市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

他生の縁2

2006-10-19 | Weblog
 走行するうちに、このクロを山形屋まえから中西町まで3キロほどを連れて帰る時間となった。生まれて半年、人間で言えば3歳位の幼犬だ。ちょっと心配だったが、苦も無く家まで自転車とともに走って帰り着いた。牛の腱筋肉をばりばりと噛み砕いて飲み込んでいた。試しに引き裂こうとして両手で力を加えたがびくともしなかった腱の部分である。さすがすでにハンターの顎だった。三歳で。

 このしなやかな見事な姿態を節子はきっとよろこぶだろうと、部屋に向かって、犬を貰ったよおと叫んだとたんに、彼女はパニック状態に陥ったのだ。一応見るだけと懇願しても見ると情が移ると拒否され、そのまま飼い主に引き取ってもらえとあばれまくるのだった。

 万事休す。ため息をつく間もなく、携帯で飼い主さんとコンタクト、レストラン「もくもく」の前で、引き取っていただいたのだ。彼女は、あまり不愉快な顔もせず、一言おっしゃった。

 「縁が無かったんですねえ・・・」と。

 多分、もしぼくが飼えば、この犬とは終生の相棒として楽しくやれたと思う。チップは歓びを与えぬ横着ともいえる犬だが、それでも朝夕の散歩は6年間、皮膚炎のためにマッサージも一年以上も毎日やっている。それにくらべると、クロは一秒一秒が歓びの種だったかもしれない。ああ、縁がなかったのか。

 だが、思う、チップのような犬にふたたびめぐりあえるのは、そう稀有のことではない。こんな犬は多数いる。それにくらべると、いい人間、まして犬のような相棒に会えることはもうないだろうと思う。そう思えば、まだ人生は希望に満ちている。こんなに容易に幸いが入手できるのだから。

 名誉と金が欲しい奴はそっちを、死に際になって、ぼけ状態になっても追う。ぼくは、これからも健康で犬を追える、これは天のくれた幸せであろう。
コメント (1)
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