
ぶっちゃけもっと泣くかと思ったけど、ものすごく冷静にみてましたね~。
(ちはやふるで泣くのもどうかと思うんだけどね・・・(^_^;))
余命わずかの青年の前に悪魔が現れて、命を一日ひきのばしてあげるかわりに
この世界から何かひとつモノを消すという。
消すモノは悪魔が決めるわけで自分で選べないのだけども、
「自分の命より大切なモノなんてないでしょ」っていわれて承知したものの、
電話、映画、・・・と消えていくうちに
それを通してつながっていた人々の記憶から自分が消えていき・・・。
たとえば映画。そこにあるセリフだったり、そこで見た主人公の生き様だったり
そういうものが自分の人生を変えることだってあるし、
感想を書いてる自分は顔も名前も知らない誰かに
こうやって呼びかけている、誰かと繋がりたくて、気持ち共有したくて。
何がしかのツールはそれ自体に意味がなかったとしても、いくらでも取って代わるものがあるのだとしても、
それを使って自分が起こしたアクション、共に過ごした誰かとの思い出、
「モノの後ろにある大切なこと」に気がつく作品だったかと思います。
・・・・これ、時計や猫を消してしまったら
そもそも主人公の両親もいなくなって結果自分の存在そのものも消えちゃうんとちがうの?
っていう、ちょっとヾ(・∀・;)オイオイな部分もあって
劇場版は原作を読んだときほどの切なさがなかったんですよ。残念だけど。
ただね、ツタヤ(タツヤだけども)が必死になって
人生最後に見る映画をさがしてあげてるシーンだけはうるうるしました。
あれは感動したな~。やっぱ濱田岳はうまいわ。
あと、父親役の奥田瑛二。もうね~、不器用ですからというかなんというか。
息子目線で見ていれば、妻の危篤状態のときに時計かよっておもうけど、
あれも愛情。カメラを向けながら泣いていたのも本心。うまれてくれてありがとうも
とにかく泣けました・・・そのへんは健くんがきっかけでこの映画をチョイスしたのだとしても(またですか(^_^;))
親の目線でこの作品をみていたんでしょうね。
キャベツのくだりはちょっととってつけたみたいで原作と違ってたのはなんだかな~でしたけどね。
あとね~。トムさんだったかな。かっこよかったな。いや外見とかそういうんじゃなくて
生き方が。
人生最後に日本に帰りたいとか思いませんかって聞かれて
日本には18年いた、それで十分だろってサラっと言えちゃうってのは。
宮崎あおいが「生きてやる~~!!!!!」って予告でも叫んでますけど
ほんとはそこも泣けるところなんでしょうけどね、不思議と冷めた目でみていました。
音楽の盛り上がるとこと自分の泣きポイントはちょっとズレましたね。
お母さんと息子の関係ももっと温かみのあるものだったと思うのですが
お母さんの遺書がありきたりなものになってしまったのは残念でした。
普段は忘れているけど、どんな孤独なひとでも
きっと誰かとつながっているんだってこと思い出させてくれるような作品だったかと思います。
現実が受け入れられなくて泣き喚き絶望し・・・っていうのは大切なひとたちの余命宣告ならば
その気持ちの起伏は半端ないと思いますが
「自分が死に直面する」っていう”キャパオーバーの事態”にはかかえきれなくて
逆にほえ~っとぼーっとしてしまうのかもしれませんね。
淡々としてるな~って最初は思っていたんですが、案外こういうものなのかもしれません。
むしろリアルだったんだなと。
自分の死を穏やかに受け入れられるまでの時間稼ぎをしてくれた悪魔は案外天使かもしれず、
もうひとりの自分かもしれず。
いずれにしても、人生最後のときにこんなふうに優しい気持ちになれたらいいなと
そんな思いでみていました・・・・。
モノがなくなって思い出が消えるに至って、大切なことに気がつき、
知らず知らずのうちに「死ぬまでにやりたいこと」(というよりはやっておかなきゃという心残り)を
ひとつひとつやっていく、終活映画ってとこかな。
もしも明日自分が死ぬとしたら、やり残したことはなんですか?
そこさえクリアしたら自分の死を穏やかに受け入れられるような、大切なことはなんですか?
PS:
原作と比べちゃいけないと頭では思ってるんですが、
猫が喋るシーンがあったんだけどな・・・・。そこはちょっと期待してただけに残念。゜゜(゜´Д`゜)゜