にはそれを共有することは出来ませんから。。。

滞在時間20分、「また来まーす」と挨拶してすぐに帰りました。

現在、仮設住宅で飼えない預り猫ばかり60匹。

保護枠が一杯で気になる子には給餌しか出来ない状態。

スペースの問題、嵩む医療費や維持費、世話をしているスタッフの限界、

行政側は何も対策を取らずにペットの相談を受けると

にゃんこはうすを紹介する体たらくwww

お節介なのは分かっているけど

こんな状態のまま放置されている福島の猫の問題です。

自分に何が出来るかは分からないけど

もうしばらく「にゃんこはうす」に通いたいと思います。
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自分の中に一区切り

2012-07-16 11:20:30 | ボランティア
東日本大震災の発生により日本の歴史や価値観は大きな影響を受け

東京在住の私は直接的な被害を受けてはいないのに激動の一年だった。

1000年に一度の規模で起こった巨大津波に飲み込まれて壊滅した町、

住民の多くに犠牲者が出てしまい生存者は避難所に肩を寄せ合い

寒さに震えながら電気も水道も無い体育館でブルブルと震えている。

助けに行かなくては!

と人生初の災害ボランティア。

ガソリンの入手も困難な中、夜の真っ暗で荒れた路面の東北道をひた走り

現地での実質ボランティア活動時間は午前中の3時間のみと言うのに

往復1000kmの道のりは24時間の夜行日帰りの強行軍を強いられる。

こんなんで役に立っているのだろうか?

そんな疑問を感じつつもボランティアの気持ちは持続している。

思うように活動出来なかった障害は父の死があった事。

それでも新盆の中日に自分の車を福島に届ける事が出来

自分の中に一区切りついたと感じてます。




土曜日にいつも買いに行くホームセンターの棚が空になってしまいましたが

キャットフードと猫砂を積み最後の洗車をした。

日曜日の朝7時に従兄弟の家から出発です。

小2と小6の二人の子供は私の車に乗ってセレナの乗り納めにお付き合い。

従弟が一度被災地を見てみたいと協力してくれ

どうせなら子供にも見せてあげようと同行してくれたが

嫁さんは父親の葬儀が済んだばかりだし

子供への放射能の影響を考えたらさぞかし心配でしたでしょうか。。。

初めの計画では車内に80ccのバイクを積んで行き

帰りは下道を10時間位かけて帰る予定でした。

高速を利用しても5時間の道のりですから。

今まで被災地には一人で通いましたが今回は従兄弟の助けを借りました。

南相馬市の南部の森の中にあるにゃんこはうすに到着して

フードを運び車を引き渡してからぼんママさんにお願いして

猫が居る部屋に入れさせてもらいました。

20km圏内から救出された猫達は飼い主さんと離れて暮らす生活です。

子供たちがじゃらしで遊んであげると「僕も私も」と次々と猫が集まり

猫まみれになりましたよ(#^.^#)

「さあ、そろそろ帰ろう!」とにゃんこはうすを去る事に。

ここに来るまでの車窓からの景色には被災地らしきものがありません。

折角だから海岸沿いを観て帰る事にしました。

帰りは従弟のボルボに乗せてもらい、ぽんぽんさんとぼんママさんに見送られてにゃんこはうすを後にした。

従弟には線量計を渡してあったのであちこちで計測しております。

山間部にあるにゃんこはうすは1.50μsv/hと意外に線量は高い。



南相馬市鹿島区沖の海岸沿いにあるガレキの山は草に覆われて平和だ。



これぞ福島の汚染されたガレキですが0.50μsv/h程度のレベルです。



スクラップ自動車の集積場です。



消防団の消防車も数台あった。

福島でも最後まで警戒を呼び掛けていた消防団員が犠牲になったのでしょうか。

ここも放射能レベルはそれ程でも無く0.40μsv/h前後です。

さて、いよいよ小高区に入ります。

南相馬市南端に位置し4月16日に警戒解除されたばかりのこの地区は

20km圏内に接し現在でも居住は認められてません。

津波に破壊された家が多く残りあちこちに壊れた車が転がったまま。

今でも被災地そのままの姿が残っている唯一の場所だと思います。

写真を撮影する方も結構居た。

小6のお兄ちゃんは車から降りようとはしません。

気になる放射線量は0.25μsv/h。「何だ!江戸川と変わらないじゃん」



福島の実情は正しい情報を得て下さいね!

北九州市でガレキ受け入れ反対の先頭に立ったタレントの山本太郎、

姉が反原発運動に疲れたからと大麻に走り逮捕されたけど

ジャーナリスト気取りもそろそろ終わりだ。

女優の杉本 彩さんはこの福島で保護された被災猫の一時預りをされている。

有名人の行動は影響力が強い。


途中、津波被害で壊れた家の片付けをするボランティアさんを見た。

福島は地震や原発の被害よりも深刻なのは人災なのです。

被災地選出の小沢一郎は是非、この復興が進まない地区を自分の目で観て

今、福島の復興に何をするべきなのか?を考えてもらいたい。

決して「反原発」では無い事に気がつくだろう。

そう、検問の向こう側に置き去りにされた動物の救出が

この国が第一に取り組むべき事なのです。


国道6号線の検問の前でUターンして給油して原町駅前で遅い昼食。

ここからは私が運転して渋滞が予想される東北道を避けて国道を南下、

磐越道経由で常磐道で帰ることにした。

南相馬を出発したのは午後4時だから帰宅は夜の9時を過ぎる。

車内で子供達はパパに「明日はプールに連れて行って!」とお願いしてた。

被災地行は子供にとっては退屈だったと思う。

従弟が「何処かの温泉に寄って行こう!」と提案があり

いわき湯元ICから「スパリゾートハワイアンズ」に寄り道です(笑)

映画「フラガール」でご存じの方も多いと思いますが

この商業施設は地元いわき市の被災者を多く受け入れてくれて

「フラガール」達は建物が復旧するまで全国キャラバンをしておりました。

「ここで金を落とす事によって復興に繋がるし~」と

日帰り入場券を買い、水着とタオルはレンタルして

流れるプールとウォータースライダーで大人も子供も大はしゃぎ♪

おじさん2人はフラダンスショーにすっかり見入ってしまい

「ちくしょーっ、ビールが飲みてぇー!」とか叫びながら(-_-;)

今度は年老いてゆく親達を連れて泊まりに来よう!と盛り上がり

6時に入場してここを出るのは10時近い。

帰宅は夜中になると分かっていながらもプールで遊んでお腹がすいた。

高速のSAで食事をして帰宅は12時でした。

家で待つ猫達はお腹ペコペコだったろうに…

私も風呂に入ってハイボールを飲んだらいつのまにやら

眠りに就いておりましたzzz












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踏み台

2012-05-20 00:10:20 | ボランティア
事故を起こした福島第一原発から半径20km圏内が警戒区域と呼ばれ

住民は緊急避難をさせられ居住はおろか立ち入り規制がある。

人命の安全は確保されたが動物は見捨てられた。

「うちのとらまる」さんのブログで悲しい話があった。

ある酪農家の方は警戒区域内に残した家畜を

行政が勧める家畜の殺処分を依頼する書類へのサインを拒み

家畜の給餌を続けていた。

例え理由がなんであれ住民でさえ立ち入りが許されない。

精神的にも追い詰められて暮れに書類にサインをした。。。

行政側では動物の救済は行われない。

蓄主さんのサインがあれば翌日に殺処分が行われるwww

せめて、動物の給餌が理由なら圏内への立ち入りを認めるべきなのです!

先日も書いたように原発周辺の放射能レベルが低くなった現在

様々な規制を見直すべきなのですが今の政府では難しい。

前に進めない考えが蔓延している。

私は仕事でも現場主義だから今回の震災でもそれを貫くのです。

それに原発の再稼働は必要だと考えております。

なので実際にレスキューをしている方達とは考えが違うかも知れない。

現場ではそれは関係無くなる。

目の前の問題に立ち向かうのみ!

根本的な考えの一致を求める連中は都内でのデモに参加するのが関の山。

話が重たくなってしまったので終わりにしましょう。




動物レスキューをしている「にゃんこはうす」に初めて行った時

冬用のスタッドレスタイヤを袋に入れ建物に収納する作業をした。

両手にタイヤ&ホイールを持ち地面と床の段差を乗ろうとしたら

きつかったので踏み台を作りました(写真)


頼まれたわけではありません、ただのおせっかいです。

要らないと言われれば持ち帰れば良いのですから。

そして自分自身もレスキューさんの踏み台になれれば良いだけ。



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被災地に消防車を届けたい

2012-04-11 08:11:10 | ボランティア
私は地元の消防団の活動資金を集める組織の会計です。

平成23年度の会費の徴収も済みこれからまとめる作業に入る。

ちゃんと材木屋の仕事をしているの?と疑問を持たれるでしょうが

仕事の合間にコツコツやっているからご心配なく(笑)

町内の自営業者から毎年寄付を集め、活動資金を差し引いた

余剰金を基金として積み立てております。

がっ、昨今の不況下で会費も集まりにくく基金を取り崩して

なんとかやりくりしているのが現状なのですwww

この基金を貯めている目的はずばり消防車の買い替えです。



地元消防団が所有するこの消防車は購入してから17年が経過した。

ガソリンエンジンのトラックがベースなので長い間乗れましたが

もうそろそろ排ガス規制に引っ掛かり車検が受けられなくなる。

ここ江戸川区は特定地域内で最も厳しい規制があります。

いずれは新車に買い替えなくてはなりません。

そのことについて消防団員で話し合うと消防車そのものを手放すという

マイナスの方向に意見がまとまりそうだと耳にした。

そんな時代状況なのかもしれませんwww

消防団の活動費の中から車の維持費を削減すれば楽になるのは確かです。

火災現場には消防ポンプを積んだリアカーで出動か?

それでは毎年の寄付金も集まらなくなるでしょうねぇ。。。


消防団ОBで町会副会長さんが「今、買い替えないとダメだ!」

と、言いだしっぺになってくれた。

どうりで「早く会計をまとめろ!」と言ってたのは

そのへんの計画があるからなのでしょう。

「お金はあるのか?」なんて二の次です。

まずは「消防車を買い替えよう!」そんな機運を作り出すことなのですね。


実は私も昨年、ボランティアで南三陸町に行った時に

国道脇に津波で流された消防車を見ている。

多くの消防団員が犠牲になっているし消防車も失っている。

そうだ!地元の消防車を買い替えて、現在の消防車を被災地に送ろう

そうなれば寄付も集めやすくなる。

我ながら良いアイデアだと思ってましたが一人ではどうにもなりませんでした。

自分の会社のトラックを買い替えるなら財布と相談すれば直ぐに叶う。

町会でとなれば数千人の様々な意見が出て、潰される事も多い。


ピンチがチャンスになるかも知れない。

災い転じて福となすかも知れない。

一町会の消防車の買い替えは

停滞する震災からの復興へのヒントとなるかも知れない。









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私が南三陸町に行った理由

2012-03-09 00:10:20 | ボランティア
時間の経過とともに地震の事を忘れてしまうだろうか?

以前、ブログに貼り付けた動画をまた紹介してます。

この動画の再生回数は1200万回を超え、世界中の人が観たと思う。

この映像を観るまでは津波って高波をざぶーんと被るものだと考えてましたが

じわりじわりと水位が上がり街を飲み込み建物を押し流して

街は壊滅して多くの住民が犠牲になりました。





南三陸町志津川高校から見た津波の様子 Tsunami attacking in Minami-Sanriku




志津川病院の4階の天井まで浸水し、屋上に避難出来た人は助かり

自力で避難出来ない多くの患者さんが犠牲になっている。

この動画を観て現地に行かなければ男をやめるぞ!!!

そう自分自身に厳しく言い聞かせて決意した。

でも、母は入院中だし生活物資も不足していて

現地に行くガソリンも不足していた。

地元瑞江火葬場では名取市から遺体600体以上が運ばれ火葬をしてた。

4月24日にガソリン携行缶(20L)を入手して準備が整い

開設したばかりの南三陸町ボラセンブログでの呼びかけに応じた。

自転車でも行ける浦安市の液状化被害のボランティアが市民限定、

千葉県旭市の津波被害は県民限定、茨木県も県民限定

一番近い場所でも石巻まで行かないとボランティアの募集が無い。

トラックで現地に行き荷物運びを熱望した。

石巻では「トラックを使用する事自体がボランティアの範囲を超えた活動です!」と断られてしまいました。


東北道若柳金成ICから東へ太平洋を目指すと南三陸町。



町の手前、標高はそれなりの場所までこうしてガレキや漁船が運ばれている。



志津川に沿った国道を町の中心部に向かって走っている写真だが

初めの動画で多くの家が上流に向かって流されているのはこの場所。



写真中心部に建つ建物が防災センターで鉄骨の骨組みだけが残っている。

これが町の職員の女性の最後まで住民に避難を呼び掛けて犠牲になった建物。


5月8日の初めてのボランティアは志津川小学校の学校の再開に向け

避難所を引っ越す為の住民の荷物をトラックで運びました。

それぞれが全国から仕事で使うトラックに乗って駆け付けた男達だ!

この時一緒に活動した東京からやって来た造園業の生田さんは

5月22日も現地で再会し、その後は毎週のように通い続け

9月に再会した時はボランティアリーダーとして活躍してました。

私はボランティアの翌日の朝、父を救急車で病院に送り

その35日後にこの世を去りボランティアから遠ざかってしまいました。

9月に支援物資を届けたのが最後になりました。



私のこれらの活動は誰にも頼らず誰の記憶にも残らず

ただ、自分の心に深く刻み込んだに過ぎません。

goo注目のブログで紹介されているスコップ団のような達成感も

仲間も居ない、疲労感に包まれた活動でした。

それでも自分の行動には誇りを持っている!

将来「あの時何もしなかった」と後悔したくなかったから…

復興への願いが人一倍強いのはこれなんですよ。。。






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南三陸町からの御礼状

2011-10-12 00:10:20 | ボランティア
5月22日の南三陸町


9月18日に南三陸町に支援物資を届けた事に対する御礼状が届きました。

これを読んでいると初めてボランティアに行った時の

自分自身の被災地に対する想いが蘇ってきます。

ホロリとする御礼状を原文のまま紹介させて頂きます。


                  御礼状

      この度は、平成二十三年三月十一日の東日本大震災

     により、我が街が見る影も空しく多大な被害を受け、

     大切な家族や家屋を失い、大きな悲しみにくれる毎日

     を過ごしております。

      しかしながら、日本全国の皆様からの心温まる物資の

     提供や心遣いを賜り、私たちは決して一人ではない、

     多くの支援を受けていることを再認識し、同時に感謝

     と感激でいっぱいであります。

      現在は、南三陸町の復興も心の復興もすべて時が解

     決してくれるものと感じており、社会福祉協議会とし

     て一歩ずつ前進する所存でおりますので、今後ともご

     支援ご協力を賜りますようお願い申し上げ、お礼の言

     葉に代えさせていただきます。

      平成二十三年十月吉日

          社会福祉法人 南三陸町社会福祉協議会
                  
                  会 長  阿 部 東 夫





写真中央の鉄骨の骨組みだけになっている建物が防災センターです。

9月に結婚を控えていた女性が自分を犠牲にしてまで住民に津波が来るからと呼びかけておりました。

屋上のアンテナに押し上げられた佐藤町長は共に屋上に避難していた職員から「街の復興のためにもあなたは生き延びてください!」と復興を託されて今も健在である。

その町長をアンテナに押し上げた職員は犠牲になった。

現在はこの建物の前に献花台が設けられており

9月の被災地でも多くの人が献花に訪れておりました。

この防災センターは解体撤去すると町長は決定を下した。

悲しみにすがりついていては復興なんて出来ない!

そんな決意表明でもあると思うのです。
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敷居高くなってますよ

2011-10-07 00:10:20 | ボランティア
正直なところ4ケ月ぶりに被災地に入り

ボランティアを再開するつもりでした。

今度の連休もそのつもりだったけど

9月18日に支援物資を運んでから

ボランティアセンターの空気の違いから

その気持ちは萎んでいる。

確かにお盆休みからシルバーウィークまでは

ボランティア人数も多くて現地スタッフの負担も多かっただろう。

全国の社会福祉協議会の応援で成り立っているボラセンだから

スタッフもボランティア的な気持ちなのだろうか?

いえいえ、彼等・彼女らは公務員であり活動そのものに

給料が出ているのである。

一週間毎に遠方から出張で来ているようなもの。

かたや、一般のボランティアはすべてが無償の奉仕活動です。

意識の差はものすごく大きい。



シルバーウィーク以降、南三陸町のボランティアが激減してるそう。

ちょっと受け入れ体制が合理化しすぎだと思った。

事前にボラセンブログからダウンロードした用紙に記入する受付方法、

支援物資に関してはメールで必要かどうか確認すること。

ボラセンブログではコメント欄が無くなり

一方的に情報が発信されるだけ。。。

5月の頃は現地は何も無かったし、無残な被災地を目の当たりにしたから

関西からも夜通し車を運転した強者もいたけど

そんな緊急性も感じる事も無くなった被災地。

まだまだこの先、数年規模でボランティアの助けは必要だと思うが

高台の仮設住宅で暮らす現地の方と接する事も無く

現地の事務的に仕事をこなすスタッフの態度では

夜行日帰り強行軍までして行く気力は湧きません。


単なる私のワガママかも知れないけど…

南三陸町のボランティアはリピーターが多かったはず。

あの惨状を観て自分が無理してでも力になりたい!

そんな勇気・正義感を持った心の逞しい男達は途中で投げないはず。

ボランティア激減には理由がどこかにあると思います。

まずはこんな私みたいな声をどこかに反映させるべきだと思う。

4~5月の時点ではボラセンブログのコメント欄は

貴重な情報源でもあり交流の場でもあった。

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どうしても…

2011-09-20 00:10:20 | ボランティア
夜の8時過ぎに出発した

連日の猛暑続きで多めに餌をあげてはいるが

家に残した猫の事は常に心配しながら、早めに帰りたい!

そんな気持ちで出発しておりますwww


首都高中央環状線 平井大橋から高速に乗る。

今回初めて高速代が無料になる手続きをしてあるので

首都高\700と東北道\8,500の高速代金(片道料金です)が浮いた。

出発してから200kmを超えて1回目の休憩をする。

350km位で燃料を給油して小雨の中の夜の高速を走り続けた。

仙台を過ぎると長い登り坂が続き5速で80km巡航から60km位まで

速度が落ちてしまい4速にシフトダウンしてスピードを戻す。

荷物を積載してると非力なガソリンエンジンは情けないwww

長者原SAに午前2時に到着して仮眠をする(ここまで400km6時間)


珍しく熟睡して空が明るくなり始めた5時に食堂でラーメンとカレー丼のセットを喰う。(被災地では食べられる時に食べておくのが鉄則でした)

10km程走れば若柳金成IC、そこから1時間位で南三陸町に到着した。

旧志津川町から国道45線を北上し高台にある町が無事に残っている。

ベイサイドアリーナと言って大きなイベントが出来る体育館。

この建物が地域最大規模の避難所でもあったのは5月8日に初めて来た頃まで。

朝の7時に到着したが支援物資を下ろすのは職員が出勤する9時だろう。


駐車場には日本各地から駆け付けて来たボランティアの方の車がズラリ

隣の山形ナンバーの方が話しかけてきた。

天童市から毎週のように通ってると言う。

本業はサッシ屋さん。ボランティアでは草刈や樹木の伐採をやるそうだ。

「ここではエンジン式の刈払機やチェーンソーを使うんですよ!」

移動もそれぞれのマイカーを利用する南三陸町です)^o^(

本来なら事故があってはいけないと禁止事項の多いボランティア活動だが

ここではそんな事を言ってたら何も出来なくなってしまうwww

それだけに皆、逞しい人が集まるように思います。

ボランティアの受付は8時30分からなので続々と車がやって来る。

団体やツアーのバスも多い


以前は避難所になっていた大きな建物に初めて入る。

9月11日の合同慰霊祭が行われるまでは支援物資の集積所でもあった。

建物内の壁には身元不明の遺体情報が貼り出してある。

推定年齢、性別、着ている衣服、手術跡等の情報から身元を割り出せればよいが中には上半身だけの遺体とか内容もすごいです…

以前の街の写真と現在を比較する写真からは

それまでの人々の生活が消えて無くなった事を物語っていた。


ボランティアが出発してからボランティアセンターに飲み物とカップ麺を数ケース支援物資として渡す。瓦礫を入れるプレコンバックはボラセンブログから要請があったので応じております。

ベイサイドアリーナ裏手の資材置き場にОSB合板を一人で手下ろしした頃には大汗でシャツもビショビショになるほど、この日は暑かった

「今度はボランティアで又来ます!」

ボラセンスタッフにそう言い残して10時には出発

現地滞在3時間の弾丸ツアーみたいなものだった


高速道路上の温度表示では11時25分現在34℃となっていた

荷台のシートが風でめくれそうなのでSAでゴムチューブで押さえた。

町会長から預かった衣類、食器類、バック等は持ち帰っている。

これは仮設住宅での生活に移行して、休日は役所の担当者に交渉出来なかった為。

確認不足でした。


帰りの高速の運転は睡魔との闘いでもある。

東北在住の方は高速が無料との事もあり交通量も事故も多いです。

しかも宮城県・福島県と土地勘が無いだけに余計に遠く感じる

急がないと3連休の夕方の渋滞に巻き込まれるから飛ばした。

眠くなるので我慢したかったけど、途中喜多方ラーメンを貪る

辛味噌ネギラーメンでもうひと頑張り出来そうな気がした

栃木県内に入れば家がぐっと近づいて来る。


夕方5時30分に無事に帰り着いた。

カーナビの音声で

「およそ7時間25分掛かりました、お疲れ様でした

と言ってもらえる。

総走行距離970km 燃料給油3回\16,000位。

疲労困ぱい「もう二度と行かねぇ!」と誓うのである。

でも二週間位の時間が経過すると次の計画を練っていそうです

どうしよう?


長々と読んでくださり有り難う御座います







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