「菓子は余裕があれば」 小学校英語必修化を文科相否定 (朝日新聞) - goo ニュース
とにかく日本人の悪い癖で、アジアの隣国中国、韓国、台湾、フィリピンなどの国々と比べて英語能力が劣っていることが日本の沽券に係わると文部省のお偉方などは考えているようであるが、ここは冷静に脳味噌のキャンバスをまっ白にセットアップして、考えて見るべきである。
私など別段学があるなどといえるような人間ではないのだが、言語などというもの、後進の非文明国にとっては、それは英語という言語は素晴らしいと感じるかもしれないが、わが日本語を話すご縁に恵まれた日本人にとって、日本語と比較して、たいしたメリットもない英語を敢えて学ぼうとすることなど、とてもナンセンスなことである。日本人が何ゆえ外国語の履修能力に欠けるかといえば、外国語に比べて、発声学的にも言語構造においても優位な立場にあるから、矛盾に満ちた外国語の学習が苦手なのである。
私は、再三申し上げているのだが、中国語にしろ英語にしろ名詞と動詞の境目がとても曖昧である。中国人やアメリカ人が名詞を聞けばそれは行動を伴った観念として脳裏に想起するであろうし、中国人に至っては、時制の観念すらない。だから、彼らは60年以上も昔の歴史認識と将来どのようにあるべきかという観念、即ち、過去の帰結として現在があり、現在の努力が未来に結実するという観念が欠落してしまっている。
これを矯正するにはどうしたらよいかといえば、中国人自らが中国語を捨てることしか解決策はないのである。
そういう意味で、隣国の韓国などは、紫禁城は我々の父祖が建設したものであるから、紫禁城とその領地を返せと大声を張上げて中国人に主張するべきなのだ。
ところで、日本語というのもとても奇妙な言語で、日本人は動詞であっても掛け軸にかかれた文字を読んでいるがごとき受け取り方しかできない。
日本人の言語に対する認識というのは、たとえ動詞であっても行動を伴わない名詞的観念なのである。この日本語の言語構造により我々は戦後60年もたって、民族の命の保障もないような日本国憲法を拝んだまま、『有り難がって』、改正しようとしないのである。
日本語が、言語構造や表記法で完結している素晴らしい言語である割には、大東亜戦争の敗北は大きな痛手であった。金科極上は何時までも拝んでいたいという日本語の特質と敗戦によって刷り込まれた自虐史観とがあいまって、いまや日本国憲法は亡国神の権化と成り果てたのであるが、それでも大方の日本人にとって、『お憲法様』なのだ。早く目を覚まそうぜ!、皆の衆!。
とにかく日本人の悪い癖で、アジアの隣国中国、韓国、台湾、フィリピンなどの国々と比べて英語能力が劣っていることが日本の沽券に係わると文部省のお偉方などは考えているようであるが、ここは冷静に脳味噌のキャンバスをまっ白にセットアップして、考えて見るべきである。
私など別段学があるなどといえるような人間ではないのだが、言語などというもの、後進の非文明国にとっては、それは英語という言語は素晴らしいと感じるかもしれないが、わが日本語を話すご縁に恵まれた日本人にとって、日本語と比較して、たいしたメリットもない英語を敢えて学ぼうとすることなど、とてもナンセンスなことである。日本人が何ゆえ外国語の履修能力に欠けるかといえば、外国語に比べて、発声学的にも言語構造においても優位な立場にあるから、矛盾に満ちた外国語の学習が苦手なのである。
私は、再三申し上げているのだが、中国語にしろ英語にしろ名詞と動詞の境目がとても曖昧である。中国人やアメリカ人が名詞を聞けばそれは行動を伴った観念として脳裏に想起するであろうし、中国人に至っては、時制の観念すらない。だから、彼らは60年以上も昔の歴史認識と将来どのようにあるべきかという観念、即ち、過去の帰結として現在があり、現在の努力が未来に結実するという観念が欠落してしまっている。
これを矯正するにはどうしたらよいかといえば、中国人自らが中国語を捨てることしか解決策はないのである。
そういう意味で、隣国の韓国などは、紫禁城は我々の父祖が建設したものであるから、紫禁城とその領地を返せと大声を張上げて中国人に主張するべきなのだ。
ところで、日本語というのもとても奇妙な言語で、日本人は動詞であっても掛け軸にかかれた文字を読んでいるがごとき受け取り方しかできない。
日本人の言語に対する認識というのは、たとえ動詞であっても行動を伴わない名詞的観念なのである。この日本語の言語構造により我々は戦後60年もたって、民族の命の保障もないような日本国憲法を拝んだまま、『有り難がって』、改正しようとしないのである。
日本語が、言語構造や表記法で完結している素晴らしい言語である割には、大東亜戦争の敗北は大きな痛手であった。金科極上は何時までも拝んでいたいという日本語の特質と敗戦によって刷り込まれた自虐史観とがあいまって、いまや日本国憲法は亡国神の権化と成り果てたのであるが、それでも大方の日本人にとって、『お憲法様』なのだ。早く目を覚まそうぜ!、皆の衆!。