Feelin' Kinda Lucky

ちょっと書いとこう・・・・

へーシンクの右手 ー柔道にみる忘れられたニッポンの原点ー

2012年08月11日 | Sports & Entertainment

ロンドン五輪柔道で金メダルゼロに終わった柔道競技監督の弁。

「応援してくれた皆さん、一番には選手に申し訳ない。私の責任。外国勢は金を取りたいという意欲がすごい。メンタル的なところをしっかり強化すべきだった。五輪に向ける思いが空回りした。選手たちはよくやってくれた。技術的にも日本が負けているとは思えない。選手の選抜のしかたにも問題があった。」

で、この監督とこの監督を配した柔道連盟の強化委員長はこの体制でリオ五輪も臨むと早々に宣言したそうで、そうなると残念ながらリオ五輪も期待できそうにない。

この二人の指導者、選手が金メダル以外だと知らん顔して表彰式も見ずに観客席から退散したらしい。

「私の責任」というと一見、腹を括っていて 潔さそうに見えるが、指導者として優れた実績を残す人はこんなことは口に出さない。

この言葉 どこかで聞いたなあと思ったら 今の総理大臣も 「私の責任」 を軽々と連発する。

たとえば大飯原発の再開に関して 「私の責任で再開を判断する」といった。これはおかしなことである。 再開してその後 万一事故があって人の命や健康が失われたりして私の責任です と言われ辞職しようが 昔のサムライのように切腹しようが 何も戻らないのである。

「私の責任で」 という場合は 責任をとる人が その際に失敗した損失を補償できる時だけ使う言葉である。私はそう考え、昔から仕事においても やたらと「私の責任」をあえて口にしなかった。

 

話は戻って 柔道・・・

子供の頃、柔道を習った。 柔道の基本姿勢たる組み手は 右手で相手の前襟をつかみ、左手で相手の肘あたりの袖をつかむ。

はじめ!のかけ声でまずこの組み手を相互に組んで試合が始まる。子供の柔道だろうが、たとえ五輪のような国際大会だろうがどんな試合でもこれが当たり前だった。(東京五輪の柔道競技のフィルムを見るとよくわかる)

しかしいつの間にか 本来の柔道と言うより 柔道着を着たアマチュアレスリングのような 時にはボクシングのような今日のスタイルになった。 さらにその変化に伴い 白黒つけづらい判定の難易性に対処すべく ご都合主義的な妙な判定のしくみが積み上がり 実に不可解な判定の多い競技になってしまった。

こんな柔道に誰がした? と問うなら 答えはずばり 責任は日本にありだ。 柔道の国際化されて半世紀以上が経つが、その間、急に今日のようになったわけでなく 本来の柔道と徐々に少しづつかけ離れていったはずだ。

大切だったことは そのつど、「本来の柔道とは違う そんな変化は柔道にあらず!」 と断固として是正することだった。 そうすることで 「本筋」を守れたはずである。

その「本筋」は日本だけしかわからなかったはずなのに それを怠り 軌道の逸れを修正できなかった日本の柔道界にある。

いつしか じわりじわりと 柔道は姿を変えてしまった。 

 

しかし 考えるてみれば なんか日本そのものの縮図に見えてくる。・・・・ 外圧に弱い断固たる基軸のない国民性 まるで政治と一緒だ。

日本人は こうした"ブレ"る性質によって 古来からの良いモノをじわりじわりと失っていることに 気づいているのだろうか?

 かつて 柔道の創始者、嘉納治五郎は五輪を日本で行い、柔道を正式な五輪競技にするために尽力し、世界各国に指導者を送り込んだ。

その中の一人に 道上泊 と言う人がいた。氏はフランスを拠点に柔道の普及にあたっていた。あるときオランダで背の高いヒョロッとした選手を見いだす。とにかく稽古熱心ですばらしい才能を持ちあわせていたこの20才の建設作業員の男を指導しようとしたが、オランダの関係者からこの男は貧しい下層階級だから指導に値しないと言われた。それならなおさら指導したいと、柔道の技術だけでなく、筋トレから先鋭的な体力作りの手法まで教授。心技体すべてに渡って鍛え上げた。

この男が後の東京五輪で無差別級の金メダリストのアントン・へーシンクである。

1964年10月23日 わたしは生放送でへーシンクのこの試合を見た。東京五輪は軽量・中量・重量・無差別の四階級で競技が行われ、軽量~重量まで日本は当然のごとく3つの金メダルを取得し、最終日の無差別級の試合を迎える。日本中が注目する中、神永選手は打倒へーシンクを目指したが、残念ながら押さえ込みで敗れる。(実は神永は直前に膝の靱帯を断裂していた)この結果に柔道関係者のみならず日本中が愕然とした。

へーシンクは押さえ込みで勝利した瞬間に、喜んだオランダ人が道場内に入り込むのを右手で制し退出させる。この場面はほぼ半世紀経った今でも目に強く焼き付いている。そして所定の位置に戻り、きちんと帯を直し礼をする。その後、へーシンクは神永に両手で握手を求め軽く礼をする。神永も笑顔で勝者をたたえ背中をたたき抱き合う。 そこにガッツポーズも喜びの表情さえない。

礼に始まり礼に終わる柔道の基本を実践したへーシンクは 道上泊の教えのもと 心技体すべてにおいて 本来の柔道の精神を実践した最初の外国人である。

 

実はこの試合、道上泊は 試合会場の日本武道館の客席で観戦していた。彼はこの試合を複雑な感情で見ていたらしい。そして生涯この試合の感想を人に言わなかったそうだ。

日本柔道の建て直し論は 私の知るところでないが ひとつ言えることは 残念だが 今更 本来の柔道には戻せないだろうということ。 すなわちこの変な?かたちの柔道の中でどう戦い勝てる選手を育て上げるかを科学して実践していくしかないだろう。 柔道関係者にとって必要なことは 責任をとるとか、反省などという精神論でなく 初心に返り まずは どう出直すか から考え、目標の実現へ具体化する体制を整えるしかない。 柔道も相撲にも思うが 協会関係者やマネジメントを担う人は これまでのように競技で実績を上げた人が要職に就く習慣を廃し 勝てる選手を育成できるためにどういう指導者が必要かを見直す必要があるだろう。ロンドン五輪の水泳選手はノビノビと闘い本番で力を発揮し、結果多くのメダリストが生まれた。ヘッドコーチの平井氏は水泳選手としての実績はないが、指導のプロフェッショナルとして多くの優秀な選手を育ててきた。今日スポーツで良い結果を出すのは、根性と気迫だけではダメだ。科学的な分析にもとずいた適切な方法の練習の積み重ねと本番で力を発揮する精神管理が必要だ。


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