安らぎと戒め

仏像と花と山と写真を楽しみます

腰部脊柱管狭窄症の手術後は霧島連山高千穂峰

2021年11月12日 16時11分56秒 | 日記


 2020年の秋頃から左足と腰に痛みが発症したために急坂道の散歩からの帰途中に歩行が困難になったこ
とがあった  
 それでも、暫くすると痛みが和らいだので、痛みを堪えながら散歩、低山の登山などを楽しんでいた しか
し2020年11月に79歳にして民生委員児童委員に就任した後は新人としての自習、活動を楽しんでいた
ところ、今春ころから左足と腰の痛みが強くなったので、民生委員児童委員の先輩から紹介を頂いた県北の整
形外科医院に通院した
 3月中旬に通院を初めて4月頃までは、素晴らしい病院を紹介して頂いたことを感謝していた  しかし、
その後、左足が冷たくなったり、黄色になったりする「副作用」と思われる症状が発症した  当時はその症
状が3種類の飲み薬の副作用とは思わなかったが、散歩道で出会い、時々話をしていた犬を連れた2人組の女
性の一人が「県北の病院で私が受けている治療は危険だ」「飲み薬も痛み止め薬を2種類飲むのは危険だ」等
と教えてくれた。相方の女性によれば、私に注意してくれた犬の主は「手術のベテラン」で腰部などの症状で
入院などの経験が豊富(?)だから手術や薬に関する知識が豊富だった  有り難い
 彼女の話を聞いた後、インターネットで調べたところ、痛み止め薬の1種類は「劇薬で、他の痛み止め薬と
一緒に飲んではいけない」と書いていた。まさに、私は劇薬の痛み止め薬と他の痛み止め薬、胃薬の3種類の
薬を毎日3回飲んでいたのだ
 
 転院を考えているときに、私が出張した時に最初の所属課長の息子さん(故人)から20数年前に頂いたキ
ダチアロエの花が初めて咲いた  そこで宮崎市内に住む息子さんの従妹に電話で「健ちゃんから頂いた花が
咲いた」と電話をした  すると、花の話のあとで彼女が私の腰痛について訊いてくれたので県北の病院に通
院していることを話すと、彼女は「宮崎大学の付属病院で手術をしなさい」と、そのことに関する手続きなど
も教えてくれた  有り難い  

 その後、彼女のお陰様で6月21日に宮崎大学附属病院で腰部脊柱管狭窄症の手術をして頂き、6月30日
に退院した  有り難い  手術後は、一度も痛みを感じたことがなく、左足首、指などの動きが若干不自由
なことがあったので、宮崎市内の整形外科病院で暫くリハビリをした

 20数年前に頂いたキダチアロエの花が初めて咲いてくれたことが切っ掛けで、お陰様で立派な手術をして
頂くことができたことは、本当に有り難い  就職最初にお世話になった課長の息子さん(故人)のお陰様で
私は今は元気に活動している  手術後は故人の奥様にもお礼の挨拶をしたところ喜んで頂いた   有り難い
 
 今回の手術については、最初に県北の病院での治療の危険性などを教えてくれた散歩仲間の二人組、20数
年前にキダチアロエを頂いた「健ちゃん」、健ちゃんの従妹、宮崎市内の整形外科病院の院長等々多くの方の
お陰様だ  有り難い

 そこで、11月5日(金曜日)に霧島連山の韓国岳の途中まででも登ろうと出かけた  しかし大変な混雑
だったので高千穂峰に向かった   霧島スカイラインで高千穂川原に向かう県道1号・小林えびの高原牧園
線では沿線の紅葉が素晴らしかった  

 高千穂峰の登山道は登山口から暫くは幅が広い立派な登山道であることと、登山者が多かったので単身登山
でも危険はないだろうと考えて、40分ほど登り、感触を確かめて下山した  

 有り難いことに山友から誘いがあるので、近日中に仲間と正式な登山を始めることにする

       2021年11月12日
                                            風
※ 写真はクリックすると拡大します

※ 宮崎市内の 「 火伏地蔵菩薩 」で、先輩が管理人に依頼して施錠を開いて頂いた
※ 酔芙蓉の花 早朝白色 → 午前中淡いピンク → 午後濃いピンク → 夕方黒紅色 → 夜 落下
   4枚の写真は同じ花の色の変化を撮影した
※ 烏瓜(からすうり)は形が大きいものと小さいものがあり、この烏瓜は花の直径約8cm
※ ある朝の私の朝食 ご飯は発芽玄米と小豆 義妹手作りの甘酒  養命酒 リンゴとキュウイ
※ 味 噌 汁  炒り子とシメジの出汁  牛蒡、人参、山芋、白菜、キャベツ、タマネギ
ピーマン、ニラ、ワカメ、生卵 ( 半 熟 )

ー 以前は写真の下に添え書きが出来たが、久しぶりにブログを更新すると、添え書きが出来なかった ー






















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第4回個展「 安らぎと戒め 」は中止しました

2021年02月02日 17時02分00秒 | 日記

 私の仏像写真を展示する第4回個展、「安らぎと戒め」は、2021年2月6日(土曜日)から延
岡市の虎彦サロンで開催する予定で準備を進めていたが、新型コロナウイルス感染の勢いが衰えず、
収束の見通しが立たないことと私の体調が思わしくないこともあり、今回の作品展は中止することに
した

 虎彦の上田耕一社長には一方ならないご配慮を頂いて、2011年から2014年、2017年と
3年毎に開催してきた   去年の10月頃に第4回目を開催する予定だったが、私の連絡不足等の
ため今年の2月6日から開催することにして頂いた

 これだけ配慮いただいた個展を1か月半前になって中止することは上田社長に対して申し訳なく、
慙悸に耐えないので、虎彦に伺ったところ、上田社長が不在のため娘さんに鄭重に中止の申し出を
したところ、快く申し出を受け入れて頂いた   その上、「 新型コロナウイルスが治まり、体調
が治癒したらまた開催して下さい 」とまで話していただいた   有り難いことだ  駐車場の車
中では顔が濡れた

「 日向の国 風の菓子 虎彦 」の駐車場を出た後、私は久しぶりの延岡市なので山友に会うために
いつもと違う道に進んだ   ところが、何故か途中で普段は通らない狭い道を進行していたことに
気が付いた   初めて通る道には好奇心が沸くので右に、左に進んでいると今山大師の階段近くに
出た   

 広い駐車場の案内があったが、階段近くの狭い駐車場が開いていたので車を停めてお大師様に参拝
した  その後、あちこち歩き回ると仏像が沢山安置されていた  有り難い
 
 2008年に仏像撮影を始めた頃には、十分に承知している道を走るうちに道を間違え、気が付い
て迂回しようとするとそこに仏像があることが続いていた  当時所属していた「くすのき写友会」
の仲間達から「 貴方は仏像に呼ばれている 」と言われていたことを思い出した   暫く撮影を続
けたが、後日また改めて撮影に来ることにした

 帰宅して夕食を済ませた頃に虎彦の上田耕一社長から電話を頂いた  中止を理解して頂き、新型
コロナウイルスが治まり、体調が回復したときには必ず作品展(個展)を開催するように懇切な言葉
を頂いた   「 貴方の作品展を楽しみにしている人達がいる 」などの有り難い言葉に、再び顔が濡
れたので妻が心配していた  私は今後も仏像撮影に精進することを心に誓った     

 2021年2月1日
                                           風

※ 写真はクリックすると拡大します
 

今山大師







庭に咲いた蠟梅・・・先日延岡の山友が「福寿草 ・・・?」と送付した写真に似ている ?

これも蠟梅

以下の福寿草は2018年以前に撮影した 









私が子供の時、生家はこの楮(こうぞ)を使用して和紙を漉いていた







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早咲桜「 日南寒咲1号 」が咲いた

2021年02月01日 19時11分59秒 | 日記

 
日南市北郷町のJR北郷駅沿線沿いに20本余の桜が植栽されており、紅色の花が咲き始めたとの
報道があったので昼食後に出かけた

 例年の見ごろは2月上旬頃だったと思うので今年は早いなーと思いながら現地に着くと、2~3
本の桜に蕾が沢山ついており、その中に幾らか開花した花があったが、紅色の花はわずかかだった
 以前は殆どの桜が開花した時に見ていたので、記憶の中ではほとんどの花が紅色だったのだが、
今日は「殆どの蕾が白色」で、紅色の花を探して回った   それでも、見つけた紅色の花は綺麗
だった

 日南寒咲1号は、日南市北郷町の松盛園(しょうせいえん)を管理していた故・黒木國光さんが
山桜の花粉を交配しながら1951年に完成したそうで、北郷駅には1996に植栽した

 20本余の桜の中には蕾が沢山ついているものや、まだ全く蕾が付いていないものがあるので、
月末か2月初旬にもう一度鑑賞に行くことにする

           2021年1月8日                       風

※ 写真はクリックすると拡大します

















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少なくとも80歳までは北アルプスへ

2021年01月05日 15時06分40秒 | 日記
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 コロナで暮れてコロナで開けた今日頃ごろ、ともあれ新年の決意らしくを表明しておこう

 60歳代のことだと思うが、標高1、643mの厳しい花崗岩の岩峰である大崩山登山中に仲間との
雑談のなかで、「 少なくとも80歳までは北アルプスに、少なくとも90歳までは九州の山を楽しむ 」
と発言した
   
 その後はこの発言が私の「癖」になったので、殆どの山友はこの「大法螺 」を聞き飽きたことだろう
 私がこの「 大法螺 」発言をした切っ掛けは、単独で大崩山登山中に「 リンドウの丘 」で展望を楽し
みながら握り飯を食べていると、小柄な老人が近づいてきた  「 久しぶりに来たんで下山道が分から
ん 」と言うので直ぐ近くの水飲み場まで案内しながら歳を訊くと、「 俺ア、この前まで80じゃち思う
ちょったがよ、今朝家んもんに訊いたら、82歳じゃった 」 記憶力は多少衰えていたのでリンドウが
丘の草場で道が分からなくなったのだろうが、足腰はしっかりしていた

 昼飯が終わった後ではその老勇に追いついたり、私が景色を楽しんでいるときなどに追い越されたり
したが、広く浅い沢で待っていると中々降りてこなかったので心配していると、女性3人のグループも
老勇を待っていたそうだ  30分ほどで下山してきたが、元気な姿だった   程よい暖かさのお茶
を勧めて楽しんだ   その後は安全な登山道なので、安心して別れた

 標高は1、643mだが、梯子、橋、ロープ、木の根や岩石の突起を利用しながらの登り、下りがあ
るので経験豊かな山友に同行しなければ危険だ   その登山道を小柄な私より更に小柄な82歳の男
性が単独で登っていたのを見たため、私も大それた発言をしてきた

 昨年の賀状には北アルプス剣岳に登った時の写真を添付して大法螺

 かつては午前4時に自宅を出発し、6時に延岡市で仲間に合流したあと、私の車で九住に行き、帰宅
は午後10時~12時   日曜日と祝日に自宅にいることは殆どなかったので四輪駆動の車のガソリ
ン代は毎月10万円前後だつた

 さて、今年は傘寿になる

   2021年1月5日
                                             風
※ 写真は、クリックすると拡大する

新年の賀状通信面の全面に掲載した












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三度目は愛宕山の頂上

2020年11月08日 07時59分32秒 | 日記
                 
   最初は延岡ロイヤル山岳会創設者であり、元会長だった「ママ」と会員の三人で展望台の駐車場まで行き、二度目は単
独で林道とは知らずに途中まで殆ど「林道愛宕山線」を通って愛宕山に登った。しかし、頂上に行く道が分からなかった。
 その後、この経緯を延岡の山友に話したところ、先日何本かあると言う登山道のなかでも厳しいという登山道で頂上まで案
内して頂いた。
 登山口は、先日私が林道を利用した登山口から凡そ50メートルの所だった。登山道の登山口には駐車場がないので先日私
が利用した林道の駐車場を利用した
 登山口は一般の人が見ても登山道とは分からない状況で、落ち葉と草が生えているほゞ垂直な所だった。いきなりストック
が必要なので車に引き返すと、・・・・・。やむを得ず、ビニール製の傘をストック代わりに使用した。途中の道も左右に草
が茂り、草が生えていないところには茸が生えていた。山友の話ではこの登山道を利用する人は殆どいないそうだが、腰か胸
の辺りまで草が生えている道の草をかき分けて歩くところがあった。少なくともこの2~3か月は人が通っていないようだった。
 しかし、沿道にツツジを植栽している所も沢山あったので、その開花時期に登るのは楽しいだろう。

 登山道は、途中で尾根道ができない箇所があるのでその箇所は一旦先日私が利用した林道愛宕山線を利用することになって
いた。多分、1~2kmだったと思うが、また尾根の登山道に入ることになる。
 頂上は分かりにくい。一面に笹が生えている所を進むと林の中に道らしいものが見えた。しかし、頂上の標識はなかった。
山友が私に「今度来るときに標識を作って持ってきて」と言ったが、勝手に作成、設置することはできないだろう。
 愛宕神社奥の院、御手洗水神社に参拝し、展望個所のベンチで延岡市内と海を眺めながら昼食を食べた。
  
    2020年11月7日                              
                                                  風
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登山口



登山道に人が歩いた形跡は全くない

















登山道から左側の明るく見える林道愛宕山線に出る

ベンチ左の細い登山道から林道に出る

愛宕山の頂上

愛宕神社奥院





御手洗水神社













コロナの中で庭の花を楽しみ、仏像撮影を楽しむ

2020年08月21日 16時32分41秒 | 日記

 手根管症候群は自己努力で「おにぎり」はできるようになった
 お隣のご主人は先日整形外科で手術をしたので、暫く様子を見ることにして、今の
ところ私は手術をするつもりはない

 撮影の時にシャッターを押すことが不便なことに続いて、ニコンのレリーズが使え
なくなったので、仏像撮影の時には三脚とレリーズを使用しながら、ピントはオート
を使用しないで撮影していたが、当分はこれができない

 それでも、不自由な思いをしながら仏像撮影を楽しんでいる   
 先日は、撮影の帰途、久しぶりに地元の人たちが「カラス山」と呼んでいる嘗ての
島に登ってみた  近くの護岸工事が行われるまでは「引き潮の時に島に渡っていた」
そうだが、今は島ではなくなっているが、私は「島だ」と思っている

 お堂までは歩くのが大変だ  カメラ、レンズ、三脚等々の機材を持って急坂を歩
くのが、今日はきつかった  午前中の撮影の疲れか、来年5月に傘寿を迎える年の
せいか ・・・

 島の頂上付近にお堂があるが、無人で別の寺が管理している   無人の寺だが、
今日も箒で掃除した後が綺麗に残っていた  以前来た時に掃除をしていた老夫妻
に訊くと、「宮崎から掃除に来る」と言っていた

 お堂の中も、恰も住職が近くに住んでいるかのように他の寺と同様にローソクや
線香などが揃えられている

 お参りを済ませた後、この寺跡を管理している別の寺の住職に挨拶をして帰路に
ついた

              2020年8月21日
                                    風
※ 写真はクリックすると拡大します















                                          
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手根管症候群でシャッターが切れない

2020年06月10日 11時36分17秒 | 日記
    
 春先頃から両手の指を握るのが困難になっていた。

 何時から、と言えない。ある日気が付いたら握り締めることができなかった。迂闊といえば迂闊だ。
ある日突然、ではなかったはずなのに、「気が付いたら、何時の間にか」だった。

 右手でコップを取り上げることができないので、左手で取り上げたコップを右手に持ち替えて、白
湯を飲む。鉛筆を右手に持って文字を書くことがむつかしくなっていた。パソコンで入力をすると、
とんでもない文字が入力される。カメラを構えてシャッターを押そうとすると、シャッターが切れな
い。シャッターボタンを右手で探しなおす。

 「里山づくり」で一緒に作業をしている仲間が、「ボタンをかけることができない」というのを聞
いた他の仲間が、「もう、歳だから。」と答える。80歳前後の仲間の間では、手の指が不自由にな
ることは、「高齢が原因だ」ということになっているのだろうか。

 整形外科に行くと、「手根管症候群」との診断で、「暫く様子を見ましょう。場合によっては手術
しましょう」とのことで、治療も投薬もなかった。しかし、交付頂いた資料には、薬か手術と書いて
いた。

 若い時にお世話になった漢方薬の専門家に相談に行くことにしているが、日程がとれない。

 先日、学校法人の監査に行った帰途、恒例の通り障碍者が務めている店に行き野菜や肥料などを買
った。市内の農家が直接野菜を納入するので新鮮で安価なこともあり、当日も野菜を持参してきた農
家の人と話をした。これも楽しみだ。

 その帰途、行く当てもなく車を走らせていると、山に向かう細い道になり、交差不可能道なので多
少の不安を感じながら進むと、大きな神社に着いた。駐車場に車がなく、神社関係者を含め、誰も
いない境内の正殿に参拝すると、この神社には随分前に一度参拝したことがあったことを思いだした .

この神社は正殿の他に、境内の脇に未舗装の狭い坂道があり、凡そ5百メートル登ると、広場に神
社の秘仏が奉安されている。

 前回は正殿と秘仏の広場まで行ったが、周囲は見なかったので、今回は正殿の周囲を歩いて見る
と、明治2年に廃仏稀釈が行われた時に神社が保護したと思われる仏像が樹木や崖の下などに安置
されていた。

 あり難い。久しぶりに沢山の野仏(?)に会うことができた。しかし、当日は三脚やシャッターの
レリーズなどを持っていなかったので、改めて撮影に行くことにした。

 3回撮影に行った。そのたびに宮崎市内は降雨だったが、神社の周辺は雨が降らなかった。先日
の9日は宮崎は降雨だったので、パラソル等を持参したが、神社では晴天になり、撮影が終わるこ
ろに霧雨が降り出した。車に乗り、市内に入ると「本降り」になった。有り難い。

    2020年6月10日
                                         風
※ 写真はクリックすると拡大します。

























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ブログ更新再開

2020年04月25日 09時49分01秒 | 日記
 
 昨年6月以降山から遠ざかっているが、現在登山が不可能な体力ではない。
 山だけでなく、読書や仏像の写真撮影からも遠ざかっていた。これは、80歳を目前にした高齢ゆえのこと
かと考えたこともあり、運転免許証更新のための「認知機能検査」に戸惑った  妻が購入してきた認知機能
検査のために事前学習を行う書籍を読んで勉強を始めたのは、これも購入後3か月、検査日の凡そ1カ月前から
だった

 学習の効果か、認知機能検査は良好な成績(試験担当職員談)で合格し、その帰途、何故か自宅から試験場
に行く時と違う道を進んだ。暫く走行すると、左側にある山の斜面にガードレールが見えたので左折して山の
斜面のガードレールに沿った道に進入した。狭い坂道を曲折しながら進むと、右側斜面に小さな階段が見えた。
このような場合、階段を上がるとその上部に仏像があることがあったので、その時も階段を登ることにした。階
段の近くに大きなカーブがあり、駐車可能と考えて停車した。

 幅が狭い階段を登ると、狭い敷地に小さな寺があった。ガラス戸に鍵はなかったが外から中を見ると幾体か
の仏像が見えた。有り難い。走行中に仏像に会ったのは久しぶりだった。

 狭い敷地の中にも巨大な仏像があった。これは珍しい。いずれ近日中に三脚やレリーズ、照明などを持って
撮影に来ようと考えていると、寺に隣接する住宅から住職が上がってきた。仏像撮影を楽しんでいるので、室
内の撮影をお願いすると、快く了解して頂いた。その上、室内の諸仏像について説明をして頂いた。有り難い。

 2007年の冬、私の誕生後40日で戦地に向かい、その後帰宅しない父の傍に母が逝った。その後、法事
のために帰省する時、ある所を走るとブルブルと身震いをした。この経験が2度続いたので、2度目の時に周
囲を見渡すと、右側凡そ300メートルの所に神社があった。小学校~高等学校に通学の時には立ち止まって
礼をしていた神社に久しぶりに参拝した。

 神社を一周すると、床下に仏像があったので屈み込んでその仏像を撮影した。その後、神社の近くを走行し
ても身震いはしなくなった。そして、十分に認識している道路を通行している時に、気がつくと道を間違えた
ことに気がつくことがあり、その道を走っていると道端などに仏像があった。

 毎週の登山を楽しんでいる頃は、その行き来の道端にある仏像撮影も楽しみだった。有り難い。このように、
私は有名な寺の仏像などではなく、路傍などにある野仏を中心に撮影している。個展を鑑賞して頂いた方から、
「世に埋もれた仏像を、良くぞ世に出してくれた」と言って、「この本は私より貴方が持っている方がよい」
と「廃仏稀釈百年」という重厚で貴重な書籍を持参して頂いた。

 尤も、作品展を鑑賞して頂いた方から「あそこの寺に良い仏像がある」と教えて頂いたり、霧島連山から下
山したときに立ち寄る喫茶店の親父さんから、「 西都市の寺に古い木像がある.」と教えて頂いたりした。西都
市の寺では、末寺を移転させた時に一緒に移転させたと言う阿形と吽形の仁王像を撮影に行った。凡そ10回は
撮影に行った。1回の撮影に1~2時間かかったが、暫くすると住職のお母様がお茶を出して頂くようになった。
その後は、お茶とお茶菓子まで出して頂いたこともあった。有り難いことだった。古く、全身ボロボロになって
いる木造の仁王像、阿形と吽形は、ともに公募展で入賞した。

 当時所属していた職場OBの写真クラブ発表会に作品を掲示すると、全国組織の写真クラブ宮崎支部の幹部
の人から称賛して頂いた。また、単身赴任時代に所属していた山岳会の20周年記念日に掲示した写真2枚を
延岡市の「虎彦」上田社長さんに見て頂くと、直ぐに「作品展を」と言って頂いた。しかし、初心者で全紙サ
イズに印刷した作品は5~6枚しか持っていなかったこともあり、有り難いことだったがお断りした。。

 しかし、その後上田社長さんから電話で作品展開催を勧めて頂いたので、2011年に第1回作品展「安ら
ぎと戒め」を開催した。その後、2週間の作品展を3年置きに第2回、第3回と開催させて頂いたことは、身
に余る光栄だ。

 また、作品展開催について無知な私のために、第1回作品展では全紙サイズ、A3ノビサイズ等の作品22
枚の展示を上田社長さんと男性職員だけで展示して頂いた。更に上田社長さんは個展を「安らぎと戒め」と名
付けて頂いた。これは、「安らぎと戒め」は、私の心に強く響いた。私のブログは「安らぎと戒め」と決めた。

 第3回個展の最終日、上田社長さんに「有難うございました。長年お世話になりましたので、今回で個展を
終わることにします」とお礼の挨拶をした。すると、上田社長さんは「何を言っている。第4回、5回と続
けなければいけない」と言って頂いた。有り難い言葉だったが、このように行って頂く時に止めるべきだと考
えた。

 ところが、今年の1月2日に帰省先の佐伯市からの帰途、「虎彦」に立ち寄って社長さんに新年の挨拶をした
ところ、「もう4月まではサロンの日程が決まっている」と言って頂いた。上田社長さんは、私の作品展開催を
前提として頂いていることを知って、有り難すぎる言葉だと思った。

 作品展については、鑑賞者の50代の女性から「一人で子供を育てているが、毎日苦しいので、あの写真を毎
日拝みたい」と言って頂いた。また、70代と思われる女性が、「子供が延岡に転勤したが、孫の守が必要だと
いうので宮崎からやってきたが、大変だ。あの写真を毎朝拝みたい」と別の写真を指差して頂いた。有り難いこ
となので、後日、二人の方にはそれぞれA3サイズにプリントした写真を差し上げた。

 このように私の写真を鑑賞して頂く方がいることを有り難いことだとと思いながら、上田社長さんのご配慮
を頂いて今年も「安らぎと戒め」を開催させて頂きたいと考えている。

 今回の運転免許更新に係る認知知能検査に合格したこと、その帰途に不思議な行動を取ったために仏像に会
えたことは、私の行動に力を与えてくれた。このブログ更新を手始めとして、私は以前の私に帰ろう。

 2020年4月25日
                                                    風

※ 久しぶりの更新で、ブログ作成方法を忘れていたために、操作間違いで1枚の大きな仏像写真が一番
 先頭に掲示されました。削除しようとしましたが、できません。近日中にパソコン習熟者に問い合わ
 せて修正します → このことについては、「このままで良い」との意見を頂いたので修正しません
※ 写真をクリックすると拡大します。.
※ 仏像の写真と併せて、近くの池に住む亀(銭亀)の写真を貼付しました。この写真撮影は、池の近く
 に住む方の協力を頂いて、その方の庭から撮影しました。






















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豪雨の中、月下美人はパラソルの中で次々に咲く

2019年07月14日 10時46分17秒 | 日記

 九州南部は先月28日頃から猛烈な雨が頻繁に発生しており、携帯電話には市役所からの
防災メールが集中している

 そんな中でも先月中旬から咲き始めた月下美人の蕾は、次々に現れている  ところが、
月下美人の花弁は弱々しいので、猛烈な雨に打たれると花は萎んだままになってしまう

 そこで、雨に打たれる仏像を撮影するために用意しているパラソルで月下美人の蕾を庇う
ことにした   幸い、以前飼っていた犬小屋は2畳半ほどの大きさで、その近くに植えて
いる月下美人の傍には木の枝が何本かあるので、小さな傘とパラソルで殆どの蕾を庇うこと
が出来た

 その効果があり、月下美人は次々に花を咲かせた   また、最近は小さな蕾が幾つか出
来ているので、暫くは花を楽しむことが出来そうだ

 巨田の大池に咲くハスは、先日行った時まだほんの一部だったので、そろそろ行ってみた
いのだが当分は晴天が見られないようだ

 ところで、先月義弟からメダカを三匹貰った  それぞれ違う色なので、見比べながら楽
しんでいる   義弟から色々教えて貰ったが、先日、小さな子供がいることに気がついた
体長が3ミリ~5ミリの子供が、「多数」泳いでいる   その数は数えることが出来ない
が、義弟は「子供は直ぐに別にしないと親に食べられる」と教えてくれたが、縫い針ほどに
細く、体長が短いので捕まえることが難しいこともあり、まだ引き離すことが出来ていない

 さて、どうしたものだろうか

           2019年7月14日
                                      風
※ 写真は、クリックすると拡大します

















【 メダカの親子 】


母親の腹部が膨らんでいるので、近日中にまた・・・・・

可能な限り拡大しているので、ピントが甘いように見える   
※ 頭部の径は1.5mm か !


【 巨田の大池に咲くハス 】 
                   2019年7月6日 撮影 

         茎が曲がったハスは初見

         脚立を使用

                                                      

月下美人の花が咲いた

2019年06月24日 12時49分33秒 | 日記

 生前の母が鉢植えで育てた月下美人が咲いたのを見たのは、凡そ70年前のことだったと思われるので,今回我が家の庭に咲いた
月下美人は随分と久しぶりの鑑賞だ   もっとも、母が育てた月下美人については、当時幼少だった私はその花姿を記憶してい
ない

 今春、妻が姉から頂いてきた月下美人を大事に育てていたところ、今月上旬に小さな蕾が着いた
「月下美人は深夜に咲く」と聞いていたので楽しみにしていたところ、庭の手入れをしていた妻が、「月下美人の蕾だ」と大声を
出したので行ってみると、明確には分からなかったが、多分蕾だろうと思われる小さなものがあった

 その後、茎が伸びて蕾と確認した  今月中旬頃には明確な蕾になり、17日の午後9時頃に覗いてみると、既に開花していた
花径は妻の顔面に近いと思われるほどに大きかった

 その後、19日に2個目の花が夕方8時半頃に咲いた    今のところ、蕾がまだ11個あるので次々に開花するだろうと楽し
みにしている

 狭い我が家だが、妻の手入れが良いのか、次々に色々な花が咲いている  通過交通が殆どない静かな地域で、友人や就職した
当時の先輩などから頂くことも多く、有り難いことだと感謝しながら、花のある生活を楽しんでいる  

   2019年6月24日
                                                               風
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6月22日 佐土原町の「巨田の大池」に咲くハス    






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元越山は前後をネズミに囲まれて

2019年05月07日 21時57分28秒 | 日記

 国木田独歩が頂上からの展望が素晴らしいと描写した元越山は、低山だが大分県の
山の中でもベストワン(山と渓谷社刊「大分県の山」)とされている

 以前所属していた山岳会時代からの山友3人で古祖母山に登る計画をしていたが、
1人が所用で参加できなくなった   そこで、行き先を元越山に変更し、佐伯市の
山友に電話で登山口を確認したところ、「県外から帰省していた兄弟達が予定を早め
て帰省したので、私も参加する」と案内役を務めてくれた

 彼女は随分前に大崩山で会って以来、九重連山などに同行しているが、今回の同行
者と一緒に3人で古祖母山に登ったことがあった   その時には、途中でお互いに
「鼠年生まれ」であることが分かると、「今日は敬老の日だからゆっくり歩くように」
と私が言った言葉を無視して、「風さんは蛇年生まれだから、鼠年生まれの私たちは
風さんの餌だ」と言って私を待たずに、さっさっと先に登って行った

 今回は、彼女が案内役だから先頭、私が2番目で延岡の後輩が後詰になった
ところが、7歳年配の私が若い2匹の鼠に取り囲まれた格好で歩くと、「敬老の日」
などと言う言葉は今回も全く無視された

 しかし、不思議なことに、今回は4~5回の「短時間立休み」をしただけで凡そ
2時間半の登りを歩いた    前後から若いエネルギーの発散を受けたのだろうか

 登山道はよく整備されていた   以前私が3回登った時とは違う「木立登山口」
から登ったが、登山道の途中には案内標柱がしっかりしていた   特に、頂上の
手前900mからは、100m毎に標柱が設置されていた

 頂上に着いた頃から展望ができない状況になったことは残念だったが、2匹の
鼠のお陰様で、久しぶりの山にもかかわらず、若い山友の足に合わせて(?)歩いた
こが嬉しかった  有り難い   

 先日の韓国岳では何度も休憩し、4合目を過ぎた辺りから、初めて2本のストック
を使用し、若い同行者には頂上で随分長い間待たせたことから、今回、何故順調すぎ
る歩きが出来たのか信じられなかった

 それにしても、傘寿に近づいている私が安全に山を楽しむことができるのは、同行
してくれる山友がいることだ。私も、野菜や魚、肉などの食事、散歩、毎日数回の
ストレッチ等に気を配っているが、最近は以前のような単独登山は控えてえいる
 
 高齢の私に不測の事態が生じた時、救助を連絡してくれる山友は必要だ  山に
誘ってくれる山友、声を掛ければ同行してくれる山友がいることは有難い

  2019年5月7日
                                      風
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韓国岳に ” ゆっくり、のんびり、ぼちぼち ” 登った

2019年04月24日 09時54分03秒 | 日記
 硫黄岳の噴火活動等に伴う規制で韓国岳から遠ざかっていたが、先日規制が一部解除されたので
久しぶりに出かけた   

 規制解除が報じられた後の日曜日なので登山者が多いと予想した通り、混雑を避けたつもりで9時
半頃に登り始めると一時は行列ができたので、後続のグループなどには次々に道を譲りながら、
ゆっくり、のんびり、ぼちぼち歩いた

 私が60歳代に入った頃に仲間と登っていた時は、「今日は敬老の日」だから、ゆっくり歩くように」
と冗談を言いながら登っていたが、今日は「行列の中を歩くことをしたくない」ので一段と歩く速度が
遅くなった

 車を運転中も後ろに車が接近してくると、その後続車が追い越すことができる場所を選んで追い越し
をさせることが多かったので、同乗の仲間から不満が出ていたものだが、昨年喜寿を超えた今も同様な
走行をしている   山でも、後続者に追い立てられるかのような歩きはしたくない

 かつて所属していた山岳会の中で健脚者を選んで小グループを結成したリーダーに認められてグルー
プに参加していた  おかげで四国、中部地方までリーダーと私の車に相乗りして山を楽しむことが
出来た 

 そのリーダーは、人が3泊を要する山には2泊で、2泊の山には1泊で行くという強行登山者だった
グループ登山を始めた当初は、下山中に休憩していると「どうして降りる時に休むんだ」と言っていた

 同年であることもあり、私を大事にしてくれたが「山に入るだけで楽しい」と言って山の草花や巨木、
巨岩、遠景などを楽しみ、撮影したあと仲間の所まで走って追いついていたことについて、仲間には
「困った人だ」と言っていたそうだ    しかし、彼のお陰で私は多くの山に登ることができたので
あり、彼と出会わなければ、その後一時登山ガイドになったこともなかっただろう    有り難い

 そんなリーダーとは、車で2時間以上の遠距離に住んでいることなどもあり、60歳を超えた頃から
同行することがなくなり、私は若い人たちと登ることが多くなっていた

 こんなことを思い出しながら、のんびり、ゆっくり、ぼちぼち山歩きと初対面の登山者と冗談を言い
合うことを楽しみながら登っていると、4号目あたりで「昼食の握り飯」の持参を忘れていることに気
が付いた

 気が付いたとたんに一気に空腹と疲労を感じた   「これでは頂上まで歩けない」と考えていると、
冗談を言い合いながら、追い抜いたり、追い越されたりしていた鹿児島市の登山者が追い付いてきたの
で、このことを話した   すると、その男性は「握りを沢山持っているから」といって私に2個の握
り飯を渡してくれた   私が断っても、彼は「とにかく、受け取れ」と渡してくれた  有り難い

 気分一新、その後も何人かの登山者と冗談を言いながら歩いた   左足に多少の不自由を感じて
整形外科に通っているが、歩行に支障は感じていなかった   しかし、頂上が近づいた頃から何とな
く不自由を感じたのでザックからストックを取り出した   ストックを使用するのは初めてだったが
疲労を感じ始めていたのに、いつの間にか軽快に歩いていた

 頂上に着いた時、改めて自分の不注意を反省し、握り飯を頂いた有り難さに感謝した

 久しぶりに見る韓国岳からの展望を楽しみ、人の心の暖かさに感謝しながら無事に下山した

   2019年4月21日

                                                           風
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駐車場から登山口へ

登山道から硫黄山の噴煙

従来の登山道へ

3合目

キリシマミズキ

韓国岳頂上
 
韓国岳頂上から新燃岳 

学校法人の卒業式が終わり、庭の花を眺めた

2019年03月06日 18時33分07秒 | 日記


 学校法人の日南市内の中学校高等学校、田野町の高等学校と日南市内の看護専門学校の3回の卒業式
(卒業証書授与式)が全て終了した

 例年のことだが、高等学校の看護科、高等学校内にある看護専攻科、看護専門学校の卒業生に関して
は、今後国家試験の結果を待つことになるが、全ての卒業生は入学式の時と違い、頼もしい成長をして
いる   卒業生の記念作文集には、教師、学友、家族などへの感謝の気持ちと心強い決意が溢れている

 私は毎年、素晴らしい卒業生を見送る機会を頂いていることに感謝している

 さて、自分のことを振り返ると、まだ自称「男の更年期障害」から完全には抜けることが出来ていな
いようだ   あれをしよう、これをしようと考えるのだが、実行が伴わないことが多い

 福寿草が咲いている山に行こうと随分前から考えているが、双子の孫が入学試験を受けに行く手伝い
をしたり、グラウンドゴルフ場の芝手入れ等々をしており、山に行く日程が決められない   しかし、
先ずはこの福寿草鑑賞を手始めに、山野草鑑賞登山を継続してみよう

 庭には色々な花が咲いているが、中でも昭和42年に就職した時の先輩から昨年頂いた「黒椿」の花
が咲いたのは嬉しい   同じ先輩から以前「黒椿」として頂いた椿は奇麗だったが、実はあの椿は
「孔雀椿」だったそうで、昨年「これが本当の黒椿だ」と言って頂いた椿の花が先日開花した

 さすが「黒椿」というだけに、今まで見たことがない「赤黒い」色で、輪計が11cmほどの大輪だ
った   今は2番目の花が咲いているが、この花はやや小ぶりだ   それにしても先輩からは白椿、
薄い桃色の椿など沢山の花木を頂いている

 先輩は徳用作物の技術職員で、私は事務職員だが退職後も山からの帰途などに立ち寄ってお茶を頂い
ている  有り難い

 大学を卒業して、県外の公務員として働きながら職員や関係業務の方々、謡の先輩、山の仲間、写真
の指導者、仲間等々大勢の人から指導して頂き、親しくして頂き、お世話になってきた

 昨年、郷里の中学校、高等学校の喜寿同窓会を迎えたこの頃は、上記のようなご指導いただいた方、
お世話を頂いた先輩や仲間の中には、会えることが出来なくなった方が少なからずあるのは寂しい限りだ   

 先日も、昨年逝った山の先輩宅に行き、奥様と山の話など2時間ほど話した   先輩は、私の仏像
写真の個展を鑑賞して頂き、「よくぞ世に埋もれた仏を、世に出してくれた」と言って頂き、「この本
は私が持っているより貴方が居っている方が良い」と「廃仏稀釈百年」と題した貴重な本を届けて頂い
た   有り難い

 3年毎に開催してきた仏像写真の個展は、3回目の終了日、サロンの経営者に3回の個展開催のお礼を
申し上げ、今回で最後にすると伝えたところ、「何を言っている 4回、5回と続けなさい」と言って
頂いた   有り難いことだが、全紙サイズなど大きな写真25枚前後を展示するサロンを2週間無料
で貸して頂いているので、あまり継続することは遠慮すべきだろう

 しかし、第1回目の時は、たまたま私の仏像写真を観て頂くと、直ぐに事務室に引き返して手帳を持
参してきて、「この作品の展示は何時からにするか」と言って頂いた    驚いた私は当時全紙サイ
ズの写真は所属クラブの作品展用に作成した3枚だけだったこともあり、断った   しかし、その後
も自宅に電話を頂いたこともあり、急遽開催した

 この作品展で多くの方の意見を聞かせて頂いたことで、私はその後本格的に仏像撮影をするようにな
った  有り難い   私がその後、県美術展、宮崎日日新聞美術展、宮崎市美術展などで幾度か入選
できたことは、あの個展開催が切っ掛けとなっている

 とりとめのない文章になったが、毎日就寝時にはこれらの方々に「有り難い」と感謝するのが習わし
になっている

    2019年3月6日
                                                風
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黒椿 1月21日撮影(この写真はこれ以上拡大しない)

黒椿 2月26日撮影(この写真はこれ以上拡大しない)

黒椿 3月4日撮影( この写真はこれ以上拡大しない )

孔雀椿 ( 昨年4月撮影 )





































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九重連山散策

2019年01月12日 10時08分58秒 | 日記

 1月9日早朝に自宅を出発して山友と合流し、久しぶりの九重連山に向かった  
 天気予報によれば九重連山方面は曇り後夕方は小雨が降る恐れがあるとのことだったが、山友とは「 ともかく九重連山に入ることが目的で、
頂上にはこだわらない 」と言って計画した   竹田市に入ると通行する車が少なく、特に瀬の本付近では殆ど車が走っていなかった

 牧ノ戸に着くと、広大な駐車場に20台足らずの車が駐車していた   寒かった  天気予報の気温は3度だったが、風が強いので体感温
度はもっと低く感じた   駐車場を歩く人がなく、静かな中で重装備に着かえて登山口に向かうと、下山してくる人がいた   どの山に登
ったとしても、頂上から下山するにしては早すぎると思った    その後も時々下山してくる人がいたので「 早いですね 」と声をかけると
「 いや、寒さと強風などのため、頂上まで行くのは危険だと考えて頂上まで行くことを止めて途中から下山している 」とのことだった

 登山道では、沿線に奇麗な樹氷がある所で景色を楽しんだが、空はどんよりと曇っていたので三俣山、扇ケ鼻などの遠景は全く見えなかった
また、登山道には僅かながら積雪もあったので、岩場では慎重に歩いた   僅かな積雪が下山時に溶けていると、泥濘になることもあるだろう
から、頂上に行かずに下山している人たちの中には、強風と寒さに加えて泥濘も考慮したのかもしれないと考えた

 途中で水を飲もうとザックの前面ににぶら下げている小さな金属製の水筒を開けようとすると、蓋が凍り付いて開けることが出来なかった
止むを得ず、ザックの中の水筒を取り出して白湯を飲んだ   

 少し早めの昼食にして、下山しようと考えて強風を避ける窪地で握り飯を食べた
 昼食が終わる頃になると、辺りが明るくなり、風も弱くなった   扇ケ鼻などの山頂が樹氷で真っ白になっているのが見えたので、この分
なら扇ケ鼻の分岐までは行けると思って歩き始めた   しかし、その後も気象の変動が続いたので、扇ケ鼻への分岐直前で引き返すことにした 

 案の定、暫く歩くと、今朝薄い積雪があったところは雪が溶けて泥濘になっていた   しかし、沓掛山を過ぎた辺りからまた空が明るくなり、
遠くを眺めると、扇ケ鼻~肥前ガ城~星生山と思われる山の頂上付近が樹氷で真っ白になっているのを楽しむことが出来た   しかし、その先
には一面に黒い雲が見えたので、いずれ間もなくまた天気は崩れるだろうと思われた    

 下山後、黒川温泉街にあった馴染みの温泉に行くと、「 耕吉は30年5月30日をもって閉店します」とあった  道々、閉店かもしれない
と思いながら進んだが、寂しかった   昨年は春先から山に行くことが少なくなり、九重連山には3月に山友と国民宿舎泊で行ったので耕吉
には立ち寄れなかった  

 凡そ20年前に熊本の山友が連れて行ってくれた温泉で、木立の中に佇む古民家づくりの浴場(母屋)は広く、一段下った川沿いには家族風呂
のある温泉だった   私は川沿いの狭い方の温泉で川の流れや対岸の林を見ながらゆっくり入湯するのが楽しみだった

 県北の山岳会に加入していた頃、定例会時に立ち寄っていた温泉は、駐車場に殆ど車が駐車していなかったので、そこも廃業しているかのように
思われたので竹田市街地に近い温泉で昔日を忍びながら体を休めた   

      2019年1月
                                                                   風

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少なくとも80歳までは

2019年01月05日 17時24分17秒 | 日記

元日は近くの生目神社に参拝して世界の平和を祈念した  今年も、少なくとも「日本は戦争がない年」になって欲しいものだ
 
2日は、病院で働く長男の妻を除いた長男の家族と大分に帰省した  

 帰省からの帰途、予ねてからの懸案であった津久見市の「 うみたま体験パーク 津久見イルカ島 」でイルカの芸を楽しんだ   イルカ島は海に
浮き歩道を設けたような施設なので、寒空のなか強風が吹いていたが、高く飛び上がるイルカの芸等は見事で、大いに楽しんだ

 その後、海岸線を走っていると、長男が「ちょっと待って」と言って道路沿いの駐車場に入り駐車した   何事かと辺りを見回すと、二つの島に
注連縄を張っているのが見えた   

 旧年暮れに宮崎のテレビや新聞でも報道されていたので、 有り難い   折よく引き潮だったので手前の島にある階段と崖を登って展望台に行
くことができた   地域の皆さんは、注連縄の下から登る「 初日の出 」を楽しむそうだ

 ところで、喜寿を迎えた旧年の初春頃と記憶しているが、「 男性の更年期障害 」だと言って知力、体力の衰えを訴えていた   その影響なの
か永年に渡って恒例としていた「毎週登山」が忘れられるようになり、1月3日の登り始め、12月27日の登り納めもこのところ実行していない

 そんな時、古くからの山友や友人、先輩の奥様が鬼籍に入った   また、旧年10月に郷里の高等学校喜寿同同会に出席したところ、350名
余の同窓生の中で70名余が鬼籍に入っていた   当日の参加者は71名だった  

 これらのことも切っ掛けの一つとして、体力の維持、回復に努めることを目指して近くの公園や102段の階段などでトレーニングをした  
その結果、妻が「 以前は下半身の筋肉が衰えていたが、最近はしっかりしてきた 」などと発言したことや、自分でも体力の復活を感じたので、次々
に強力なトレーニングをしたところ、暫くして腰痛などを発症した   
 
 それでもグラウンドゴルフでは不自由な足を労わりながら、欠席することなく参加している   グラウンドゴルフの仲間と冗談を飛ばし、大声で
笑いながら運動することは、知力と体力の維持に欠かせない   有り難い  

 最近はかつて学んだ気功、ヨーガ、スポーツマッサージなどを取り混ぜて、体の柔軟さを中心に置きながら長期的な目標に北アルプス復活を目指し
ている

 しかし、ここは初級者として登山者が多い低山で体を山になじませることから始め、秋には北アルプス復活を楽しむことにしよう

   2019年1月5日
                                                                   風

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【 庭の花 】






































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