突然、書くという急流に巻き込まれてしまった。出版がまだ先と思っていた旧友の本の解説、これはとても大切で、このあとがきの内容次第で、本は価値を失いかねない、不安だ、でも書かねばならない。
もう一つ、一昨日土曜、熊本市から宮崎演劇祭に来た木内里美さんに会えた、数年ぶりではあったが、時間の経過は感じられなかった。彼女の脚本・演出・出演の「やまとなでしこ」は、ぼくのバンコクでの思いをそのまま語るほどの共通性を感じえた。彼女はぼくの思いを即座に理解してくれた。それを書いてほしいと言われ、約束した。これにも神経がいる。週末か、来週早々には、二つとも書き上げねばならない。
こうなったら、ブログは暇があるときに、せっせと書くしかない。というわけで、本日2回目のバンコクレポートを投稿するわけである。
バンコク市を流れる大河のほとりに建つ暁の寺に向かうために、小船で川に出た。そして目に映ったほとんどパノラマの河畔の光景は、息を呑むほど魅惑されるものだった。川岸ぎりぎりに立ち並んだ建物は、年代を経たものから、現代のビルまで、実に複雑な連なりを見せて、見飽きず、吸い込まれるようだった。川岸には堤防がなく、川の上にテラスを伸ばした住居、船着場と連なっていた。どの一つとして同じ形はないのだ。
ぼくら30人ほどを乗せた小船は揺られながら、つぎつぎと大小の舟と行き違った。50メートルを優にこえる運搬船が象のように漂っていたり
トラックのように全身を愉快なデザインで飾って漁船、こちらはふんだんにすれ違った。そして、これらの船舶の背景に広がる川岸の街の姿は
どの一角も多様性をほしいままにしていた。
川は生きている、それが、この川を語る実感であった。生きているこのような川はもうわが国ではみられなくなっている。川は堤防で無機的に制御され、川は水が流れるだけである。水辺の生き物、なかんずく渡り鳥の生息する空間もなくなってきた。都市に川は無く、排水路しかなくなっているというのを、バンコクの川面で思いしらされた。そんな川しか、もうながれていない。これを自覚できたのだ。
もう一つ、一昨日土曜、熊本市から宮崎演劇祭に来た木内里美さんに会えた、数年ぶりではあったが、時間の経過は感じられなかった。彼女の脚本・演出・出演の「やまとなでしこ」は、ぼくのバンコクでの思いをそのまま語るほどの共通性を感じえた。彼女はぼくの思いを即座に理解してくれた。それを書いてほしいと言われ、約束した。これにも神経がいる。週末か、来週早々には、二つとも書き上げねばならない。
こうなったら、ブログは暇があるときに、せっせと書くしかない。というわけで、本日2回目のバンコクレポートを投稿するわけである。
バンコク市を流れる大河のほとりに建つ暁の寺に向かうために、小船で川に出た。そして目に映ったほとんどパノラマの河畔の光景は、息を呑むほど魅惑されるものだった。川岸ぎりぎりに立ち並んだ建物は、年代を経たものから、現代のビルまで、実に複雑な連なりを見せて、見飽きず、吸い込まれるようだった。川岸には堤防がなく、川の上にテラスを伸ばした住居、船着場と連なっていた。どの一つとして同じ形はないのだ。
ぼくら30人ほどを乗せた小船は揺られながら、つぎつぎと大小の舟と行き違った。50メートルを優にこえる運搬船が象のように漂っていたり
トラックのように全身を愉快なデザインで飾って漁船、こちらはふんだんにすれ違った。そして、これらの船舶の背景に広がる川岸の街の姿は
どの一角も多様性をほしいままにしていた。
川は生きている、それが、この川を語る実感であった。生きているこのような川はもうわが国ではみられなくなっている。川は堤防で無機的に制御され、川は水が流れるだけである。水辺の生き物、なかんずく渡り鳥の生息する空間もなくなってきた。都市に川は無く、排水路しかなくなっているというのを、バンコクの川面で思いしらされた。そんな川しか、もうながれていない。これを自覚できたのだ。
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