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きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

超ばかの壁

2006年09月30日 | Weblog
9月30日付・読売社説(1) (読売新聞) - goo ニュース

 静岡新聞には現論というコラムがあって定期的に論客が登場して論陣を張るのであるが、今日の論客は養老養老孟司氏である。氏には多くの著作があるが、「バカの壁」というのが一番有名であろう。氏はまた静岡新聞社の客員論説委員にもなっておられるということである。今日は時間がないので氏の記事を抜粋することは割愛させてもらう。静岡新聞がこのコラムを無償でネット配信しているかどうか知らないが、その記事の題名は「世間の崩壊と教育」「他人のせいにするな」である。

 さすがに氏の指摘により日本社会の病理というのがよく分析されていて、成る程と納得させられるのであるが、現在戦後60年たった今、闇から竹の子のようにスクスク育ち始めた凶悪犯罪・・・親の子殺し、子の親殺し、自分の過ちを他人に転嫁するなどの根本的日本社会の病理をよく指摘してくれているのだが、この原因は伝統的な日本の精神である『世間の崩壊と教育にある』と指摘されていることに意義の申し立てようもないのであるが、ならば何故そのような社会に成り下がってしたというところまで『医療のメス』を入れてもらいたいものだ。

 私などが発言するもおこがましいのであるが、思うところ、今まさに日本社会に日本国憲法の心髄が具現しているのである。この憲法には『善』に対応する『悪』の観念を占領軍(GHQ)が完全に隠蔽してしまっているので、馬鹿な日本人は何を見ても善であるとしか解釈できないのだ。母親が我が乳飲み子を殺しても、その母親の立場に立てばなんと邪魔な子であったことか、だからわが子を殺してしまったことに大いに同情し、母親のわが子を排除しようという思いを正当化しようではないか。あるいは、子の親殺しに際しては、そんなに子供の躾にむきになるのは子供の人権を踏みにじるのであるから、その子はとても不憫である。だから親が子に殺されても当然のことである。・・・・このような邪悪な対日対策根本法が日本国憲法の神髄であったのだ、敗戦間際の世代は、戦争に負けたことであるし、その場を取り繕うために、「とりあえず戦勝国の言うことを聞いておけ」という気持ちで敗戦国押し付け憲法受け入れ、当初は何とか自主憲法を制定しなければならないという気でいたかもしれないが、幸いなことに極東は戦後現在まで平和であったため、民族の存続原理まで忘れてしまったのである。平和(単に戦争がないという状態)が日本に取り返しのつかない福音を提供したのは日本民族にとってとても不幸なことである。

 『超ばかの壁』を超えるとは、日本国憲法は日本人に厭戦を保障するものであろうが、それが平和の保障かといえば、まったく別問題である。日本国憲法の平和の前提とは、畏れ多くも中国や北朝鮮まで日本に平和を提供してくださる善意あふれるお国にあらせられるというのであるから、日本国はほとんど砂上の楼閣である。このように日本人が一刻も早く認識することである。

 日本国憲法経の説くところ、日本人は世界に仇なす害虫であることを前提条件としている。ところが、中国や韓国は日本国憲法の利点をとても深く研究していて、日本人に「お前らは加害者」だと脅し続ければ、永久に金をふんだくり続けることができると、高を括っているのである。・・・・「日本人は中国人(朝鮮人)の心情を害した」とNHKに言わせ続ければ、その被害者の地位は保証され続けるという按配である。そして、何よりも不幸なことは、日本人がNHKに視聴料の支払いを強制されていることなのだ。・・・・怒れ日本人!。