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池田先生の会長就任60周年 青年部が原田会長に聞くⅡ部〉第2回 地球を照らす創価の平和運動㊥

2020年05月20日 | 妙法

〈池田先生の会長就任60周年 青年部が原田会長に聞くⅡ部〉第2回 地球を照らす創価の平和運動㊥  2020年5月14日

  • 〈出席者〉西方男子部長、大串女子部長、樺澤学生部長、林女子学生部長
  • 「国連支援」も戸田先生の構想――
  • 弟子の道を貫く池田先生の行動
  • 〈出席者〉西方男子部長、大串女子部長、樺澤学生部長、林女子学生部長
  • 「国連支援」も戸田先生の構想――
  • 弟子の道をつらぬく池田先生の行動
世界が創価の師弟の闘争を賞讃

 ◆大串 前回、池田先生が1975年(昭和50年)1月にニューヨークの国連本部を訪問され、国連事務総長に青年部が進めた「核廃絶一千万署名簿」を提出された話を伺いました。この折、先生は、「国連を守る世界市民の会」の創設を提唱されています。
  
 ◇原田 なぜ先生が国連支援を貫かれているのか。それは、戸田先生の遺言の一つでもあるからです。戸田先生は生前、語られていました。「国連は、20世紀の英知の結晶である。この希望の砦を、次の世紀へ断じて守り抜き、大きく育てていかねばならない」と。
 池田先生の行動は、こうした恩師の構想を実現するためのものでもありました。
 82年6月には、国連本部の総会議場のロビーで「核兵器――現代世界の脅威」展が開かれました。開催の背景には、その前年夏に行われた池田先生と国連の明石康事務次長(当時)との会見があります。お二人は意見交換を重ねる中で、国連本部での開催の着想を育まれたのです。

 

 
“核の脅威展”を170万人観賞

 ◆西方 同展は、第2回国連軍縮特別総会の開会に合わせて、学会と国連広報局、広島市、長崎市の共催で行われています。
  
 ◇原田 学会側は、当時の青年部を中心に、原案の作成に取り掛かりました。最大の難関は、その原案が国連の展示委員会の厳格な審査を通過するか否かでした。
 展示の意義の第一は、広島・長崎の被爆の実態を、国連で初めて展示できるということです。過去に、広島市と長崎市が“原爆写真展”の開催を国連に申し入れたことがありましたが、実現できませんでした。
 国連は、各国の利害の着地点を見つける「調整役」とならざるを得ない現実があるだけに、展示委員会でも各国への配慮は大変なものがありました。明石事務次長からは、「3分の2はカットされることを覚悟して、はじめから十分な量の準備を」と要請されるほどでした。
 学会は約3カ月間、多くの学者やジャーナリスト、平和運動家、国連関係者などから貴重な示唆を得ながら、万全を期して原案を作成しました。展示は3部構成で、広島・長崎の惨状だけでなく、核の脅威と軍縮を強く訴える内容となりました。
 学会の代表は原案を携えてニューヨークへ行き、明石事務次長に提出。そして約1カ月間、展示委員会からの修正を加え、再提出を繰り返しました。
 最終的には、“許可されないのではないか”と、一番懸念されていた広島・長崎の被爆の実態についての部分だけは、1カ所も削られることなく承認されたのです。

 

国連本部で開かれた“核の脅威展”を、当時のデクエヤル国連事務総長(左から2人目)が観賞(1982年6月)                
国連本部で開かれた“核の脅威展”を、当時のデクエヤル国連事務総長(左から2人目)が観賞(1982年6月)                
             

 ◆西方 “核の脅威展”は、第2回国連軍縮特別総会の期間中、約1カ月間、国連本部のロビーで行われました。当時のデクエヤル国連事務総長をはじめ、国連関係者やNGO関係者、総会に参加した各国大使ら、さらに20万人を超える世界の人々が見学に訪れ、大反響を呼んだと聞いています。
  
 ◇原田 当時、国連は強い緊張感に包まれていました。イギリスとアルゼンチンによるフォークランド紛争が勃発し、開会式の日も、安全保障理事会での協議が続いていたのです。
 そうした多忙を極める中、デクエヤル事務総長が訪れ、予定していた「5分」の見学時間が「30分」に延びるほど、丹念に展示を見学されました。そして、興奮した面持ちで語られたのです。
 「この展示を、総会期間中に集まる世界各国の大使、公使、外交官に全部、見せるようにしたい。充実した内容は、ぜひ何らかの形で小冊子にして配ってほしい。今回の展示に対する創価学会の貢献に感謝します!」と。
 なお、デクエヤル事務総長は、その2カ月後の8月に来日された折に池田先生と会見され、その後も交流を重ねられました。
  
 ◆樺澤 この“核の脅威展”は、「世界軍縮キャンペーン」の採択に大きなインパクトを与えたと高い評価を得ました。
  
 ◇原田 キャンペーンの一環として、同展は第3回国連軍縮特別総会(88年5月31日開幕)まで世界を巡回しました。核保有国はもとより、イデオロギーや社会体制の異なる各国でも展示され、核軍縮・廃絶への世論を喚起したのです。
 96年(平成8年)6月からは、「冷戦後」の時代状況に即して内容を一新し、「核兵器――人類への脅威」展として再開。合わせて、世界24カ国39都市で170万人に観賞され、学会が平和意識の啓発に大きな役割を果たしていったのです。

 

仏法者として人道問題に尽くす
 

 ◆林 こうした活動を国連も高く評価し、池田先生に「国連平和賞」(83年)が贈られています。また先生は、「国連栄誉表彰」(88年)、「平和貢献・国連事務総長表彰」(89年)などを受けられています。
  
 ◇原田 89年には、スイスのジュネーブで国連難民高等弁務官事務所の「人道賞」も先生に贈られました。これは、先生のリーダーシップにより、学会が長年、難民救援活動を続けてきたことをたたえたものです。
 その折、先生は、あいさつの中で、「仏法者は即ち人道主義者でなければならない。ゆえに私は仏法者として、平和のために、人道問題のために尽くしていきたいと決意し、抽象論でなく、具体的に行動してきたつもりです」「現代世界の直面しているさまざまな問題解決へ更に力を尽くしていく所存です」と述べられました。
 また受賞後には、「今回の『人道賞』は、私個人に与えられたものではない。これは、学会の平和委員会の活動と連動し、青年部が仏法者として進めてきた献身的な人道活動の結実であり、私どもの活動に対する一つの世界的な評価と受けとめたい」とも語ってくださっています。
  
 ◆大串 先生は“世界最古の総合大学”と呼ばれるイタリア・ボローニャ大学での講演(94年)でも、国連の存在が極めて重要であると強調されました。
  
 ◇原田 「レオナルドの眼と人類の議会――国連の未来についての考察」と題する記念講演の中で先生は、国連を軸にした新たなグローバルな秩序形成のため、それを担う「世界市民」の輩出が重要であることなどを訴えられました。
 2年後の96年6月には、ニューヨークのカーネギー・ホールで行われた「世界青年平和文化祭」に出席され、当時、国連児童基金(ユニセフ)の執行理事会議長だったチョウドリご夫妻と出会い、交流が始まります。
 そして2006年、先生は、国連事務次長になられたチョウドリ氏に「世界が期待する国連たれ――地球平和の基軸・国連の大使命に活力を」と題する国連提言を手渡されたのです。
 提言では、「戦争の文化」から「平和の文化」へと転換しゆく、グローバルな「対話の場」としての国連の大使命を強調され、核軍縮・廃絶、青年の参加、世界の諸大学とのネットワークの形成などをテーマに具体的な諸改革を提唱。そして、核軍縮を巡る停滞を打開するために、「核廃絶へ向けての世界の民衆の行動の10年」を制定することを呼び掛けられたのです。
 この提言をもとにSGIでは、戸田先生の「原水爆禁止宣言」50周年となる07年9月から「核兵器廃絶への民衆行動の10年」を開始しました。

 

ICANの母体となったIPPNWのラウン会長と再会を喜び合う池田先生(1989年3月、旧聖教新聞本社で)
ICANの母体となったIPPNWのラウン会長と再会を喜び合う池田先生(1989年3月、旧聖教新聞本社で)
 
草の根レベルの取り組みさらに

 ◆西方 17年にノーベル平和賞を受賞したICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)とSGIとの交流も、その頃から始まります。ICANの母体であるIPPNW(核戦争防止国際医師会議)と学会の親交が背景にあったからです。そのIPPNWを共同創設し、1985年にノーベル平和賞を受賞したバーナード・ラウン会長と池田先生の初めての出会いは、モスクワでの“核の脅威展”(87年5月)であったと伺っています。
  
 ◇原田 その通りです。そして2回目の出会いが89年3月、ラウン会長が先生のもとを訪れ、核兵器廃絶に向けた努力を約し合い、さらに深い友情が結ばれました。
 この年の10月には、もう一人の共同創設者のミハイル・クジン会長(ソ連)とも大阪で会談されています。
 その後、SGIは国連本部で「戦争と平和」展をIPPNWと共同で開催。さらにSGIの代表がIPPNWの世界大会に参加し、池田先生が同大会にメッセージを贈るなど、両団体は核兵器のない世界を目指すパートナーとして、長年にわたり協力を重ねてきました。
 2007年にICANが発足後、学会本部を訪れた当時のティルマン・ラフ議長から国際パートナーとしての協力要請があり、SGIとICANの歩みが始まりました。
 「核兵器廃絶への民衆行動の10年」の一環として、ICANの協力を得て制作された「核兵器なき世界への連帯――勇気と希望の選択」展は、19カ国81都市を巡回。15年には、ICANとSGI等の協力で、「核兵器廃絶のための世界青年サミット」が広島で開かれ、翌年には、サミットに参加した代表らにより、核兵器廃絶を求める青年の国際ネットワーク「アンプリファイ」が誕生するなど、草の根レベルでの平和運動が加速していきました。
 ICANのベアトリス・フィン事務局長がノーベル賞受賞直後に総本部を訪問された時には、私も歓迎させていただきました。受賞を祝福すると、フィン事務局長は、「祝意の言葉をいただき、ありがとうございます。ですが、皆さんもICANですから、私からも“おめでとうございます”と申し上げたいと思います」と語られ、SGIが果たしてきた役割の大きさを強調されていました。
 全ては、池田先生が長年にわたり結んでこられた友情と信頼のたまものなのです。
 元国連軍縮担当上級代表のドゥアルテ氏は、こうたたえています。「SGIは、核兵器を廃絶するために世界各地で展開する多彩な取り組みにおいて、青年に発言権を与え、参加意識を持たせるための、実際的で極めて効果的な方法を見つけてこられました。それゆえ私は、核兵器のない平和な世界のために多大な努力を続けてこられたSGIの池田大作会長を賞讃させていただきたい」と。
 今や世界の識者が創価の平和運動を高く評価し、期待する時代になりました。戸田先生から池田先生へと受け継がれた師弟不二の平和闘争の魂をしっかり継承していきたいと思います。

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