Feelin' Kinda Lucky

ちょっと書いとこう・・・・

おつりはピカピカの5円玉・・・

2012年08月11日 | trip

軽井沢に1970年代に開業した「茜屋珈琲店」 

学生の頃 夏休みに友人たちと軽井沢に行くと 一度だけ入った。どうして一度だけかというとここではコーヒー1杯が495円だった。ちなみに1970年代中盤のコーヒー1杯の相場は150~200円だったので学生にはとんでもない高額なコーヒーだったわけだ。そのかわり、最高級の豆と水を使い、こだわったドリップ方法で入れ上質なコーヒーカップで提供されるコーヒーの味は、落ち着いた黒っぽい木のカウンターとBGMのバロック音楽と相まって異次元のモノだった。年に一度の価値は十分にあった。

いまでも忘れられないのが 500円を支払うと 必ずピカピカに輝く未使用の5円玉でおつりをくれることだ。

驚いたことに確か9,990円のコーヒーの席もあった。メニューは珈琲だけでなく、看板にも記載された ”高いがうまいお菓子” (確かパウンドケーキ? )や ピカピカに磨かれた冷たいグラスで頂くココアやグレープジュースもあった。他の一般的な喫茶店とは一線を画していた。

もともと神戸三宮にお店があったようで ご主人は 物腰の柔らかい 関西弁の初老の方だった。ご主人が使う関西弁を聞くのが楽しかった僕らはよくご主人のマネをして ”ぬくいコーヒーいれまっせ” なんて言って笑いのネタにしていた。

実はこのご主人、後年 軽井沢在住の作家 内田康夫の小説 軽井沢殺人事件に コーヒー屋の主人 草西老人のモデルになった。 (草西は 茜の字をバラしたわけだ)

避暑で滞在中のジョンレノンとオノ・ヨーコが店に来たが身なりが汚くウチの店にはそぐわないと追い返したという逸話もある。

最終的に神戸から軽井沢に移住されたが、惜しくも67才で亡くなられたそうだ。

いまではその時から ご主人といっしょにお店を切り盛りしていた方 (実は勝手に息子さんだと思っていたがちがった)が引き継いでここ軽井沢で一年中お店をやっておられる。

ご主人に昔の写真を見てもらったら 1975年の7月と言い当てた。 一緒に写っている従業員がいたのがそのころで 隣接する店からこの2号店に移ったばかりで 一晩かけて引っ越しをした思い出があるのですぐわかったようだ。 

(掲載した友達には許可を得ていないが今ではみんな変わり果てて?誰だかわからないから勘弁してね!)

久しぶりにお会いして昔の写真とほぼ同じアングルで記念撮影。店内のカウンターや棚は当時のまま。椅子の皮は張り替えたそうだ。ご主人の笑顔も当時のままだ。変わったのはアタシの体の幅だけ。

通り変わらずドリップで丁寧に淹れられるコーヒーは現在1杯735円と品質と雰囲気からすればとてもリーズナブル。
 

これは隣接の移動したお店。雰囲気は変わってない。

 
 
昔お店の前のとびらで ふざけて ”あかね~や”! この写真は1年前の1974年。第1号店だと思う。

 

思えば、軽井沢の旧道も僕らの幼少や青春時代の味わいの深いいいお店がほとんどなくなってしまったけれど、こうして37年の時を経ても 変わらないものがあることがうれしいね。

この仲間もみんなもうチョットで定年。

店のご主人に「定年になったらみんな連れてきて、あの時と同じ写真を撮りたいですね」 というと 

「是非皆さんで来て下さい。お待ちしています!」と笑顔で送ってくれた。

 


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