とあるシリーズについて調査してみたところ、強さのインフレが起こっていてびっくりである。
以前グラント・モフ・ターキンの方がデス・スターの運用権限を持つという意味で「とあるシリーズ」より強いのではないかと書いたが、なんかもう銀河とか世界とか別世界とか巻き込んでのインフレになっている。
これでは、グラント・モフの有力者ターキンや、ダース・ベイダー、さらにその上位のパルパティーン皇帝すら力の及ばないレベルである。
パルパティーンの師ダース・プレイガスも、フォースを操り生命を誕生させるところまではできていても、「しょせんはそこ止まり」であり、銀河や宇宙のその先の大きさの異世界を含むスケールにはついていけない。
もちろん、銀河外から攻めてきたユージャン・ヴォングに苦戦するような新共和国やルークでは歯が立たないであろう。
私のシリーズ映画ものの興味はゴジラ、スター・ウォーズ、指輪物語であるが、
核の申し子ゴジラとて、より大きな科学の代償「オキシジェンデストロイヤー」によって倒される、ないし内部核が暴走して地球道連れ程度である。
指輪物語で力の上位を考えると、ナズグルとイーブンなレベルでカラフル魔法使い(ナズグルは元人間であるので種族の立場が違うが)、魔法使いを統べていたのがサルマン、それを従えたサウロン、その上位にあたるモルゴスとくるが、モルゴスもヴァラールの中で最も力が強いレベルであった。彼らが音楽を奏でてアルダ(世界)を創り、この音楽の主題を示したのがイルーヴァタール(全知全能の神)である。
というわけで、急激な力のインフレを続けている「とあるシリーズ」は現段階においてゴジラ、スター・ウォーズを超えて、指輪物語のイルーヴァタールのレベルに来ていると考えてよかろう。
しかし、ライトノベルでこのような急激な力のインフレはあまりよろしくない傾向なので、そろそろ店じまいの方法を模索する必要もあるかもしれない。
なお、たとえ「スペック比」で及ばなくても、それぞれの作品には各々の深みがあり、それを愛するファンの力も忘れてはならない。
例えスペックで「とあるシリーズ」の神レベルの存在に我らがゴジラがかなわなくても、なおゴジラは無敵の存在であり、スクリーンで東宝自衛隊を叩きのめし、ライバル怪獣を倒していることで良いのであるし、白の魔法使いとなったガンダルフがアングマールの魔王とミナス・ティリスで対峙する場面の迫力は少しも色あせない。
逆に言えば、だ。我々の趣味の領域からも「とあるシリーズ」に茶茶を入れるのも筋違いであり、ふさわしくないファンともいえよう。
しかしまた、異種分野の融合によって新たな世界が創造されること、それには対立も伴うことは「この宇宙」では道理というものである(詳しくは膜宇宙論参照(ホーキングは否定している部分だが))。
そのようなわけで、多くの失敗発明家が行う共通項ともいえる、「異なるものを融合させる」ということは楽しく、そこにアスペルガー的定義判定を行うことが私の愉悦の一つでもある。
いやほら、食蜂操祈 vs ゾーリン・ブリッツ中尉とか、能力がかぶっている分、想像すると楽しくないか?
もしガンダムな太陽系に銀河帝国軍が攻めてきたらどうなるのか、どのぐらいの戦力比なら拮抗するのか、
フォースが弱ってしまったベイダー vs 半ニュータイプなシャアとか、
とあるシリーズ学園都市に迫るゴジラとか、
戦闘力53万のフリーザに対抗するHoI2の完全充足5個師団5個旅団とか、
戦意をくじく程度の能力を持つナズグルの幻想郷入りとか。
大体自分の好きな方を贔屓してしまうのだが、それすらもまた割り切れば楽しいものである。
以前グラント・モフ・ターキンの方がデス・スターの運用権限を持つという意味で「とあるシリーズ」より強いのではないかと書いたが、なんかもう銀河とか世界とか別世界とか巻き込んでのインフレになっている。
これでは、グラント・モフの有力者ターキンや、ダース・ベイダー、さらにその上位のパルパティーン皇帝すら力の及ばないレベルである。
パルパティーンの師ダース・プレイガスも、フォースを操り生命を誕生させるところまではできていても、「しょせんはそこ止まり」であり、銀河や宇宙のその先の大きさの異世界を含むスケールにはついていけない。
もちろん、銀河外から攻めてきたユージャン・ヴォングに苦戦するような新共和国やルークでは歯が立たないであろう。
私のシリーズ映画ものの興味はゴジラ、スター・ウォーズ、指輪物語であるが、
核の申し子ゴジラとて、より大きな科学の代償「オキシジェンデストロイヤー」によって倒される、ないし内部核が暴走して地球道連れ程度である。
指輪物語で力の上位を考えると、ナズグルとイーブンなレベルでカラフル魔法使い(ナズグルは元人間であるので種族の立場が違うが)、魔法使いを統べていたのがサルマン、それを従えたサウロン、その上位にあたるモルゴスとくるが、モルゴスもヴァラールの中で最も力が強いレベルであった。彼らが音楽を奏でてアルダ(世界)を創り、この音楽の主題を示したのがイルーヴァタール(全知全能の神)である。
というわけで、急激な力のインフレを続けている「とあるシリーズ」は現段階においてゴジラ、スター・ウォーズを超えて、指輪物語のイルーヴァタールのレベルに来ていると考えてよかろう。
しかし、ライトノベルでこのような急激な力のインフレはあまりよろしくない傾向なので、そろそろ店じまいの方法を模索する必要もあるかもしれない。
なお、たとえ「スペック比」で及ばなくても、それぞれの作品には各々の深みがあり、それを愛するファンの力も忘れてはならない。
例えスペックで「とあるシリーズ」の神レベルの存在に我らがゴジラがかなわなくても、なおゴジラは無敵の存在であり、スクリーンで東宝自衛隊を叩きのめし、ライバル怪獣を倒していることで良いのであるし、白の魔法使いとなったガンダルフがアングマールの魔王とミナス・ティリスで対峙する場面の迫力は少しも色あせない。
逆に言えば、だ。我々の趣味の領域からも「とあるシリーズ」に茶茶を入れるのも筋違いであり、ふさわしくないファンともいえよう。
しかしまた、異種分野の融合によって新たな世界が創造されること、それには対立も伴うことは「この宇宙」では道理というものである(詳しくは膜宇宙論参照(ホーキングは否定している部分だが))。
そのようなわけで、多くの失敗発明家が行う共通項ともいえる、「異なるものを融合させる」ということは楽しく、そこにアスペルガー的定義判定を行うことが私の愉悦の一つでもある。
いやほら、食蜂操祈 vs ゾーリン・ブリッツ中尉とか、能力がかぶっている分、想像すると楽しくないか?
もしガンダムな太陽系に銀河帝国軍が攻めてきたらどうなるのか、どのぐらいの戦力比なら拮抗するのか、
フォースが弱ってしまったベイダー vs 半ニュータイプなシャアとか、
とあるシリーズ学園都市に迫るゴジラとか、
戦闘力53万のフリーザに対抗するHoI2の完全充足5個師団5個旅団とか、
戦意をくじく程度の能力を持つナズグルの幻想郷入りとか。
大体自分の好きな方を贔屓してしまうのだが、それすらもまた割り切れば楽しいものである。