昨日今日明日

きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

視線の先にあったもの

2006年09月13日 | Weblog
 昨年の暮れに、年間を通して優秀な報道写真が毎日新聞紙上に載っていて、その中にとても印象的で素晴らしい写真があったのを記憶している。(その時、もっと紙面を割いて大きなサイズなら良かったのにと思ったのを記憶している)

 あまりに感動的だったので、その写真についてCuando Caliente SHIZUOKA#7に書きとめておいたのであるが、9月7日の毎日新聞紙上で今度は大きく発表されていた。何度見ても感動させられる作品である。

 少女と老人と若者の視点は何であったか?・・・・真相は、配給される食糧を受け取ろうと、トラックに向って必死に声を掛ける少女の姿だったという。
 私は、最初この写真を見たとき、想像力を逞しくして、写真の人物達の視線の先にあるものを考えたのであったが、甚だ見当ちがいであった。

 この写真の撮影者(報道カメラマン)佐藤賢二郎氏のこの傑作写真に対する思いを原文のまま写し取っておくこととしよう。

 『少女が教えてくれた』

 (パキスタン地震)発生3日後の昨年10月11日から20日間、被災地を取材した。「何を撮ればいいのか」。被災者の少女が一つの答えをくれた。

 瓦礫の町と化したムザファラバード。遺体が路上に並び、異臭が漂う。救援物資を満載したトラックに向かい、食料を求める少女がいた。その姿はまるで天に祈っているように見えた。とても美しかった。私はカメラを向け、一枚一枚丁寧にシャッターを切った。どんな悲惨な写真より地震の非情さを訴える力を感じた。

 被災地では被害の大きさに目を奪われ、悲惨な光景を強調した写真を撮ろうと努める。しかし、少女は「美しさ」が「悲惨さ」を伝えることを教えてくれたのだ。

 新聞写真は芸術作品とは違う。大切なことは「分り易く伝えること」だ。しかし、構図や被写体の「美しさ」が無ければ読者の目には留まらない。そうでなければ何も伝わらないと感じた。(全文)

 私は、静岡に住んでいる身であるから、横浜市中区の日本新聞博物館までは出向くことは出来ないが、9日から速報写真展が開かれているという。

 佐藤賢二郎氏の今後の活躍に期待し、引き続き感動無しに見られないような素晴らしい写真を撮影してもらいたいものである。