ときどき、ドキドキ。ときどき、ふとどき。

曽田修司の備忘録&日々の発見報告集

異なる価値観の並存としての多様性

2007-11-01 07:03:35 | アーツマネジメント
ひとつ前の文章の続き。

去る10月19日の東京大学文化資源学公開講座「市民社会再生―文化の有効性を探る―」に講師としてご登壇いただいた演出家の中島諒人(なかしま・まこと)さんが、「鳥の劇場」の活動紹介をするパンフレットに載せた文章の中で、地方に住む人たちは、「創造」という行為は都会においてしかできない、とあきらめに似た気持ちを抱いていると述べ、そのような事態が多くの人に当然と思われていることが異常である、ということを述べていたことを紹介した。

今回の中島さんのレクチャーだけでなく、この公開講座全体から感じていることだが、私たちは、「社会の中に多様性が存在することが重要だ」というとき、無意識のうちに、「統一されたシステムの中の多様性」を想定してしまってはいないだろうか、と最近思い至った。

つまり、「多様性」という言葉を使いながら、それを、異なる原理(または世界観)の並存と考えることがいつのまにかできなくなっているのではないか、と思ったのである。

自分が見知っている、または、自分が慣れ親しんでいる世界を前提としていると、多様性と言っても、微細な差異のことだけをいうことになりがちだ。

だが、そうではない、次元の違う「多様性」のあり方もまた、存在しているはずなのだ。

たとえば、そのことを、「市民社会再生」は「市民社会再考」から始まる、と言ってもよいのかも知れない。

「市民社会」のとらえ方は歴史的にも文化的にもひとつではないし、どれが正しいかもいろいろ意見が分かれるだろう。

だが、普段の自分たちの想像も及ばない、多様な「市民社会」があるに違いない、または、現に存在している、というところに意識を向けないと、自分たちにとっての「市民社会」は見えてこない。そのことだけは間違いない、といえるのではないだろうか。

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