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市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

マイ 村上隆 マイ ロンサム カーボーイに思うこと

2008-10-31 | 芸術文化
 村上作品のマイロンサムカーボーイを写真で見て「凄い不快感をかんじました」「でも、不快であることと芸術的であることには矛盾は無いのでしょうね。すくなくとも、「新しさ」という価値観の中においては。」というコメントをmkさんからいただきました。性器を左手でにぎり、射精した精液を右手で投げ縄にして、にたりとわらっている裸の男性のフィギュアは、若い女性には不快感をあたえるでしょうね。それにこれになんの意味があるのか!と、こんなものが芸術か!これも多くの反応であると、他の多くのブログなどでもうかがい知りました。

 あなたの場合は、それでも「新しき」芸術を理解するには、自己の感情を抑えようという気配を感じました。いや自分を抑える必要はありませんよ、自分が一番です。まずは、自分の感情を大事にして欲しいです。 

 村上隆の活動をめぐっては、かなり批判も多いです。今回は、さらに批判が高まりこんな「くだらない作品」を、アメリカの「大金持ち」が、わけもわからず、村上の「スーパーフラットという理論」に乗せられて、16億円も支払った。芸術を換金する詐欺ではないかというような批判にまで高まっています。

 ではなぜくだらない作品なのか、アメリカの大金持ちは作品の判定もできぬあほなのか、村上のスパーフラット論は、詐欺師の売り込みかという、この批判の3要素は、「思い込み」ですよね。もちろん、ここで思い込みだからダメというつもりはありません。それで結構です。ただ、その思い込みが、かなり違うということが、気になるわけでして。

 さて、ぼくも今から村上隆作品について、述べますがこれも「思い込み」ではあります。だって、作品について写真だけしか見てないわけでして、それに村上氏本人に会ったこともないし、わずかにかれの「芸術起業論」を読んだだけだし、かれの作品2点を、9月に霧島アートの森美術館の「ネオテニージャパン展」で見ただけに過ぎないのです。かれの作品の意味をどうだと論じても、これもまたぼくの「思い込み」です。そのような前提でお読みください。

 ぼくにとって、この作品が抵抗が無かったのは、それが「芸術」であるかどうかなど、そんなことはどうでもいいという見方によるからでしょうね。もうだいぶ前からおそらく70年代半ばころから芸術というフィルターで作品を判断することをしなくなったのです。文学も演劇も、絵画もそうです。夕べでしたか、映画「007」が40年ぶりで、新作が制作されたとテレビが報じてましたね。監督は、今度の作品は芸術なったといってました。映画007が、芸術になったとしたら、前の作品とどう違うのか、007を芸術作品で区別するとは仰天、そんなもの必要でしょうかね。

 そこで、誰しも芸術とみとめるロダンの彫刻「考える人」と「マイロンサムカーボーイ」を並べてみましょう。ぼくは、ロダンの考える人ポーズでは、考えたことがないのです。歩きながら考えるし、台所で朝飯を作りながら考えるし、追い詰められると、フィットネスのサウナで考え続けるし、サイクリングでは、ほとんど考えにふけっているし、そして友達と話しながら考えているしです。ロダンの彫刻は、まさにポーズですよね。ほかにも「接吻」とか「抱擁」とかがありますが、宝塚の舞台のような劇的シーンで、そんなポーズを日常で実践する恋人も夫婦もいないでしょう。精緻なロダンの肉体は、現実の日常とは関係なく、だからといって非日常でもなく、きわめて教養的なハイブロウな、考えるや、愛のありふれた概念でしかないわけです。そういうことで、ロダンの彫刻は、ぼくにとっては、おもしろくもなんともない彫刻なんです。たとえ芸術であってもです。

 むしろ、ロンサムボーイのほうが、見た瞬間、それは写真であっても、こちらを考えさせる、ロダンは、その前で、考える事が出来なくなるのです。もう一例、比較できる彫刻をあげてみましょう。

 宮崎市の文化の森公園の南西の隅に若い女性の銅像があります。満木攻一「晩夏」と、もうひとつは、レストランの南に立つ女性像、平原孝明「素朴」です。晩夏では、女性は肌にぴったりの水着を着ています。素朴は、膝までのぴったりの半ズボンに袖なしのベストのようなものを着ています。どうも着衣姿の少女像を彫像にしたとはどうしても思えません。要は裸体そのものでは良俗秩序に問題ありという「素朴」どころか老獪な大人の知恵で立てられたといえるのです。思うとどうもあちこちにパンツをはいた猿ならず乙女像があるような気がします。そこです、この卑劣なる彫刻こそ、ぼくにとっては、きわめて不快きわまりないのです。

 だから、このロンサムボーイを宮崎県立美術館の一室中央に立て、そのまわりを、パンツをはいた女性裸像彫刻でとりまいたら、すごくわくわくするスキャンダラスな美術展になるのではないかと、空想してみました。

 この対比から、かれのフィギュアが、きわめて挑戦的意図を、芸術作品に向けて発していくエネルギーを発散しているようにかんじられるのです。この裸の男性をとりまく精液の動的に螺旋状に巻き上がっていく彫像は、かなり高度な表現を感じさせます.又、射精に伴う快感、飛翔感を戯画的にあらわしていて笑わせます。そして、燃えるような金髪も射精と呼応して巻き上がり、若いとも、子どもともわからぬ顔に目をかーっと見開き、大胆に笑って、投げ縄を投げかけようとするポーズは、かっこいいなと思うのです。

 性器とか射精とかを描いてこれほどあっけらかんとして明るいとは。それに男性はマッチョでなく10頭身のアンドロイド的な姿態で、それだけに投げ縄は現実感があります。こんなもので、からめとられたら大変だと、おもわずのけぞります。

 やさしい肉体と無垢な子どものような表情と、その攻撃の姿勢のアンバランスが
こちらの想像を刺激します。そのとき、あのタイトルの「ロンサム」という言葉が
気になるのです。ロンサム、一人ぼっちであり、そこはかとなくさびしさの荒野、
そんなものです。村上隆は、1998年のこの作品で、攻撃と孤立と、あるむなしさをかんじていたのではないかと、想像するのです。人間、畢竟ひとりだよ、それがどうした、生きるしかないというような声を聞く気がしたのですが。

 以上、ぼくのひとりよがりの感想をおわらいください。なお、村上氏の芸術起業論は、おおくの問題を提示していると思います、ただ、提示の仕方が不味い、どうもすっきりしないところがあるようです。ここもいつかしゃべってみて、このフィギュアと重ねて、言ってみたいと思っている次第です。ではこれにて。ながななとなりました。

 
 

 

 

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ネオテニージャパン展を観る

2008-09-09 | 芸術文化
 日曜〔9月7日)霧島アートの森美術館の「neoteny japan展」を観に行ってきた。会田誠、加藤泉、村上隆 鴻池朋子、奈良美智、山口晃などなど、33名の90年代の日本現代美術の展覧会だ。すべてが高橋龍太郎氏〔精神科医、1946年生)の2000点を超える作品から選ばれた80点であるという。

 90年代ジャパンポップとして、漫画、アニメ、ゲーム、フィギュアの映像作品が世界的注目を集めてきており、その流れに呼応するかのような日本美術の代表的作品というだけで、この春から興味を引かれ、雑誌、図録、インターネット画像検索で、作家、作品の映像は、見てきていた。その実際に遭遇したわけだが、実物を見なければ分からないという鴻池朋子の500号大の「帰還ーシリウスの曳航」やビデオアート「mimic Odyssey」などの作品もあるが、大方は、現物によらず図録によっても十分、その本質を味わえるという安心感も得られた。

 コレクションというから、せいぜい100号とまりの管理しやすい絵画作品かと想像していたが、この展覧会では、多くの作品が、壁面をおおい尽くすような大きさであったり、大彫刻であったりで、これほどの巨大作品の混じる2000点余を、どうやって保管されているのかと、高橋氏のコレクションへのまさにオタク的情熱にも圧倒されてしばしば息を呑むほどだった。さらにコレクションする眼の確かさ、失われた日本と言われた日本の凋落の90年代に、世界的に通用しだした美術作品を、ここまで、ひそかに発掘された批評眼に、作品以上の感銘を受けたのであった。

 会田誠の炎上するニューヨーク上空を空襲しているゼロ戦の∞(無限大図)編隊を描いた屏風とか(1996年作紐育空爆之図)この年代に注意、奈良美智のあの一度みたらわすれられぬ鋭い目つきの幼女の像、これなどゴッホの自画像やムンクの叫びのように一度見たら、死ぬまで記憶にのこるほどのインパクトを発している。天明屋尚(てんみょうや ひさし)のネオ千手観音、これは古色蒼然とした仏画にしかみえないが、よくみると手の一つ一つにナイフ、ピストル、機関銃、ライフルと握っているのがわかる。山口晃の一見、戦国時代の武者行列、あまりの騎馬武者の行列でわからないが、よくみると、なかには馬の体半分がロボットだったり、戦車がいたりする。

 遊べる、笑える、おどろく、SFであり、アニメあり、漫画に似ており、そのいずれも職人的な超絶技巧で描かれているのである。人生がどうとか、社会がどうとか、そんな観念文句のまえにまさに絵画、映像の力で迫ってくる凄さ、面白さに時間を忘れるほどであった。しかし、友人夫妻を誘ったために自分だけで歓んでいるわけには行かず、観終わったわけであった。

 それにしても、これが宮崎県立美術館で開催されていたらと、毎日でも通って、今、日本の現代美術がどこに行こうとしているのか、徹底的にまなべたのにと残念に思う。高橋氏は、「ネオテニー・ジャパン展」を全国の美術館に呼びかけたと聞くが、宮崎県立美術館の学芸課は、聞く耳をも、現代美術への知識も、ジャパン・ポップもオタクも、なんにも関心が無かったのではなかろうか。いや、経費で、手がでなかったのか。それならまだいい。来年からは、そういう展覧会が可能なような予算配分を確立してもらいたい。
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音楽とデモ つづき

2008-06-26 | 芸術文化
44万人の『何度でもLOVELOVELOVE』

この資料は古いかもしれないが、ドリカム、吉田美和子の40万名を集めたというスタジアム・コンサートシーンである。
 
 ここには、若者よ、傷つこうが、敗れようが、立ちあがれ、それが愛することだと歌われる。この高揚感とデモにおける社会変革への情熱とは、まさに同じである。ただ、こちらは内面の改革、人の価値観への賛歌が40万人が共有しあう。個人は社会あっての存在であり、その社会が人を人として認めたくなったとき、音楽が人を動かす方向は社会変革へと向かっていくはずだ。

 ポップ音楽を楽しんでいることは、いつでも政治デモと変換していく契機をはらんでいるということができる。

 今、現在、音楽のこの方向は、必然性をおびてきているのではないだろうか。秋葉原殺人事件の加藤智大は、通り魔でなくて、テロリストとして、一部のいや予想をこえた多数の若者で、テロの英雄として賞賛されている。事件はテロとかんがえねばならなくなっている。ならば、つぎのテロも十分に予想されよう。

 これは、目標と行動をうばわれた現在の若者のおおくの最後の手段かもしれなくなりつつある。そんなとき、音楽のもつ力、そこになにかの救いがあるかもしれないと感じるのだが。

 わかものには、どういうように音楽は内面化されているのだろうか。あるいは、
消費社会のたんなる商品だろうか。まだ、ぼくにはよくわからない。さらにもっと
探っていきたい。


 
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音楽 と デモ

2008-06-25 | 芸術文化


 韓国の提灯デモのユーチューブ動画には、音楽がBGMとして効果をあげている。これは、音楽シーンとしても感動を引く。デモという政治運動をべつにすると、スタジアムコンサートと類似するシーンとなる。

 ここで、次の動画を視聴してみてほしい。残念ながら、同一ページに動画を挿入する方法がわからないので、「音楽 と デモ つづき」に行ってください。では
「つづき」で、先へすすみましょう。
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芸術雑誌

2008-06-15 | 芸術文化
 音楽雑誌コーナーで、50種余りのほとんどが英語?のタイトル、Noo,Bury,FADER
PATI→PATI,Curo,Arena37℃、remix,SHOXXなどなどの雑誌を眺めて呆然とした先週日曜日、実はあのあと、現代絵画の情報を求めて「芸術雑誌コーナー」にいった。

 こんどは、その雑誌コーナーを見て、ショックを受けたのだ。その少なさ、その20年前とかわらぬ古さに驚愕したのだ。神谷君は世界で一番評価されているのは,日本の現代アートであると言ったのだが、ここには「別冊アトリエ 芸大・美大をめざす人へ」「芸術の窓 人物が上手くなる」「アートジャーナル 公募展受賞作家一覧」「別冊太陽 東山魁夷」「芸術新潮」などで、あとは「デザインの現場」「AXIS 特集コンセプトデザイン」くらいがすこしは現代アート関連、7,8冊しかならんでなかったのである。

 結局、ひさしぶりに「BRUTAS」か「STUDIOVOICE」を探してチェックすることにしたが、前者が男性雑誌コーナーにあったが、後者はわからず店員に聞いた。彼女が案内してくれたのは、音楽雑誌コーナーの平積みの一番端にあった。

「これは音楽だけじゃないですよ、ほら、特集はインターネット以降の本の作り方だし、美術も映画も音楽もファッションもデザイン,雑貨とあるでしょうが・・」
 「あら、そうですね。ヴォイスだから音楽に、それじゃなんでしょうか?」
 「カルチャー雑誌ですよ、それもインディーズ系、サブカルチャーをメインとしたね、イラストもおもしろいでしょう!」
 「ほんと!」

  「で、どこに並べたらいいでしょうか?」
 「そうねえ、ここにおくくらいなら芸術コーナーでしょうね。」
 「そう伝えますね、今後もどうかよろしく。」

 ということだったが、「芸術」というくくりかたもそぐわないなあ、せめて「アート」とか「アート&サブカルチャー」などのタイトルがいいかもなあと、かんがえていたとき、突然「宮崎芸術劇場」「宮崎県立美術館」の呼び名が浮かんだ。

 あそこもこの「芸術雑誌コーナー」に似ている。

 ところで、この貧しい美術雑誌をみたとき、なぜか、ふたたび美術に関する関心がマグマのように胸に突き上げてくるのを覚えた。こっちは、音楽ほどくくろうせずに、現代の先端芸術に会いに、そして理解にすすめそうな予感がしだした。それは、先日の神谷君の大いなる情報と、案内があったのではあるが。

 このモダンアートへの接近も、音楽同様、一年後にどなっているのか、記念のために記しておくことにした。 
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サルママ展 ア01 神谷君と・・

2008-06-07 | 芸術文化
 サルママ展の評が、5月31日付けの宮崎日日新聞に掲載された。20代の若い男性記者の取材だったというが、好意に満ちた評であり、かつ「サルママ復活」11年ぶり作品展という見出しで、グループのわかりやすい紹介にもなっている。ぜひ一読をして欲しい。

 この評はぼくにとってはうれしかった。ぼくにとっては、同展はなじめなかったが、若者たちは、この評のように刺激と興味を与えられた面もあったのだから。

 水曜(6月4日)に神谷君とカリーノの1階にあるタリーズで会うことができた。
この前のブログに予告したように、テーマは、地下室を使ったのは、絵画作品の展示と作品の関係は、音楽と絵画のこの地下空間での融合は、これからのテーマはなどと、聞いていったわけである。

 こんな質問と回答を得ている間に、たちまち気づいたのは、絵画と音楽についての知識、受け入れ、その情報の決定的なほどの差であった。ディジュが、こんなに深い楽器とは初めて知ったというと、かれはもうぼくには終ったもので、これからどうしようかと思っているというし、ジャングルというダンスシーン音楽をいうと、10年前の音楽だ微笑むしで、今のところ会話にもとっつきようもないのだ。

 絵画と共通の言語をやりとりしているつもりだったが、これがいかに異質かもたちまち知らされた。じつは、ぼくにとって、美術館やギャラリーや、名画集などで
見る絵画は1979年にサンフランシスコやニューヨークのギャラリーや大美術館をみたころから、しだいに関心を失っていたのだ。むしろ、音楽、演劇、舞踏、都市などに意識をそそられてきていたし、絵画を部屋に飾ることもしなくなった。

 かれは今、世界で一番評価されている日本のアートは音楽でも文学でもなく先端的な絵画だと、やや興奮して断定するのだ。そのとき一瞬ぼくをよぎった絵画イメージは、アニメ的なポップアートだった、神谷君の言うのも、そうかもとなぜか、思えたのだ。

 話がすすみ、二人で1階のつたや書店の美術書のコーナーに行き、かれが選んで差し出した、評論家、作家、現代美術の作品集などであった。半ば、予感は当たった。これはおもしろい、これは既成の美術とはまったく別の世界ではないか。なぜ今までこれらの作品活動があるのを気づかなかったのかと、思うのだった。

 そういえば家内が購読しているタイム誌の5月12日号に、世界に影響する100人があり、その1人にTakashi Murakamiが紹介されていたのを思い出した。あわてて、家内に雑誌をだしてもらって、確認できた。その紹介文がいい。「笑えるそしておどろかされる」とあるのだった。」



 かれのサルママ展で意図したテーマは、「より挑発的に、よりユーモラスに」というのだが、ぼくはこの言葉を評の中で読んだときにまさに自明のことと、思っていたが、具体的になると、神谷君の概念とぼくのとは、まさに異質であるのを、知ることが出来た。

 かれは、つたやで、書架に向かいながら、平積みされたファッション雑誌をひょいと指差し、その表紙の男性が、とんでもないデザイナーで六本木ヒルズの巨大な
一室を自分のギターの倉庫にして陳列していると笑った。こんなアートの現状など想像もできない世界であった。

 かれとの共通点を探すには、これからとんでもない音楽と美術への情報接触の作業が、数年つづくことになりそうだ。これは、おもしろい、時間が許される限り、やってみたいと、今は余韻が残ってしまった。
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パーティか展示か

2008-05-25 | 芸術文化
 「サルママ アート&音楽」の地下一階の絵画の展示は、ストリート・アートの、bony-oneの300号大の作品が、いちばん適していた。グラフィックな抽象的なデザインに写実的で奇怪な顔が迫力がある。目をひきつけるのだ。まさに街角にもシャッターにも店内でも絵画的環境で人をつつみこむストリート・アートは、この地下室のコンクリートの壁にぴったしだった。
 
 これにくらべると、タッチャンの水彩による女のヌード作品やコラージュは、場末の性欲をつきつけられるが、それは、この壁でなくミニコミ誌やフライヤーの紙面でなら精彩を放つただろう。他に抽象作品や、アクリルの小品、写真もあったが、十分に壁にマッチしてなかった。

 つまり、こに地下一階というコンクリート壁面だけの空間は、これらの作品の
「展示」では不向きだったのである。この空間を芸術空間に変えるインスタレーションしかなかったのではないかと思う。性格の違う作品の展示なら、無色透明な普通のギャラリーのほうが、まだましだったと思う。

 この点、音楽は違った。環境をたやすく変えられる、これはいいよね。ジャンベも、オーストラリアのアボリジーニが使用するという管楽器ディジュリドゥの不思議な重低音は、いずれも環境音楽に最適な音楽を生み出してくる。ギター、ジャンベ、ディジュリドゥの即席のバンドの演じた「誕生と死」そしてジャズでなく「ジャーズ」というギター奏者の自作曲は、どこにだしても通用するチルアウトな作品だとおどろかされたのである。

 日曜の夜は、せいごうや神谷君らがマイクで叫び、打楽器を打ち鳴らす、パーティ演奏であった。houちゃんは、演奏者というより、自分の仲間が楽しめはそれが報酬というような、通常の演奏家とは異質の活動をつづけていると、ますます思うようになってきた。

 つまりここで、音楽は絵画とちがって環境をいっぺんさせたが、結局は、しだいに音楽は、仲間たちのパーティシーンを生み出すものにだけなっていったのだ。

 ぼくが浮き上がったのはこのときからである。かれらとは感性は違う。どれほど感性がちがっても、普遍的な美はありうるはずだ。それを越えて巻き込んでくるなにかがあるはずであると、ぼくは思う。

 なぜ、このサルママ展が、地下一階で開催されたのか、そのテーマはなんだったのか。そのことが言葉で明確に言えるようなものが、漠然として把握できなかったのである。なにを訴えようとしたのだろうか。

 こういう問いかけをするのは、もはやぼくの感性が時代遅れになったてめであろうか、神谷君に改めて聞いてみたいものである。



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サルママ展 ア01 

2008-05-20 | 芸術文化
2008年5月17日、18日、宮崎市若草通り「ポール スミス」地下一階で神谷マサユキ企画のアート&音楽「サルママ展 ア01」が開催された。

 それについて、書いてみよう。ぼくにとっては、このイベントは、旧知と会えたり、10数年前の原稿の執筆者、どういう若者が書いたのだろうかという長年の好奇心を、その本人に会え、心が満たされたような幸運を満喫できたのであった。

 さて、その楽しさを他方に置いて、これから今や神谷君のいう「サルママ展 ア01」に関しては、批評家として遠慮なく言わせてもらおう。腹を立てないように。いや、立てても仕方がないか、文句があるなら、コメントをどうぞ。さて・・

 まず言いたいことは、もっと、もっとギャラリー展風な形式を破って欲しかった。地下はギャラリーではないはずだ。作品がひとつひとつが、壁にかけられ、売値もつけられているから、これはあくまで商品として展示さるのを肯定している。実は、この意識に、アートへの信仰、恐れ、萎縮、妥協などの消極性を感じ取らざるをえなかったのだ。違うかな、それともぼくの誤解。

 しかも自分のアート作品を「売る」のなら、なぜ額縁をつけてないのだ。照明
も不足し、壁面のない、商品展示としては、間違っている。この地下自体も展示にはハンディがありすぎた。これでは売りアートは、パンツ一枚で、道路で立たされたホームレス状態であろう。

 もちろん、このサルママアート展は、これほどナンセンスではなかったが、理論的には、こういう風に「ちじこまった」と、言い得るであろう。アート作品を、オランダの「飾り窓の娼婦」のようにショーウインドウに並べせて客を待たせるのでは、淋しすぎないか。窓をぶち破り、客を攻撃する、そういうエネルギーをなぜ、この作品を生んだ作者たちに強制、あるいは行動させるべきだったと思うのだ。

 いや、神谷君だけにとどまらず、サルママのかっての同志だから、今こそ、アートなどという概念に縛られず、もっとめちゃくちゃにやって、もらいたかった。
ポールスミスの地下一階を、別世界にする。この単調な、この管理されて均質化された宮崎市の喪失した街に、はちゃめちゃな非管理空間を出現させる。それはひょっとしたら、無知になった人々の潜在意識にまだ残る自由という夢を刺激するかもしれない。そんな空間を出現させられなかったのだろうか。

 アートという既成概念を超越し、そんなものよりこの困難な時代に生きる力の源泉をあたえるような魔法のような、夢想のような空間を、そういう方向をかんがえられなかったのだろうか。

 だから、ぼくは楽しみながらも、一方では、かなりの欲求不満で、初日の会場には、突っ立つように立ってはいたのである。

 しかし、翌日、日曜の会場には、つぎつぎと若者たちが来客して、活気を呈し、これはこれなりに、ぼくのあずかり知らぬ若者たちの共感を生んでいるのだろうとこころは和んできた。そして、その和んだ心に、この会場のやさしさみたいなようなもんが感じられだしたのだ。そこに可能性をまた感じ出したのだ。

 それは、結局、人に行き着く。それがこよなく快適だった。今はそれが残って、ほの温かい。
  

 


 
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第11回宮崎映画祭への補足

2005-08-02 | 芸術文化
 毎日新聞宮崎支局長の大島さんが、8月1日21面「だれやみ日記」で宮崎映画祭についてコラムを書いた。ぼくの「面白かった」宮崎映画祭のコラムに触発されたためという。

 何しろぼくのは、{面白すぎる}ものであったろう。批評家の選んだ作品は外せ、受賞作品は無視せよ、トークショーは無意味、地方作品は選ぶな、と言いまくるのだから。ここに、大島さんの常識が加わり、宮崎映画祭についての視点も安定し、良いことだったと喜んではいる。
       
 大島さんも触れたように、ぼくは彼に昔、石田君を紹介、石田君の部屋で、彼が発掘してきた当地未公開のアメリカ映画ビデオ鑑賞をつづけていた。その後、彼は本社学芸部で映画の担当デスクとして活躍、ついに本社学芸部長までなった有能の記者だ。映画をそこまで愛し、人生の伴侶としたようである。石田君は後に、宮崎映画祭を1994年に立ち上げ、事務局長となり、映画選定・構想に手腕を振るった。ぼくは請われて実行委員長となり、当市での支援人的ネットワークづくりをやって、1998年第4回で辞任した。

さて、ここで誤解なきよう、さきのコラムに補足しておきたい。ぼくは石田君や他の実行委員の映画選定の「眼力」の有り無しを問題にしてない。ただ選び方を替えよと提言しているわけである。

つぎに、批評家たちによる年間ベスト10に入る傑作、「カナリア」の無意味さを、それはないだろうと大島氏はいうが、その点を再度述べる。たとえば、少年がコンビニで、万引きできないのに腹を立てた少女が、行きずりの男の乗用車に乗って立ち去るシーンがある。気付いた少年が、追いかけはじめる、手には金属バットを持って、いつ何処で手に入れたのか?飢えた少年が自動車を何百メートルも追いかけ、追いつけるのか。この嘘の行動は、監督の思い込みのために作られたシーンである。こんなご都合すぎるシーンがポイント、ポイントにある。だから、1+1=3 3÷2=0の非論理的計算をつみかさねた答えは、無意味である。全体主義国家の政治犯収容所のようなオカルト教団内部も、勝手な解釈に過ぎない。批評家たちの解釈の大げささ、映画を言語だけで解釈し、受け止めようとうする「深読み」であるといえないのか。

とまあれ、映画が恋人である人たちと、映画が往来の通行人で、面白そうな奴の尾行に、情報の意味を探ろうというぼくとでは、映画観は違いまくるということかもしれないな。
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