娘が幼稚園に行くようになって2か月半。
まだ「行きたくない」という言葉は発しない。
自身はじめて登園したときは教室の入り口で泣きながらわめいて抵抗したから、僕とは大きく異なるわけだ。
その点妻も同じで、いやで仕方なかったらしい。
ただ僕と妻が違うのは妻はたったひとつだが幼稚園に楽しみがあったこと。
給食の時間が大好きで、昼休みの度に、給食のおばちゃんに「美味しかったよ」といいにいったり、帰りもわざわざ「今日の~は美味かったぁ」と大きな声で告げ、妻の母親を恥ずかしがらせていたらしい。
こうなってみると娘は僕にも妻にも似ていないことになる。
そこでどうしてこうなってしまったのかと訊いてみた。
「幼稚園好き?」
「うん」
「どこが?」
「ピアニカの時間」
なるほど音楽が好きというのなら僕似かも喜んだ。やっぱりDNAレベルで抗いがたい宿命的類似があるのだと。
しかしそれはぬかよろこびだった。
「どうしてその時間が好きなの?」とたたみかけると、「だって次がお弁当なんだもん、たのしみでたのしみで」
・・・
妻似だった。。。
まだ「行きたくない」という言葉は発しない。
自身はじめて登園したときは教室の入り口で泣きながらわめいて抵抗したから、僕とは大きく異なるわけだ。
その点妻も同じで、いやで仕方なかったらしい。
ただ僕と妻が違うのは妻はたったひとつだが幼稚園に楽しみがあったこと。
給食の時間が大好きで、昼休みの度に、給食のおばちゃんに「美味しかったよ」といいにいったり、帰りもわざわざ「今日の~は美味かったぁ」と大きな声で告げ、妻の母親を恥ずかしがらせていたらしい。
こうなってみると娘は僕にも妻にも似ていないことになる。
そこでどうしてこうなってしまったのかと訊いてみた。
「幼稚園好き?」
「うん」
「どこが?」
「ピアニカの時間」
なるほど音楽が好きというのなら僕似かも喜んだ。やっぱりDNAレベルで抗いがたい宿命的類似があるのだと。
しかしそれはぬかよろこびだった。
「どうしてその時間が好きなの?」とたたみかけると、「だって次がお弁当なんだもん、たのしみでたのしみで」
・・・
妻似だった。。。