絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

絵を学ぶということ

2011-08-17 | 絵のこと
今日、中川一政という画家の本を読んでいたら、絵は習ってはならないと書いてあった。
読解力の問題があるので、私の受け取り方に誤解があるかもしれないが、言葉通り受け取れば、私のように絵を教えていることは、正に批判の対象になりそうだ。

私は、中川一政という画家は、結構好きな画家である。だから、その本の中で言わんとすることは、大まかわかるつもりだし、一理あるとも思っている。
しかし、習ってはならないという言葉を聞くと、さあ、どうかなと思う。

理由として、最初の人は誰に教えてもらったのか?とあった。
みんな自分でつかんだのであると。

そして、自分で掴んだものでなければ本物ではないと続けた。

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私は、過去の先輩たちが発見したり、発明したりしたものを学んで、それを使うことが、自分のものではないから、偽物だとは思わない。過去の先輩たちに敬意を示して、必要があれば、有難く使わせてもらったらよいと考える。

だから私は高校一年生に、地面を平らに描きたかったら透視図法を学ぶといいよと教える。
この遠近法を教えることを、あまり良くないと思う人もいるらしい。しかし、そう言いながら、批評会になると、「君の絵は、大地のしっかりした平らな感じが感じられないね」などという言葉が飛び出す。

中川一政に言わせれば、それは自分で掴みとることが本物なのだから、教えてはならないということになる。果たしてそうだろうか。

もし、そうなら、レオナルドのような天才でない限り、その大地の平らさを描くことは、自分の与えられた人生というスパンの中では、到底実現できないことになってしまう。

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人から教えてもらうのではなく、自分で掴むことが大切だということは、賛成したい。
大切にするべきだろう。

しかし、すべてをそうでなければならないとなると、賛成しかねる。

厳密に言えば、「自分で掴む」とはどういうことだろうと考えてみるのも良いかもしれない。



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