昨日今日明日

きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

ごもっともに御座る

2006年09月29日 | Weblog
「菓子は余裕があれば」 小学校英語必修化を文科相否定 (朝日新聞) - goo ニュース

 とにかく日本人の悪い癖で、アジアの隣国中国、韓国、台湾、フィリピンなどの国々と比べて英語能力が劣っていることが日本の沽券に係わると文部省のお偉方などは考えているようであるが、ここは冷静に脳味噌のキャンバスをまっ白にセットアップして、考えて見るべきである。

 私など別段学があるなどといえるような人間ではないのだが、言語などというもの、後進の非文明国にとっては、それは英語という言語は素晴らしいと感じるかもしれないが、わが日本語を話すご縁に恵まれた日本人にとって、日本語と比較して、たいしたメリットもない英語を敢えて学ぼうとすることなど、とてもナンセンスなことである。日本人が何ゆえ外国語の履修能力に欠けるかといえば、外国語に比べて、発声学的にも言語構造においても優位な立場にあるから、矛盾に満ちた外国語の学習が苦手なのである。

 私は、再三申し上げているのだが、中国語にしろ英語にしろ名詞と動詞の境目がとても曖昧である。中国人やアメリカ人が名詞を聞けばそれは行動を伴った観念として脳裏に想起するであろうし、中国人に至っては、時制の観念すらない。だから、彼らは60年以上も昔の歴史認識と将来どのようにあるべきかという観念、即ち、過去の帰結として現在があり、現在の努力が未来に結実するという観念が欠落してしまっている。
 これを矯正するにはどうしたらよいかといえば、中国人自らが中国語を捨てることしか解決策はないのである。

 そういう意味で、隣国の韓国などは、紫禁城は我々の父祖が建設したものであるから、紫禁城とその領地を返せと大声を張上げて中国人に主張するべきなのだ。

 ところで、日本語というのもとても奇妙な言語で、日本人は動詞であっても掛け軸にかかれた文字を読んでいるがごとき受け取り方しかできない。
 日本人の言語に対する認識というのは、たとえ動詞であっても行動を伴わない名詞的観念なのである。この日本語の言語構造により我々は戦後60年もたって、民族の命の保障もないような日本国憲法を拝んだまま、『有り難がって』、改正しようとしないのである。
 日本語が、言語構造や表記法で完結している素晴らしい言語である割には、大東亜戦争の敗北は大きな痛手であった。金科極上は何時までも拝んでいたいという日本語の特質と敗戦によって刷り込まれた自虐史観とがあいまって、いまや日本国憲法は亡国神の権化と成り果てたのであるが、それでも大方の日本人にとって、『お憲法様』なのだ。早く目を覚まそうぜ!、皆の衆!。

為了発展日本、不要中国要印度

2006年09月29日 | Weblog
インド、ベトナムと交渉へ 経済連携協定、年明けにも (共同通信) - goo ニュース

 たまには、中国語風に題名を付けておくのも楽しかろう。日本の政党が国民受けしないのは、揃いも揃って無能だからである。与野党揃い踏みで『お中国様!お中国様!』では、国民全体が白痴シンドロームに陥ってしまう。

 そして、硬くても難ありであるが、ほとんど溶解してしまっている脳みそ保持者が日本の大部分のマスコミである。そのトップバッターが共同通信であろう。まあ何だな、報道というものは双方性がなければならないのに、中国向け非難は一切封じられたまま、中国側の悪質なプロパガンダを中国の意のままに垂れ流すのである。ほかにもそうした日本メディアはあるが、中国にしてみれば可愛い優等生なんだろう。

 このたび、安部内閣は『高砂やー このうらぶねに 帆を揚げてー』とばかりに比較的年配者(老人?)を多く乗せ、目出度く船出したのであるが、彼らに逆風に耐える力が残っているのか心配にもなる。港から出た途端、横波を受けて浸水というのでは話にもなるまい。ここは安倍新内閣の前途に幸あれと皇祖神=天照大神、豊受大神と書かれた掛け軸に祈りを込めよう。

 あー、ところで、今回入閣した高市早苗氏などとても口が大きく目もパッチリと現代における典型的美人である(女性の顔はにぎやかさをもって旨とする)この方はとても元気で弁も立ちそうだし、田中真紀子氏をも圧巻しよう。このスマート・ビューティーに期待しよう。「燃えよ!アンチ・ジェンダーフリー!」。以前私はPraise me Sorry!などと、茶化したことがあったが、ここに失礼を詫びつつ、「We will praise you!」と祝福しよう。

 また安倍内閣は積極外交に転じるのだという。そのハシリはすでに発現している。

 産経(SANKEI)新聞(これを産物と経)と翻訳したのでは気の毒である。・・・・が伝えるところ、左派リベラル系(日本で言えば進歩的文化人)のアジア研究学者のプリンストン大学教授ジョン・アイケンべりー教授がワシントンポストに8月17日に載せた「日本の歴史問題」と題する寄稿に対し、堂々と反論する批判を、在米日本大使館の北野充公使がニューヨーク・タイムズ系の新聞に寄稿し、記載されたという。

 大和田氏や栗山氏の所謂オウム貝暗黒時代は終わったのだ。施政者が「これからは戦う外交を展開する」と断固たる意思を示せば、気丈夫な外交官も育って来るのだろう。今日は『北野充』という外交官の名を覚えておくこととしよう。

 中国人どもに、「日本にとって中国だけが外国ではない」という命題を認識させる人材の育成が求められる。世界の中の『井の中の蛙』どもにも困ったものだ。一年中田植え時の田んぼにいるようなものだ。途轍もなく騒がしい。

 みんなで叫ぼう「不要中国、要印度」「退中国、去印度」・・・・何を言っても蛙の面にしょんべんかーー。・・・・・