今から10年ほど前、宮崎県内の高校生から郷土についてのエッセイを募集、入選作を冊子にしたものがあった。本県の自然
の豊かさ、素朴な人間性から故郷を肯定する主張がおおかったが、その中でいきなり「私は宮崎が嫌いだ」と始まる一編があった。私の暮らす市には、高校生を満足させる店もなんにもない、これからも出来そうもない、だから卒業したらこの市を出て行くという短刀を投げるような率直な心情が胸をついた。これと、先日見た映画「voices」に共通なものを感じるのだ。宮崎市制80周年事業として若者たちが企画・製作をした自主映画であるが、満足感のない、満たされることのないこの街で、今、なにを自分の生きる根拠とするかを問う心情が感じられた。もっともこちらは、女子高生のエッセイに比べると、ずっとやさしい、切なさがあったが。
この日南市の女子高校生は故郷を脱出したのだろうか。あれから年齢を重ね、ちょうど
voicesを企画制作した宮崎シネマコミュニティの川添美加子代表や、その仲間の女性たちと同じくらいの年齢になっている。彼女は今どこ、そして故郷は、どう映っているのか。
こんな日々、2004年12月19日、宮崎日日新聞社の玄関ロビーの特設会場で、小河孝裕 写真展「西米良発若者図鑑」があるのをしった。おそらく他の県の人が「西米良」と聞いても何のイメージもわかないだろうが、ぼくらにとっては、熊本県境にちかい村所を中心とする西米良村は、どこよりも深い山村の町である。日常でその村を思うことはほとんどない。温泉もなければ、観光地でもなく、単なる山村でしかない。そこでの若者図鑑といわれても興味がわかなかったのである。
はじめ宮日新聞社の園田論説委員から「若者がいい顔している、いい表情している」とすすめられても、見る気はなかった。どうせ若者に媚びた写真だと思っていた。これまでの文化人、知名人の偉そうな顔を並べた写真展が何度かあったが、感動どころか不快感が先に立つものだった。そんな肖像写真展と大差はないと退けていたのだ。ところが、たまたま夕食時、テレビで小河さんと写真の紹介がでて、目を移した。それがきっかけで、最終日に展示会場に駆けつけたのだった。そこは、新聞社の2階にある貸しギャラリーでなくて、玄関の階段下に展示架台を並べ、照明も自然光だけの写真展・・・だった。
ぼくが惹きつけられたのは、テレビに放映された二、三の肖像写真のとてつもない明るさだったのだ。会場の30人ほどの写真からくるのは、圧倒されるような明るさであった。
それと、このまま宮崎市に出そうが、東京都に出ようが、そのまま通用していくファッショナブルな雰囲気であった。妙な言い方になるが、先端的な都市的感性の存在であった。
どうしてこういうことが生じているのだと、私は、息を呑んだ。20歳代の若者が一人一人は、一枚の写真に正面向いて撮られている。山作業着の青年、エプロン姿の保育士、電動鋸を肩にしてヘルメットの青年、ウエイトレス、街角の店員、教師、看護士、老人福祉施設の介護士、役場の職員と多様な働く若者たちの立像だ。背景は人物を浮き立たせるために白一色でなにもない。そこから保育園のこどもたちのざわめき、山林の風、居酒屋の匂い、教室とかれらの生活の場が感じられた。それは、表情や、職業にぴったりの服装や
なにげなく子どもを抱いたといったような日常のし慣れたポーズからくるようだ。その明るさは、生活の場の生きがい、楽しさ、そして自信から生じている。かれらの着こなしがきわめて個性的であるのが、ファッションを生みだしている。昔の街並みは、都市デザインとは何の関係もなく、そこに暮らす住民の伝統的美意識が生み出してきたものだ。おなじことが、着こなしにも言えるようだ。これらが生み出した若者像である。
撮影した小河さんは西米良村生まれ、19歳で状況。27歳でフリーランスとなり広告を中心に人物、静物の写真をてがけプロとして仕事を始めだした。その広告写真、一流ファッション誌の女性写真や自動車、電気製品の広告などは、まさに流行をとらえたすばらしい技術をもつ写真であった。その彼が、40歳にしてどうしても帰りたくなり、周囲からどうしたのかと、その判断を危ぶまれた。やはり帰郷したことをテレビで語っていた。東京と仕事をつづけながら、西米良をとりつづけるなかで、ときおり興味本位で自分を訪ねてくる若者たちの魅力、存在感、未来に向かう自信とエネルギーに引かれはじめ、それを訴えたいと撮影を始めたというのである。ことさらに若者を題材に選んだのではなく、そうせざるを得ない若者像の存在があったのである。そうした若者を生み出しているのは、消費都市として伝統もコミュニティも破壊された市部とくらべ、伝統や慣習、村落共同体であるコミュニティが傷を受けずに残ったためだろうと思う。しかも今は、道路の改善と自動車により宮崎市でも熊本市でも2時間足らずで行けるという利便性も併せ持っている。この地の利に立つ若者たちの将来への自信もあるのだと思えるのである。
かれらは、まさにvoecesの若者像と正反対の生き方をしている。暗さに対して明るさ、自己疎外をどう克服するかより、社会をどうつくりかえるかの自信、消費するよりも生み出す日々、過去よりも未来が安心感をもたらし、今は耐えるよりも楽しむものなのだ。しかし、ぼくが言いたいことは、だから伝統やコミュニティが大事だと説教を垂れることではないのだ。そんなことは、どうでもいいのだ。なによりも言いたいことは、どんづまりの宮崎県にこうした対照的な若者像があるということだ。この2像に共通していることは、
どちらも生活する現実に根ざしているということだ。かれらは、現時を改革していける批判的なエネルギーや視点、行動力を持っているということだ。こうした若者像が2004年の終わりに出てきたこと、この事実を伝えたかったのである。