はじめてのマンドリン

ある日突然、マンドリンの音色に恋をした
初めて手にした時から、ささかやかな感動を綴っています

守破離

2020-11-15 13:48:53 | マンドリン
先日の、クラーラ練習終わりに行ったランチの際、
いろんなお話に花を咲かせてた中で、、どういう流れでその話になったのか?
前後があいまいな感じなのだけれど・・・

私が、先生のレッスンに初めて行った時に、先生のお話の中に、
言葉は、正確には覚えていないけれど、
まずは、心をまっさらにして、全て信じて受け入れ、その習得に努力してみることを
してください。。みたいなことを言われました。
レッスンを受ける際の、心構え、、なのだろうと、理解しました。

そして、先生の教則本のはじめに書かれていることだ~とも思いました。

余談ですが、私は、マンドリンを始めて間もない頃、倉敷でレッスンを受けていたことがあって、
そのレッスンで使っていた教則本が、先生の書かれたものだったので、その「はじめに」を
読んで、とても感動した記憶がありました。


そんなお話を、ランチの際に、したら、
「それは、『守破離』の考え方ですよね~」と、教えてくださったのでした。
私には、初めて聞く言葉でしたが、その言葉のことを教えていただいたら、
まさに、先生は、その考え方で教えられているのかなぁ~なんて思ったのでした。

Wikiで調べてみると、(引用させていただきました)

守破離(しゅはり)は、
日本の茶道や武道などの芸道・芸術における師弟関係のあり方の一つであり、
それらの修業における過程を示したもの。
日本において芸事の文化が発展、進化してきた創造的な過程のベースとなっている思想で、
そのプロセスを「守」「破」「離」の3段階で表している。

もとは千利休の訓をまとめた『利休道歌』にある、
「規矩作法 守り尽くして破るとも離るるとても本を忘るな」を引用したものとされている。

修業に際して、まずは師匠から教わった型を徹底的に「守る」ところから修業が始まる。
師匠の教えに従って修業・鍛錬を積みその型を身につけた者は、
師匠の型はもちろん他流派の型なども含めそれらと自分とを照らし合わせて研究することにより、
自分に合ったより良いと思われる型を模索し試すことで既存の型を「破る」ことができるようになる。
さらに鍛錬・修業を重ね、かつて教わった師匠の型と自分自身で見出した型の双方に精通し
その上に立脚した個人は、自分自身とその技についてよく理解しているため既存の型に囚われることなく、
言わば型から「離れ」て自在となることができる。
このようにして新たな流派が生まれるのである。

「本を忘るな」とあるとおり、
教えを破り離れたとしても根源の精神を見失ってはならないということが重要であり、
基本の型を会得しないままにいきなり個性や独創性を求めるのはいわゆる「形無し」である。
無着成恭は「型がある人間が型を破ると『型破り』、
型がない人間が型を破ったら『形無し』」と語っており、
これは十八代目中村勘三郎の座右の銘「型があるから型破り、型が無ければ形無し」としても知られる。

個人のスキルを表すため、茶道、武道、芸術等、あるいはスポーツや仕事等々において
様々な成長のプロセスに用いることが出来、以下のように当てはめることができる。

守:支援のもとに作業を遂行できる(半人前)。 ~ 自律的に作業を遂行できる(1人前)。
破:作業を分析し改善・改良できる(1.5人前)。
離:新たな知識(技術)を開発できる(創造者)。


勉強になりました~。
まずは、1人前になれるよう、素直な気持ちで、努力しようと思います。

この、「素直な気持ちで」というのは、とても大事だな~と思っていて、
「そんなこと言われたって、できひんもん」なんて、内心反抗的な気持ちでいると、
なかなか練習がうまくはかどらなかったりするものですから(苦笑)

今は、それと合わせて「自分で考えること」も、根気強く教えていただいている気がします。
いつも、あまり何も考えていない私なので、心構えについては、意識的に、、心したいと思います。
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