ときどき、ドキドキ。ときどき、ふとどき。

曽田修司の備忘録&日々の発見報告集

井上二郎氏と「CUT IN」と東京国際芸術祭

2007-04-14 08:30:44 | アーツマネジメント
フリーの演劇ジャーナリスト井上二郎氏が、昨年の12月3日癌で亡くなった。「表現を発見する小劇場の新聞」というタグラインのついた「CUT IN」というミニコミ紙の最新号(58号)に掲載された前嶋知明という人の書いた追悼文を読んでそのことを知った(私が井上氏が亡くなったことを演劇関係の人から最初に聞いたのは昨年末だったが)。

私は井上氏のことをよく知っていたわけではない。ときおり、小劇場の客席などで顔を見かけて互いに会釈をする程度だった。

一度、井上氏から相談を受けたことがある。私が跡見に来てすぐの年だったと記憶しているから、たぶん、2002年のことだったのだろうと思う。それからかなり時間が経ってしまったので、多くのことは忘れてしまったが、上記に書いた「CUT IN」の発行を軌道に載せる方法を相談されたのだと記憶している。それは、内容の充実ということでもあり、経営的なこと(たとえば販路の開拓など)も含めてのことだったと思う。その流れでタイニイアリスの丹羽文夫さんともお会いした記憶がある。

そのとき私に画期的なアイデアが出せたわけではないし、私が特に何をしたということでもないのだが、話の中で、「東京国際芸術祭」(2000年段階からすでにNPO法人アートネットワーク・ジャパンの主催になっていた)と協力のしようがあるのでは、という話になった。

そして、直接私が紹介することになったのかどうかもはっきりとは覚えていないのだが、その後、「CUT IN」は、タイニイアリス、ディ・プラッツ、アートネットワーク・ジャパンの3者による発行となり、アートネットワーク・ジャパンの活動が毎号紙面で紹介されるようになった。

東京国際芸術祭は、その後、中東や東欧の劇団やアーティストを次々と招聘し、いわゆるエンタテインメント路線ではない、社会的政治的にアクチュアルな、同時に、表現としてきわめて先鋭的なプログラムに営々と取り組んできた。もちろん、国際的に注目されるフェスティバルとして、ある程度の規模は確保しなければならないし、文化庁や国際交流基金や地域創造等の公的機関から補助金や助成金を得なければならないから、ある種のオーセンティシティ(形式主義)を要請されるところはあったが、表現の切実さを追及する志向性としては、実験的先鋭的な小劇場のそれと共通する部分があった。

思い起こせば、私は、毎年、東京国際芸術祭の公式プログラムブックに先駆けて、「CUT IN」の紙上でディレクターである市村さんのステートメント(ディレクターズノート)を読んできたのである。

東京というある種特別な都市で行われる国際的な芸術祭が、このように規模としてはごく小さな先鋭的な媒体と提携関係を築いてきたことを、一方では幸福なことと感じつつ、他方で、それと背反するかたちではなく並行するかたちで、メジャーな演劇ジャーナリズム(の一部でもよいのだが)との提携が実現していれば、同芸術祭の社会的な影響力ももっと大きなものになっていただろうと思われる。つまり、「CUT IN」とは、もし、その持っている情熱、時代感覚というようなものがメジャーな演劇ジャーナリズムにもあれば、という、いささかないものねだり風の願望を私の中に生起させるものだったのだ。

特に、先月まで行われていた「東京国際芸術祭2007」の作品群、とりわけ、海外招待作品のラインナップが、どの作品も例外なく、その表現のクオリティにおいて圧倒的なものであったので、作品を見終わって劇場を後にしながら、しばしばそのことを思い、旧知の何人かの人たちと「演劇ジャーナリズムはもっとこういう作品を大きく取り上げてもいいよね」と言い合っていたのだった。

連想がそれからそれへと脈絡なく流れてまとまらない文章になってしまった。

あらためて、井上二郎氏のご冥福をお祈りしたい。




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