昨日今日明日

きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

ボロ集めメディアの悲哀

2006年09月14日 | Weblog
「タカ派」安倍氏に厳しい視線 海外メディアの総裁選評 (朝日新聞) - goo ニュース

 おそらく「ボロ屋」などと言う古語を私が発声すれば、まあそうだな、40~50年前の我が身を思う人たちもいよう。
 当時はみんなが(外見上の)形振り構わず、心で団結して必死に生きてきた時代であった。あるところにはあったかもしれないが、当時は金もない代わりに時間のゆとりがあった。着る物は「寝巻きおき巻よそ行き巻」寝巻きをもって普段着とし、外出着ともした貧乏な時代であったが、それはそれで、『古きよき時代であった』。

 そして、当時なによりも有り難かったのは、このような『いかがわしいメディア』も無く心安らかに我が身を成長させることが出来たことは、ことのほか貧乏な時代に感謝したいと思う。

 ところで、某売国メディアの『ヘド』のであるような『写真』を、日本国民たる『皆の衆』はご覧遊ばされたであろうか。この写真を見れば世界の市民達が食欲を喪失したと確信する。殆ど紙面の表からも裏からも『死臭』が漂って来たことだろう。
 おそらく20~30年後に『日本人』が、かく惨殺されるであろうと予感させるに足るおぞましきサンプル写真である。(無抵抗ゆえに殺戮される以外の運命は無いと確信するにたる啓示が込められている良い写真であったと思う)。
  
 この売国新聞が『愚民たる日本人』を、反省させ無ければならない『美徳心』の裏返しは、過去に対して必要以上に『被害者意識』を扇動され洗脳された者達からの血の報復である。
 この馬鹿新聞は、自分たちが善良なる日本人を煽りに煽ってチョンコロ戦線に火を付けた功労を棚上げし、チョンコロどもに日本人を標的にして報復し返せと扇動し返すことが『唯一の存在価値』となり下がったことに気が付くことも無く、チョンコロどもに『日本人を殺し返せ、日本人を殺し返せ』と、とうとう視覚に訴えることも憚らない節操の無さである。
 このメディアの愛読者の気が知れない。愛読者が日本人であれば、なお更のことである。

 しかし、60年前に報道すべき反吐が出るこの種の『お写真』を連続して何回見せ付けられるか想像も出来ないが、肥満に悩むご婦人方は目を凝らして見つめられるが宜しかろう。食欲不振がたちまち減量に直結するのだ。

 世の中の少数の意見を恰も天下の大道であるかのように報道し続けるメディアというのも困ったものであるが、彼らがこよなく愛する中国の故事に依れば、それを『針小棒大』という。因みに反対表現を『竜頭蛇尾』という。

 外国の名も知れない人の意見を、さも正統の如く引用し、我が不徳を補うことを『猫の衣を借り虎の理を垂れる』と言うそうな。

 本来なら、負けたときには堂々と白旗を揚げるのが戦争においても言論闘争においても『紳士の嗜み』と言うそうな。

 売国とはかように『見苦しきもの』である。何という『往生際の悪さ』であろう!。