ときどき、ドキドキ。ときどき、ふとどき。

曽田修司の備忘録&日々の発見報告集

アート原理主義?

2005-01-19 23:31:04 | 大学
玉川大学芸術学部の「アートマネジメントⅡ」が18日の授業(補講)で最終日となり、受講生に期末レポートを提出してもらった。課題は、「興行を成功に導く方法について、本講義で学んだことを整理し、自分なりの考察を加えた独自の理論として提示しなさい。さらに、興行が成功した場合でも依然として残るアートマネジメントの課題について、あなたの考えを(短く)述べなさい。」というもの。(ちょっと長いか。)「興行を成功に導く方法」については企業秘密なのでここでは記さない(嘘。私のウェブに各回の授業のレジュメを公開している)。「興行が成功した場合でも依然として残るアートマネジメントの課題」というのは、私は観客育成(観客開発)のことを想定していたのだが、レポートの中には「観客に満足を与えること」「芸術的な達成度を高めること」という回答もあった。「興行の成功」を「経済的利益の確保」ということに限定すれば、これらの回答も理屈に合うので正解とする。今回は全体に割合出来のいいレポートが多かった。ただし、ちょっとびっくりしたことがある。何かというと、「心はアート原理主義、行動は現実主義」という態度がアート・マネジメントの心得だ、と書いたレポートが2つもあったことである。実は、その言葉は、今年の春学期の第1回の講義のときに私が何気なくしゃべったもので、2人の学生はそれをそのまま大まじめにレポートに書いてきているのである。その言葉は、最初の講義の中で「アート・マネジメントとは何か」ということを説明するにあたって、アート・マネジメントの持つ二面性をやや「軽口」風に述べたものだが、たまたま2人の学生にはその言葉がとても強く印象に残っていたらしい。私もやや調子に乗ってしゃべったきらいがあるのだが、なるほど、芸術学部の学生たちにとっては、「アートに関わること」と「アート・マネジメント」との関係はそういうものであるととらえるのが一番しっくりくるものらしい、と今になって初めて気がついた。私は、そのことにあまり自覚的ではなかっただけに、「そう大まじめにとられても(困る)」、というとまどいもあるのだが。そう言えば、何年か前に佐藤信さん(劇作家・演出家)が東京学芸大学で教え始めたときに、半分口から出まかせでしゃべった内容を学生がいちいちノートに書き取ろうとするので慌てた、という意味の軽いエッセイを書いていたことがあった(ただし、実際に佐藤さんが「口から出まかせ」という表現を使っていたかどうかはさだかでない。わたしのあいまいな記憶で書いていることをおことわりしておく)。この種のアドリブ(あるいは即興的なセリフ)をストレートに「台本に元から書かれているセリフ」と取られてしまうと言葉を発した方はちょっとまごつく。後から言い訳をするのも変だし・・・。というわけで、「言い訳」の代わりにこの場で解説をさせてもらった次第。
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