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曽田修司の備忘録&日々の発見報告集

津村記久子「十二月の窓辺」

2009-10-15 09:50:56 | その他
津村記久子「ポトスライムの舟」の単行本に併載されている「十二月の窓辺」という作品を読んだ。

ポトスライムの舟
津村 記久子
講談社

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「十二月の窓辺」は、会社におけるパワハラを扱った小説である。
印刷会社に新卒で入ったツガワは、同僚の女子社員になじめず、課内で孤立しがちである。
仕事のことでミスでもしようものなら、直属の上司である30代の女性係長から目の敵のようにこっぴどく叱られ、当り散らされることもしばしばだ。

あるとき、帰宅していたときに、自分が担当している印刷原稿のフィルムが紛失していることが問題となり、係長から電話で30分以上も罵倒され続け、翌日出社してからもそのことで執拗に責められる。とにかく見つかるまで探せと指示され、探している間中も罵倒の嵐はやまない。ツガワは、いつでも出せるように辞表を書いてポケットにしまっている。

以下、作品の内容とは離れるが、こういう場合、始末に悪いのは、謝っている方がすみません、と言っているのに、そして、すみませんとか今後気をつけますとしか言いようがないのに、すみませんですむと思っているのか、どうやって責任をとるつもりだ、とどこまでもしつこく怒鳴り散らされることである。

また、こういう場合に、大声で怒鳴りつけるのを生きがいにしているような輩が世の中にはいて、失態を犯した人間が言い返すことができないのをいいことに、執拗に、同じことを何度も何度も繰り返して責め立てる。大声を張り上げていっさい他人の反駁を許さず、強圧的な態度で発言を頭から圧殺しようとする。

長いこと仕事というものをしていると、そんな手合いがいることを知ることにもなる。

近年、職場や学校におけるセクハラについては、ずいぶんとその対策の必要性が語られるようになった。
だが、パワハラはなかなか問題にはなりにくい点がある。なぜなら、仕事というものには、一面では上司が部下を厳しく指導することによって業績があがり、部下も成長するという側面がないとはいえないからだ。

しかし、失敗や過ちに対する叱責がそれなりに論理的で建設的なものならよいのだが、単に感情にまかせたものであったなら、それを聞いている側にとっては苦痛または人権侵害以外の何ものでもない。

作品の内容に戻ると、その後、ツガワの会社の近所で通り魔事件が頻繁に起こっていること、ツガワの会社の窓から向かい側に見える高層ビルに入居している別の団体のオフィスで起こったある事件をツガワが目撃したことなどが語られる。

つまり、この作品では、「ポトスライムの舟」よりは、事件らしい事件が起きる。事件そのものについても、その後の展開についても、なかなか意外性もある。

このように、ある事件を介在させてストーリーを展開させていくところは、なかなか話の運びがうまいと思うし、読んでいて納得しないわけではない。

だが、結局のところ、激烈なパワハラを受けたことによって生じる内面の葛藤の末に、ツガワは辞表を出すことを決心し、これでやっとこの会社をやめられる、という結末にいたる。この作家は、そのような個人の内側の心の動きの描き方の方に本領がある作家なのだと思う。

なお、「ポトスライムの舟」でもこの作品でも、登場人物(どちらも女性)の呼び方は、ナガセとか、ツガワとか、カタカナで表記している。なるほど、そういう名称で書くんだ、というのもおもしろかった。

やや脱線するが、これは、矢沢永吉が自分のことをヤザワと呼ぶというのと共通点があるのだろうか。

多分、書き手が、自分と登場人物との距離を設定するのに、やや突き放した距離感を必要としているということなのだろう。





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