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曽田修司の備忘録&日々の発見報告集

津村記久子「ポトスライムの舟」

2009-10-13 11:01:49 | その他
津村記久子「ポトスライムの舟」を読んだ。

ポトスライムの舟
津村 記久子
講談社

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第140回(2009年1月)の芥川賞の受賞作である。受賞作であるから、この作品についての紹介は新聞紙上でよく見た。

手取り13万8千円の契約社員として工場で働くナガセという29歳の女性が主人公である。工場の休憩室に貼られた世界一周のクルージングのポスターを見て、ナガセは、その金額が自分の一年間の年収と同じ163万円であることを知る。

友人が経営するカフェでのパート勤めや高齢者向けのパソコン教室の講師もしているナガセは、工場の給料をそっくりそのまま手をつけずに貯金してその163万円を一年間で貯めようと思い立ち、実行に移そうとする。

実は、最近(というか、もっとずっと長いこと)、小説を読むことは少なくなっていたのだが、この作品はとてもおもしろく読んだ。

163万円貯めて世界一周のクルージングに出ようという夢(それを夢と言ってよいのなら、だが)は、積極的な欲望としてあるというより、自分の生活を意味あるものにするために何かにすがりたい、そのあるものがそれであった、というものとして描かれる。

だから、その目標は、現実に実現されそうになるものだけれど、当人にとってはあまり現実味があるものと感じられない一面もある。

手が届きそうで届かないもの、それが自分にとっての生きる希望になる。

つまり、ナガセは、欲望ではなく、希望によって自分の人生を支えているのだ。

その希望は、世界一周のクルージングだけではなく、大学時代からの友人とのつながりや、離婚しようとする友人の幼い娘を一時自宅に預かっている間のその娘との会話の何気ないやりとりにも、つねに見出されるものだ。

自分自身のことととしては、ほとんど事件らしい事件が何も起こらない、身辺雑記風のストーリーである。

現実と希望とをつなぐもの、それが自分の生活であり、人生である、ということが、微笑ましく、好ましい日常の風景として描かれている佳作であると思う。

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