ときどき、ドキドキ。ときどき、ふとどき。

曽田修司の備忘録&日々の発見報告集

氷の女王

2006-04-04 06:28:01 | アーツマネジメント
先日、T氏と会食。

T氏は他に例を見ないほどの演劇通だが、話題は、演劇に限らず、オペラ、シンフォニーと幅広い。
たまたま、トリノ・オリンピックの荒川静香選手の「トゥーランドット」の話になった。
プッチーニのオペラ(遺作でもある)「トゥーランドット」は、中国の王女で氷のように冷たい心を持つ絶世の美女トゥーランドットに対する求婚譚である。
プッチーニは、「マダム・バタフライ」にも見られるように、異国趣味を取り入れて作品を作っているのだが、私たちにとっての「マダム・バタフライ」のように、当の異国人(東洋人)の立場から見ると「ヨーロッパ人の目から見た」珍妙な世界と感じられてしまう。

「クール・ビューティ」と評された荒川選手の演技は、そのまま「氷の女王」(これは「銀盤の女王」という表現とも重なる)にふさわしく、オリエンタルな雰囲気を見事にファンタジーとして提示していた。

この、「氷の女王」という呼び名が、劇中のトゥーランドット姫の人物造型(性格づけ)に重なり合うことは朝日新聞の天声人語でも指摘されていた。

だが、T氏はさらに、オペラ「トゥーランドット」の歌詞を知っている人にとっては、例のイナバウアーのときに流れていた歌詞は、「私は(必ず)勝つ」という意味であり、フィナーレのそれは「汝に栄光あれ」というものであるから、演技を見ている地元イタリア人にとってはオペラの(本来のストーリーに重なり合う)新演出を見ているようなもので、それ自体がこの上ない快感だったはずだ、と言う。

なるほど。そうだとすれば、荒川選手の勝利はプッチーニ、あるいはオペラの勝利であったとも言えるわけだ。

もうひとつ。
週刊誌「アエラ」では、荒川選手が優勝する前に発売された号で彼女を表紙で取り上げていた。何でもアメリカのNBC(だったか)が優勝の有力候補に挙げていたからだ、という説明を後で聞いたのだが、私はそういう前評判は知らなかったので、なぜこのタイミングで彼女が表紙モデルに選ばれたのだろうか、と思っていた。

そのときは、彼女の表情が現代的なのかなあ、と自分の中では何となく納得していた。というのも、そのときの彼女の写真の表情が奈良義智のキャラクターそっくりだったからである。

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3 コメント

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Unknown (アントニオ・ダス・モルテス)
2006-04-04 17:02:44
奈良義智→奈良美智
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そうでした (sota)
2006-04-07 06:53:38
「よしとも」じゃなくて、「みち」と入力すればよかったかも。
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見たい (うしのすけ)
2006-04-08 01:48:43
その写真見たいな。
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