市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

どくんご上演まであと10日

2009-10-22 | 演劇
 どくんごテント劇「ただちに犬 Deluxe 」のちけっと売りもやりつくし、あと10日でここ宮崎市の臨海公園広場での上演となった。来週26日から31日までどくんごのことはいっさいかんがえない、チケット売りもしない、なんにもせずにぼんやりとして過ごしたい。ほんとになにもしないという時間にすることだ。これなしには、つぎの展開が不可能になる。

 ああ、それにしてもチケット売りとはなんなのだろう。売れないと言う、みんな言う。売れるとから売れないと言う問題じゃないのだ、ぼくにとっては、うれないでは済まないのである。もちろん、これはだれも命令するものでもなく、どくんご劇団自体も何枚売れということはいっさい言わないし期待してもいない。だから、なんとしても売りたいのだ。

 買ってくれるはずの人が、買えなくなる、これは応える。そういうとき、もうひとふんばりしていると、買ってもらえると思いもし無かった人が5枚も買ってくれたりする。すると世界がパッと明るくなって、売りこみに元気がでるのだ。だが、それもつぎの瞬間、売れない不幸で気分は消し飛んでしまう。委員のだれに会っても売れないことが数回もつづいて、もうエネルギーが尽き果てるということになっているようなのだ。こうなると、ふんばりは、強制か、自己責任によるふんばりかという動機がいるが、実行委員長以外にそんな動機があるはずはないのだ。

 実行委員長として、ぼくの動機というのは、なんなのだろうと思う。それは意地でふんばっているというしかないのだ、実は。芸術もくそもあったもんじゃない。
このこころは、ダニの意識で猫のように売却相手に擦り寄るということになる。くいつく、しかし、相手に不快感を与えないという手段が要るわけだ。これは疲れるし、なんでこんなことをせにゃならんのだと腹もたってくる。
 
 これがつづくのは、売れた!!という瞬間の快感を味わえるためなのかもしれない。しかし、それは、すぐに売れないという現実でシャボン玉よりもはかない。パチンコのようなわけにはいかない。つねに抑圧と不発とやりきれなさとの連続が
つづくのだ。それでも売る、売り続けるのは、義務感でさへない。つきつめると、おれに勝ちたいということになるのかもしれない。

 こうなってくると、もう、どくんごとも関係がなくなっている。なんのために自分に勝たねばならんのだ。なんで負けたくないんだ。その理由はなんなのだということに思いを寄せると、そこには回答できるものがないのだ。不思議だ。あの南京ねずみが、くるくるまわる回転どらむをいつまでも踏み回してとまらない行動と似ているのかもしれない。かれらもたんに本能だけでやっているのだろうか。意識があるのかもしれない。回転ドラムを踏みまわさずにおけないという強烈な夢のような内部衝動が作用しているのかもしれない。ぼくの行動も南京ねずみと似ているのだ。こういう内部衝動が、他人との関係で世界を作っていく可能性もあるかもしれないと思ってもみる。しかし、どくんご演劇を実現できるよろこびをここらで味わいたいのだ。それには、来週は意識をリセットして(なにもかんがえずに)、スタートに戻す必要がある。

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