市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

駅前商店街アーケード撤去にちなんで

2006-10-07 | 都市論
 去年の9月、台風14号の後、老朽化した駅前商店街アーケードが危険物として撤去するとの決断に至った。残すか、撤去かで何日も討議がなされたという。あれから一年、工事が始まった。その後をどう活性化するか、その勉強会が地区で始まり、その第一回に「街」のスライド・トークを頼まれ、昨夜終わったのだ。

 40枚近くの明治期から昭和初めにかけての市街の景観写真を、今の中心市街と比較していったのだ。商店主たちも街づくりに取り組む学生諸君も、主催したNPOドロップインセンターの女性たちも昔の宮崎中心市街地の美しさに息を呑んだ。

 今の街がいかに醜いか、いかに殺伐としているか、その非人間的街の恐ろしさを都市論者たちは、語りまくっている。しかし、ぼくは、今の街のほうがよっぽど面白く生きられる空間であり、たのしんではいる。日本街は、生きるには天国のようだと思う。そういう点では楽観的な街観を持っている。

 ただ、バルブ以降に気にかかってきたことは、今の宮崎市では、個人が自律して商売することがきわめて困難になってきた。電気店もやほやさんも呉服店もだれもやれない。職種は、飲食、ファッション衣料、雑貨、美容院などにかぎられる。そうなれば、勤め人として生活せざるをえない。ところが、公務員がハイクラスの職場というのだから、たいがいは中小企業、それもパートタイム従業員になる。

 月収10万もならないので、夜、昼、働き、ここから逃れるすべもないのだ。こういう働き場を喪った街が格差社会を生んでいる。これは、奴隷制度とどこが違うのだろうか。奴隷であることが自覚出来ないから、映画マトリックの市民であり、
マトリックス奴隷制度といえるかもしれない。

 こういう街になっているのだ。だからこそ、街づくりよりも1人1人が奴隷でなくて自由に生きるタフネス、創造性、その技術、ライフスタイルを確立することこそ、下らん街づくりよりも緊急課題であろうかと思う。

 そういう意味では宮崎市街は病んでいる。しかし、その病状に対する医療はなく
ベッド脇には花だけが飾られ続けている。昨日も、この市街・野の幹線道路わきの
並木の剪定が、10数人の植木職人で選定されていた。税金の無駄使いだ。

 花より団子じゃねえか・・・・。街づくりより、自分づくりだよ、学生諸君。、さすればおのずと良い街ができる。昔の街には街づくり連や学者面した都市論者などはいなかった。

 それでもはるかに美しい街並がつづく。なぜか、その問いに答えよ!

 参照ブログ

 壊市街 駅前商店街 壊滅という現実 2005-09-30 16:50 Weblog 公開中 4 0
イオンの意外性 2005-09-29 16:59 Weblog 公開中 0 0
崩壊市街 駅前商店街アーケード 悪夢 2005-09-28 11:10 Weblog
コメント (2)
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