安らぎと戒め

仏像と花と山と写真を楽しみます

素心蝋梅で迎春

2012年12月31日 17時23分03秒 | 日記
 近くに住む先輩のNさんが「蝋梅の花が咲いた」、と言って黄金色で香の強い花を一枝持ってきてくれた 
 先年、山岳会の会長から蝋梅の写真を添付したメールを頂いて感激し、その後蝋梅の苗を探していたところなので、Nさんからの
蝋梅は格別に嬉しかった    蜜柑を持ってNさん宅に蝋梅の木を見に行くと、奥様が花の咲いている枝を、惜しげもなく次々に手
折ってくれた  「 持ち帰って写真を撮る 」と言うと、帰宅したNさんは、「 葉があった方が良いだろう 」と残り少ない葉のついた枝を
折ってくれた

 「 有り難い。これで良い正月が迎えられる! 」
 蝋梅を頂いた私が感激して大声を上げると、花をくれたNさん夫妻も大満足の笑顔で私を見送ってくれた

 帰宅後、蝋梅を花瓶に飾って撮影した  その後、調べてみると、蝋梅は中国原産で17世紀頃に日本に渡ってきた花  蝋梅科、
蝋梅属の蝋梅で、薔薇科、桜属の梅とは異なる   また、Nさんから頂いた蝋梅は、栽培品種の「素心蝋梅」   原種の蝋梅の花
は、花の中心が暗紫色で、その周囲が黄色だが、素心蝋梅は花全体が黄色  「 花弁が蝋細工のような光沢と透明感」を持ってい
ることから名付けられたという蝋梅の花弁の透明感を、的確に表現する言葉を知らない  それほどに素晴らしい花だ

 年の瀬を一緒に過ごしに来た山ガールの家族ともども、黄金色の素心蝋梅の透明感と強い香りを十分に楽しみながら、新年を迎えた
 
 今年の目標は、毎月3回以上の登山と日本アルプス、秋の仏像写真個展開催

     2013年  元旦
                                                                      風 太郎











登り納めは高千穂峰

2012年12月28日 22時21分29秒 | 日記
 昨日、山友と二人で高千穂峰で登り納めをした
 膝の手術を行い、今も定期的に通院している山友は、登山中にたびたび「 足が遅いので申し訳ない 他の山友には迷惑をかけるので
一緒に登っていない 」 と言うので、「貴方のせいでゆっくり登っているのではない 私が 「 ゆっくり のんびり ぼちぼち 」 登っていること
は知っているはずだから、今後はそのような発言はしないように、というのも恒例になっている

森林限界を過ぎる所で前方を見上げると、左側(北)に新しい登山道ができていた   早速その道を登り始めたが、暫く歩いて気が付い
た  この新道は、急勾配の「砂道」なので、滑らないように一歩一歩慎重に踏みしめながら歩かなければいけない  うっかり転倒すると、
登山道の左側は遮るものがないので100メートル以上滑落する恐れがある   下山には使用しないことにした

 午前中は、誰も登ってこないし、下ってこない   「今日は貸切」かと思っていたが、午後になると次々に登ってきた  その中には上着
を着ていない人や手袋をしていない人もいた   気温は4度だったが、馬の背から先は強風が吹き、時折濃霧の帯が流れるので体感温
度は厳しかった   森林限界あたりは気温6度で風もなかったので、安易に登ったのだろうが、無事下山できただろうか

 登山者の中に、鎧、兜姿の男性がいた   挨拶をしただけで通り過ぎたが、思い返して声をかけた   「鎧武者」さんは、「鎧を着て日
本の城を歩いてめぐる旅」 をしているそうだ   この寒空のなか、無事で歩いてください

 下山後の帰途、何時ものように萩ノ茶屋の店で野菜、果物を探していると奥様がお茶を入れてくれた   有り難く頂きながら店の奥を見
ると、なんと、国富の「 鬼玄丹 」 こと大西さんが絵を描いていた   奥様を亡くされた鬼玄丹さんが種田山頭火の絵師( 私見 )として描き
ながら県内を遍歴していることは知っていたが、今日会えたことはこの上ない喜びだった   鬼玄丹さんの周りには絵を頂いた女性、絵を
頂くのを待っている女性が座っていた   

  - 写真を撮ってよいでしょうか
  - 縦からでも横からでもどうぞ
   
 大西さんと絵を頂いた女性との会話
  - タダではいけませんよ
  - タダがいいんです

 以前、私が頂いた絵に書いている文章
    
       うさぎぴょんと跳ね
         ぴょんと飛んで
           月でゆっくり
             寝たそうな
           あんたの人生
         ゆっくりのんびり
       生きりゃよい

 その絵を頂いたのが鬼玄丹さんを知った初めだった
 鬼玄丹さんは国富町の山岳会会長として式部岳の山開きを執り行われる   
 今年の登り納めは、なんとも素晴らしい「納め」になった   有り難い

 今日は、雨の中、また木喰五智館に撮影に行った  作品も旨くいくのではないかと思いながら準備している

     2012年12月28日

 ※ 写真は、クリックすると拡大し、もう一度クリックすると更に拡大する                              風  太郎


遠くから見ると、立派な登山道

登ってみると、足元が不安定

ひとり大名「鎧武者」

店内で絵を描いている鬼玄丹さんと絵を頂いた女性







  

氷点下で濃霧で粉雪

2012年12月19日 22時27分56秒 | 日記
 18日早朝8時半の牧ノ戸峠は氷点下で濃霧だった   
 広い駐車場に駐車している車は2台    
 瀬の本から牧ノ戸までは、行き交う車がなかったし、真冬でもこれほど駐車している車が少ない牧ノ戸は見たことがなかったので、
何か特別な事情があるのではないかと訝しく感じた   ともあれ、氷点下で濃霧のため視界が悪い中を久住山に登れば、
下山後には道路が凍結していることも考えられ、危険なので予定を変更して花牟礼山に登ることにした    
 
 駐車している車の人に、長者原方面への道路が凍結していないことを確認して男池方面に向かった
 長者原登山口の駐車場辺りに来ると、霧が晴れてきた   駐車場には10台ほどの車が駐車していた

 花牟礼山は、春先から秋までに花を楽しむ山だと考えているが、今日は登山口から9合目あたりまでは視界が良かったものの、
頂上が近くなると霧が深くなり、粉雪が降ってきたので、途中の展望台から黒岳などの遠景を楽しむこともできなかった

  低山で、見るべき景色もほとんどない山になったが、往復約2時間半山を歩くことはできたし、山での昼食と食後のコーヒーを楽しむことはできた   
  山の一軒家で山菜天麩羅を食べる楽しみは、いずれ「近いうちに」実現させることにして、先日テレビで放映された「泡が体に付着する長湯 温泉」
で体を温めた   しかし、湯上りに「張り紙」を読むと、「炭酸温泉で泡が体に付着するのは、温度が30度前後の温泉に限り、当温泉は40度前後な
ので泡が体に付着することによる効果は・・・」となっていた


 ところで、15日に五智如来館に撮影に行ったが、今回も目的の作品はできなかった   脚立は以前より長いものを持参したが、先輩から借用した
三脚の高さが今少し足りなかった    しかし、有り難いことに、その後地区の方と話をしていると、「もっと高い三脚を持っているから持って行け」と言
って私が持っていないレンズも一緒に貸して頂いた   これも、「近日中に」雨のふる午後に撮影に行くことにする  

   2012年12月19日
                                                                     風  太郎





  

岩ん堂薬師様

2012年12月13日 22時23分52秒 | 日記
 小林市内の国道脇に「東麓石窟仏」の案内板があり、予てから気になっていたので、今年の7月に国道の脇にある階段を下りてみた  
階段を下りると門構えがあり、門を潜ると、国道の下にトンネルがある   そのトンネルの奥に「 東麓石窟仏 」がある    薬師如来、日光菩
薩、月光菩薩の薬師三尊に眷族として12神将が従っている   また、向かって右側に尼像、左側に僧の像が彫られている    合わせて17
体の像がほぼ丸型の洞窟の中に「高浮彫」に彫刻されている   中心の薬師如来の脇侍は左側に日光菩薩、右側に月光菩薩、それぞれの菩
薩に6体の神将が従っている       

  岩窟の高さ 138.5cm     薬師如来  63.2cm      
      幅   184cm       両脇侍    42.5cm    
     奥行  166cm       12神将   39.44cm

 製作年代は明らかにされていないが、案内板によれば、仏像の衣装などから鎌倉時代の末期に作成されたものと考えられている   製作から
約700年を経ていることもあり、薬師如来像を始め、殆どの仏像が傷んでおり、埃の積りもあって容姿は判然としないが、近くの集落の人たちは
「 岩ん堂薬師様 」と呼んで清掃、供花、香煙などが絶えないそうだ   私は今日までに5回撮影に行ったが、何時も綺麗に清掃されていた 

2012年12月13日
                                                                         風  太郎
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宮崎市内には山があった 

2012年12月01日 21時48分39秒 | 日記
 先日、所要があって自宅から12キロほどの所に自転車で出かけた   
 曇天で風が強く寒い日だった   要件が住んで屋外に出ると、小雨が降っており、自転車は濡れていたので、暫く走ったところで現役時代の後輩の
母親に自転車を預かっていただき、バスで帰宅した

 翌日、自転車を頂きに行った帰りに道路沿いに仏像を見つけた   細い脇道に4体の仏像があったので、細い道をたどって行くと、大きな木の周囲
に樹木があり、回廊のような形に仏像が並んでいた   当日は、手持ちのカメラで幾つかの仏像を手持ちで撮影し、昨日、三脚などを持って撮影に行
った   撮影の許可を頂くために何がしかのお布施を包んで挨拶をした   後日、仏像の謂れ等を教えて頂くこともお願いした 

 仏像は、九州八十八ケ所霊場に合わせて88体だが、道路拡張時などに伴い移設した仏像等もあるので、90体を超すとのことだった
 また、寺のある所は、かつて山であったことから地区名が「丸山」になっているとのことだった  今は平坦な宮崎の街に山があったことを知った  

 回廊のように並んだ仏像の中には、廃仏毀釈により一部破損しているものもあった  

 撮影を終わり、挨拶をすると、焼香をしていくように勧めて頂いたので本堂に向かった  本堂に入ってまず目に着いたのは、「南無大師遍照金剛」
と特筆大書された文言だった   大分の小さな集落の農家に生まれて育った私の地区では、自宅の6畳と8畳の間を開け放って地区の有志10名ほ
どの人が丸く座り、「ナームダイシヘンジョウーコンゴー」と唱えながら大きな数珠を繰っていた  「百万遍繰」が終わると、世話役が数珠をまとめて両
手で持ち、その数珠で各人の背中を叩いていた  子供の頃のことで、正確には記憶していないが、地区の有志が輪番で当番となっていた

 ここで、不思議に思った  私の生家は浄土宗であり、床の間には法然上人の御影がある  地区の皆さんも浄土宗の檀家だ   実家の兄に訊く
と、「 詳しいことは分からない  百万遍繰の他に、目の神様も有志が集まって祀りをしていた 」 
 神仏混合だけでなく、仏教の宗派にこだわらないのが日本人なのだろうか  

 いつの間にか絶えた「百万編繰」に使用していた数珠がどこに保管されているか、兄に訊くと、地区の公民館に保管されているはずだとのことだった
次回帰省した時に確認したい  なお、数珠は、四国八十八ケ所巡りをした私の曽祖父が四国で買い求めて寄付したことも知った
 
     2012年12月1日
                                                                       風  太郎
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