安らぎと戒め

仏像と花と山と写真を楽しみます

茶工場の閉鎖

2012年05月25日 21時08分39秒 | 日記
 

 山村の集落に茶工場を設立し、地域の生産者などから感謝されていた先輩の奥様が腰痛で苦しんでいることを知ったので、
自宅から車で4時間近くかけて、力仕事の手伝いに行った  ところが、先輩は「今年で茶工場をやめる」と言う 

 生まれ故郷の集落は山村の過疎地で、生産者は生葉を加工するためには1時間半かけて茶工場のある町まで運ばなけれ
ばならなかった   先輩は退職後に故郷に茶工場をつくり、毎年茶の生産時期に奥様と二人で自宅から車で2時間半かけて
茶工場に出かけ、2週間ほど泊まり込んで生葉の加工をしてきた

 24年間続けてきた茶工場を、80歳を迎えた今年を最後に閉鎖するそうだ   地域の方から継続の要望があるそうだが、
先輩の意志は強かった  80歳の高齢と奥様の腰痛などの症状をみれば、先輩の「潮時だ」という言葉に「お疲れ様でした」
とのねぎらいと、故郷の人たちのために、ほとんどボランティアで茶工場を経営してきた先輩に対し「良いことをされましたね」
と賞賛の言葉を贈ることが私にできることだと思った  
 それにしても、先輩の茶工場が閉鎖される直前に茶工場に立ち寄ることができたことは有り難かった 

 その後、たまたま通りかかった私の中学時代の友人が経営するラーメン屋に立ち寄った
 彼は、「良い日に来た  今月末で閉店する」

 奇しくも、先輩と友人が今月で茶工場とラーメン店を閉鎖する   そして、閉鎖の直前に私は二人の職場を訪れることがで
きた  有り難い  友人は、私と同じく隣県の出身で、中学校の同窓だった  現在地でラーメン店を34年間経営したそうだ
私は昭和42年に就職のため一人で来県した   友人とは20年前に連絡が取れ、その後彼の店で時々「生まれ故郷の田舎
弁」で雑談を楽しんだものだ

 明日は、田舎の高等学校同窓会のため大分に帰省する   「古稀同窓会」と名付けた幹事から確認の電話をいただいた

 同窓生に会ったら、「少なくとも80歳までは日本アルプスに登る    少なくとも90歳までは九州の山に登る」といつも仲間
に公言している言葉を伝えることにしよう

   2012年5月25日                                     風  太郎

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幼き日 溺れかけたる記憶ありて

2012年05月14日 14時23分03秒 | 日記
 
幼き日溺れかけたる記憶ありて水神淵は今なほ碧し

 94歳で逝った母の歌集「冬の川」に収録された歌の一首
 先日帰省した時、途中で国道10号から西に曲がり、川を渡って隣村に入った  そこから川沿いに北上すれば、間もなく水神淵が見える
 水神淵は、私が子供の頃は、泳ぎが上手な子供だけが遊べる深く、碧い淵だった  しかし、約40年ぶりに見る淵は水が少なく、当時と
 は様変わりしていた

 大分県の寒村に生まれた私は、山と川、田畑で遊んで育った
 水田に水を引く水路の幹線は、幅が2メートル余り、深さは1.5メートル弱だっただろうか  生家は農閑期に母と祖父が和紙を漉いてい
 たので、水路の幹線沿いに楮を煮るための大きな窯があった  窯で楮を煮るときには、楮の上のほうに薩摩芋を乗せておくと、美味しい
 薩摩芋の煮ものができる   子供には楮炊きは楽しみだったので、良い遊び場所だった
 5歳のころだったと思うが、家族がいないときに窯のそばで遊んでいた私は、水路に落ちた  泳ぎができなかった私は、隣の集落まで流
 され、偶然に水路の擁壁に手がかかって助かった

 集落の一角にある防火用貯水池の上に、取替用の電信柱が橋のように架けられていた  この電信柱を歩いて渡ろうと子供仲間で話し合
 った  小学校の3年生で、泳ぎが得意ではない私が、最初に渡り始めた  しかし、直ぐに池に転落した  濁った水の中で溺れかけてい
 ると、眼前にぼんやりと竹が見えた  4年生の先輩が差し出してくれた竹のお蔭で、私は助かった   その先輩は、70歳を超えた今も遠
 隔の地で健在だ

 台風の翌朝、氾濫している川の堤防で、私は芋虫を2~3匹針金に串刺しにして丸め、テグスに結んで蟹を釣っているうちに濁流に転落し
 た  隣の集落まで流された所で、偶然に堤防近くにある河川敷竹林の竹に手が届き、これを掴んで助かった

 このように私は、子供の頃三回水死を免れた  勿論、このことは家族の知るところではない
 ところが、後年、私の誕生後二か月で出征した父は、3年後にマリアナ群島沖方面で輸送船が沈没して戦死したと知った 
 また、平成元年に刊行した母の歌集で、母も田舎の深く碧い淵で溺れかけたことを知った
 母の和歌を読んで、これらのことを思い出しながら水神淵の岸を歩いた 

    幼き日
     溺れかけたる
      記憶ありて
       水神淵は今なほ碧し

    2012年5月14日                                   風  太郎










 

仏像に招かれて ・・・・・

2012年05月12日 21時43分39秒 | 日記

 4月下旬、日南市からの帰途、気が付くと狭く曲がりくねった坂道の旧道に入っていた  坂道を下り終えると集落に入る
集落の中を進むと、間もなく緩やかなカーブがあり、これを左に曲がれば市街地に向かう  しかし、そこでも“なんとなく”
右折した  暫くすると、集落を外れた川の手前に鎮守の森が見えた  

 鎮守の森には、神仏融合の面影を残す神社と仏像、小堂があった  3棟の小堂の1棟には「寄せ集め」と思われる仏像
が11体収められていた  他の1棟には観音像と思われる木像が1体  もう1棟には何も収められていなかった  しかし
仏像などが収められていない小堂にも、真新しい花が供えられていた  小堂内にあった仏像は盗難にあったのかもしれな
いと思ったが、何もない小堂に花を供えていることが奇異に感じられた  

 木像が収められている小堂の床には、シロアリがいた  小堂内の木像の隣には、もう1体の仏像を収めていたと思われ
る部屋が荒れ果てていた  破壊されたと思われる部屋には仏像はなかった
 この鎮守の森にある仏像などは、一般的に寺などでみる仏像と違い、外国で作成されたのではないかと思われる仏像が
いくつかある 

 それにしても、2009年に、私はそこに何があるか知らずに “ なんとなく ” 苔むした階段を登って、初めて廃仏毀釈により
破壊された石像、破壊された石像をセメント等で修復した仏像等を観た  その後も、走っている道から何気なく離れて進む
とそこに仏像があった
 昨日も、知人に教えて頂いた「望洋園の裏山」にある散乱した仏像の撮影を済ませて帰宅するときに、何故かいつものルー
トとは全く違うルートを通った  山中の坂道を走っていると、道路に「廃寺跡」の案内標識があったので車を降りて山道を登る
と、廃寺跡の周辺に石像や木像があった  

 仏像の撮影をしていることを知った山友や、昨年の個展を鑑賞して頂いた方などから仏像の所在地を教えていただいたり、
偶然(?)に仏像の在り処に「迷い込む」ことがあることなど、私は有り難すぎる撮影環境に恵まれている  このことに感謝し
ながら、撮影を続けている  しかし、生来の「おっちょこちょい」と忘却係数の高度化などが障害となり、満足のいく作品がで
きず、同じ仏像を5回以上撮影しなければならず、それでも、結局、作品として完成できないこともある

 山遊びと同じように、〝 のんびり ゆっくり  ぼちぼち ″撮影を続けていくことにしよう

     2012年5月12日 
                                                 風  太郎













誰故に咲くうら紫のゆかりの色には咲き出るよ

2012年05月06日 22時44分34秒 | 日記

 かかる花の けうとき山ふところに
      たれゆえに咲く うら紫のゆかりの色には 咲きでるよ

 人気のない山懐に咲く紫色の小さな花を見た13世紀の雅人・藤原何某が、「こんな可愛らしい紫色の花が、
人気のない山奥で、いったい誰のために咲いているのだろうか」と詠って賞賛したことから、「誰故草」と名付
けられたと言われている  その後牧野富太郎博士が愛媛県で発見して「愛媛菖蒲」と名付けた   しかし、
後日、「誰故草」という花名があることを知った牧野博士は、「愛媛菖蒲」の花名の変更を申し出たが認められ
なかったので、和名は「愛媛菖蒲」となっている
 愛媛菖蒲は絶滅危惧種に指定されている  宮崎県が南限とされているが、来年も鑑賞できるだろうか

 愛媛菖蒲を鑑賞した後、下泉水~黒岩山を歩き、下山後は、牧ノ戸から長者原まで林間の「九州自然歩道」
3.5kmを歩いた  殆どの歩道が舗装されていたのが残念だったが、土砂流失防止の為にはやむを得ない
だろう

 今回も、「草原の一軒家」で「ハリギリ」の葉、山藤の花(蔓は左巻き)などの野草天麩羅を食べた 

            ※ 写真は、クリックすると拡大する  もう一度クリックすると、更に拡大する

1枚目~3枚目は、菖蒲科 菖蒲属 愛媛菖蒲  
   4月15日に九重に行ったが、野焼の跡が生々しく、愛媛菖蒲は芽吹いてなかった   そろそろ咲くだろ
   うと思って昨日(5日)九重連山に行ってみた  以前咲いていた個所では見つけることができなかったが、
   周辺に僅かに咲いていた 花茎は5~10センチ 花は青紫色で、直径約4センチ 花が終わると30セン
   チほどに伸びる
 
 4枚目は、撫子科 輪違草属 和田草  和名は長野県和田峠にちなんでつけられた  高さは5~20cm
   花は白色の5弁花で、直径約7ミリ 
 
 5枚目~7枚目は、目木科 碇草属 梅花碇草  高さ20~30センチ  花は白色で、距がない  
   仰烏帽子山にある碇草は、高さが40センチほどで、距がある

 8枚目は、百合科 甘野老属 甘野老(アマドコロ)  高さ30~60センチ
   アマドコロは4月~5月に花が咲き、鳴子百合は5月6月に花が咲く また、鳴子百合の茎は丸いが、アマ
   ドコロの茎を触ると、角ばっているので区別できる  下泉水の西斜面に群落していた  下泉水の西斜面
   の登山道沿いには、黄スミレが一面に咲いており、気持ちよく歩くことができた

 9枚目は、ゴマノハグサ科 鷺苔属  紫鷺苔  
   湿地に生える花で、花の形は唇形 花柱の先は大きく広がって2分裂し、その内側が柱頭になっている
   柱頭に触れると上下に分かれている花柱の先が閉じ、しばらくするとまた開くことを、帰宅後に知った
   次回、試してみたい  楽しみだ

          2012年5月6日                     風  太 郎
    
 

 















標題「安らぎと戒め」の謂れ

2012年05月01日 22時57分11秒 | 日記

 旧年11月、延岡市の(株)虎屋の上田耕一社長から勧めて頂き、未熟を顧みず、恥を忍んで虎屋サロンで写真の個
展を開催した  
 上田社長の見事な作品装飾のお蔭と、私の作品の趣旨を充分に表現した「安らぎと戒め」という標題を作成していた
だいたことなどがあって、マスコミも好意的に取り上げて頂いた

 中学2年生の時に「ボルタ版」の写真機で黒白写真を自宅で現像していたものの、本格的に作品を作り出したのは社
会人になってから  山でマクロ撮影した花の雄蕊・雌蕊をハガキにプリントし、宛名面の下部に小さな花の全体写真と
科名、属名、花の名前、花名の由来などを記載して「花だより○○号」として山友等に送付していた 母も毎回楽しみに
してくれていたが、2007年11月に94歳で亡くなった  

 法事などで帰省し、村の鎮守の神様を祭る神社の近くを通ると、何故か体がざわつき、神社に立ち寄らなければいけ
ないような気分になることが重なった    そのうち、県道から2百メートルほど入って神社に行き、一部崩壊した狛犬や
神社の床下に放置された鬼瓦などを撮影した  これが切っ掛けとなって、その後仏像の撮影に進んだ

 個展では、長年癌で闘病中の方が写真を観て「この写真を観ていると心が安らぐ  自宅に飾っておきたい」と言われ
たので、A4版の写真を差し上げた  この方は山友だったが、その後、旧年12月中旬に亡くなった

 遠方から来ていただいた方は、「 仏像の写真を観ていると、涙が出てくる 」と言っていただいた  
 廃仏毀釈に関心のある方は、「 虐げられて埋もれた仏像を、よくぞ世に出していただいた 」と喜んで頂いた 
 本当に有り難い機会を頂いた   個展開催を勧めて頂いた(株)虎屋の上田耕一社長に改めて感謝の意を表し、
ご鑑賞頂いた方々にお礼を申し上げたい

 有り難うございました

    添付した写真は、個展に出展した作品の一部    ※ 写真をクリックすると拡大される
 
       2012年5月1日                    
                                           風 太郎