市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

蒸発した市街

2005-03-18 | Weblog
  宮崎市街のどこからでも、シェラトン・グランデ・オーシャンリゾートのホテルがみえる。うすあおく陽炎のように孤立してうつくしい。2月27日、流感にもかかわらず、割安の41階デラックスルームに一泊したことをのべた。咳きと食欲不振で空ろな一泊であったとすでに伝えた。しかし、じつは、あの部屋の窓からの光景で、忘れがたい印象が残っていたのだ。それを書く体力がのこっていなかったので、今、書いてみる。

 それは、41階から遠望できた宮崎市街であった。市街地を見ようと思ったのに、あるのは、田んぼのひろがりだけだったのだ。市街はどこに消えたんだ!なんども目をこらすが、熱のせいか、悪寒のせいで、市街が見えないのだ。ここ10年あまり、市の中心部には土地の値下がりで、マンション住宅ビルが建てこんできた。そんなビルの一つからまわりを写真撮影すると、その都市風景は、仙台やさいたま市、博多や神戸、なんと大阪、東京とも酷似しているのである。

その体験のうえで、市街が蒸発した光景は、信じられない光景であった。シェラトン・グランデ・オーシャンリゾートからでの宮崎市街の展望は、市街蒸発ともいえる光景だった。45階のホテルも市内からみると陽炎のようにみえる。逆に、ここから市内をみると低層のビル群は、地にはびこるコケか水溜りにみえたわかけである。

さて、このことで、宮崎市は豊かな自然に恵まれた都市というのが妥当かどうかということである。豊かな自然、みどりと太陽、神話の国、この一連の呪文は、なんにも解決してこなかったのではないか。そのあげくが、カジノ開設への幻想となって求められ、松形県政は終わった。蒸発してしまった市街、自然環境-小さな街=豊かな自然 こんな算術でしか、自然をみなかった甘さを皮肉くるように、宮崎市街地は姿を消していた。
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