三度目の槍ヶ岳は、今までと違うルートの新穂高温泉から双六小屋~槍ヶ岳~槍平~新穂高温泉にすること
にして、天候を見ながら8月20日に出発する予定にしていた ところが、台風12号の後に台風11号が
来襲するなど最近の天候、気候は変動が目まぐるしい 九州南部も梅雨明け後に晴天が続かず、事前訓練登
山が思うようにできなかったことや、北アルプス方面の天候も山登りには適さない状況が続いたので20日の
出発を決断できない日が続いた
ゆっくり、のんびり、ぼちぼちと安全登山を楽しむ私は、3千メートル級の高山に豪雨や烈風があった後は、
登山道の安定が確認されるまでは登らないことにしている また、北アルプスの前に訓練登山をする山の中
で、夏木山の犬流峠ルートと大崩山の上祝子登山口ルートでは、2日以上連続降雨があれば、その後2日以上
経過しないと登らないことにしている
そんな中に、8月10日に東京の叔父が亡くなったとの連絡があった 早速上京するための準備を進めな
がら、念のために従弟に電話をすると、通夜は15日、葬儀は16日とのことだった
昨年か一昨年に大病を患った叔母が、叔父の逝去による精神的な痛手がもとで寝込んだために葬儀が先延ば
しになったのではないかと心配したが、葬儀社の都合であることが分かり、安堵した
葬儀が終わり、納棺の時叔母は「夫は花が好きだった」と言った 叔父の周囲には遺族、親族の手で花が
捧げられた 棺の蓋が閉まらないのではないかと案じるほどの花に囲まれた、穏やかな表情の叔父に、小さ
な声で「 有り難うございました さようなら 」と別れを告げた
通夜の日の昼過ぎまで、葬祭場のある西日暮里駅近くにある神社仏閣を廻った そのとき撮影した仏像等
と、帰途、叔母の特別配慮で頂いた「精進落し」の弁当を食べるために立ち寄った不忍池で撮影した蓮の花、
帰宅後に自宅で撮影した鷺草の花を叔父のために添付する
2014年8月17日
風
※ 写真はクリックすると拡大する もう一度クリックすると更に拡大する
16日 不忍池で撮影した蓮
17日 我が家で撮影した鷺草
15日 第一日暮里小学校校門にある彫刻家高村光太郎筆の「正直親切」
15日 第一日暮里小学校校門の「正直親切」横にある石彫家飯田雅光のフクロウ 梟は「森の智者」
15日 仁王像 阿形
15日 仁王像 吽形
15日 荒川区指定有形文化財 銅像地蔵菩薩坐像
15日 銅像
15日 大黒天
15日 南無大師遍照金剛
p
にして、天候を見ながら8月20日に出発する予定にしていた ところが、台風12号の後に台風11号が
来襲するなど最近の天候、気候は変動が目まぐるしい 九州南部も梅雨明け後に晴天が続かず、事前訓練登
山が思うようにできなかったことや、北アルプス方面の天候も山登りには適さない状況が続いたので20日の
出発を決断できない日が続いた
ゆっくり、のんびり、ぼちぼちと安全登山を楽しむ私は、3千メートル級の高山に豪雨や烈風があった後は、
登山道の安定が確認されるまでは登らないことにしている また、北アルプスの前に訓練登山をする山の中
で、夏木山の犬流峠ルートと大崩山の上祝子登山口ルートでは、2日以上連続降雨があれば、その後2日以上
経過しないと登らないことにしている
そんな中に、8月10日に東京の叔父が亡くなったとの連絡があった 早速上京するための準備を進めな
がら、念のために従弟に電話をすると、通夜は15日、葬儀は16日とのことだった
昨年か一昨年に大病を患った叔母が、叔父の逝去による精神的な痛手がもとで寝込んだために葬儀が先延ば
しになったのではないかと心配したが、葬儀社の都合であることが分かり、安堵した
葬儀が終わり、納棺の時叔母は「夫は花が好きだった」と言った 叔父の周囲には遺族、親族の手で花が
捧げられた 棺の蓋が閉まらないのではないかと案じるほどの花に囲まれた、穏やかな表情の叔父に、小さ
な声で「 有り難うございました さようなら 」と別れを告げた
通夜の日の昼過ぎまで、葬祭場のある西日暮里駅近くにある神社仏閣を廻った そのとき撮影した仏像等
と、帰途、叔母の特別配慮で頂いた「精進落し」の弁当を食べるために立ち寄った不忍池で撮影した蓮の花、
帰宅後に自宅で撮影した鷺草の花を叔父のために添付する
2014年8月17日
風
※ 写真はクリックすると拡大する もう一度クリックすると更に拡大する
16日 不忍池で撮影した蓮
17日 我が家で撮影した鷺草
15日 第一日暮里小学校校門にある彫刻家高村光太郎筆の「正直親切」
15日 第一日暮里小学校校門の「正直親切」横にある石彫家飯田雅光のフクロウ 梟は「森の智者」
15日 仁王像 阿形
15日 仁王像 吽形
15日 荒川区指定有形文化財 銅像地蔵菩薩坐像
15日 銅像
15日 大黒天
15日 南無大師遍照金剛
p
下町にはいろいろな名称があります、こんどゆっくり伯母様同行で来てください、ご案内いたします。
本当にありがとうございました。
そんな私に皆さんが多々配慮して頂き、恐縮し、感謝しながら帰宮しました
学生時代の6年間、叔母さんのお世話になることが出来たのは叔父さんが私を受け入れて頂いたお蔭様であることに感謝しています
いずれ、上京してゆっくり話をしたいと思います