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白石 康次郎氏の投稿です

2013年06月28日 | ヨット
FaceBookの白石 康次郎氏の投稿です。無断転載です。

          ◆           ◆

白石 康次郎

私は「ブラインドセーリング 太平洋横断のチャレンジ」を応援していました。
皆さんもご存知のように今回は失敗に終わりましたが、まずはヒロさん辛坊さんが命に別状なく無事に帰国されたことに安堵しております。
報道されているテレビやネット等を見ていると、間違った解釈や、憶測をもとに意見を述べられている人があまりにも多く、政治家までが発言をされているようなので、ここで私の経験を踏まえた意見を記したいと思います。大変な長文はお詫び申し上げます。

実は遭難が日本に伝えられてから、メディアの方々に多く取材依頼があったのですが、正確な情報をつかむまで、憶測をもとに発言することは控えようと考え、今まで公式の場の発言はしませんでした。しかし、直接スタッフや船の整備にあたった方とお話をして、全容がつかめてきましたので私なりの意見を記します。

まず、多くの方が今回のチャレンジは「準備不足だったのではないか」「無謀だったのでは」と思う方が多いようです。
実は私は一回エオラス号でセーリングしたことがあります。
数年前の間寛平さんのアースマラソンで今回と同じエオラス号が使われております。
私も少しだけアドバイスをさせていただきました。その時は見事に太平洋横断、大西洋横断を成功させています。その実績からもわかるようにエオラス号はとても丈夫な船です。
ロングキール艇で障害物の衝突にも強いといえるでしょう。

安定性もあり、今回のようにブラインドのヒロさんや初めて太平洋を横断する辛坊さんにとって適切な船だったと思います。
整備を担当した方は、腕のいい方で私もよく知っております。十分な実績、経験を持たれている方で今まで世界一周の船を何杯も整備さています。
辛坊さんがブログで出向前にバウスピリットの水漏れや、オートパイロット付け根の不具合を書いたそうですが、それは全て出向前に修理し、まったく問題ありませんでした。


遠洋航海になりますと、船はいろいろな所が壊れていきます。私もそうですがそれを修理しながら走るもので、多少の水漏れなどで船が沈むことはありません。番組の企画で出港を急がせたように思っている方がいるようですが、整備不良で出港させることはありませんでした。

気象ですが、いい時期の出港だと思います。冬は私も避けます。今の時期は太平洋横断には適しています。出港のタイミングも間違っていないでしょう。台風から温帯低気圧に変わった嵐にはどうしても遭遇します。しかし、嵐を避けながら進路を変え、風速30ノット程度ならエオラス号には全く問題がありません。実は彼らには日本一流の気象予報のプロがついています。
その方はヨットの動きもエオラス号のスピードも熟知さているので素晴らしい支持をしておりました。それを聞いてヒロさん辛坊さんは的確に進路を決めていたと思います。

そして、クルーのお二方ですが、私は辛坊さんに直接お会いしお話を聞いたことがありません。
ヨット雑誌「舵」での連載を読んでいます。スタッフや関係者の方にセーラーである辛坊さんのお話を伺っておりました。私は、十分に太平洋横断を達成できるスキルを持っていたと思います。長年のセーリング経験。今回は初めての外洋へのチャレンジですが、発言の内容を聞いていて、船の知識もあり状況を適切に答えておりました。
辛坊さんが太平洋横断のスキルがあるといえる理由はもう一つあります。
船からブラインドのヒロさんを怪我なく脱出させたことです。当時は2~3mのうねりが海上にありました。一番怖いのがライフラフトに乗り移る瞬間です。船とラフトはお互いに違うタイミングで上下するので、ブライドのヒロさんをラフトに移すことは大変なことです。
タイミングを間違えればラフトとエオラス号に挟まれて大怪我をします。しかし、ヒロさんと辛坊さんの見事なチームワークで乗り越えられました。聞くところによると脱出の時、タイミングよくラフトの入り口が船に向いてくれたそうです。
ラフトには常備されている食料や水はありますが、それとは別に水、食料、衛星携帯電話、GPS、皆さんがご覧になった衝突の瞬間が撮影されたフラッシュメモリーを抜き取っています。この行動が示すようにあの状況下で冷静に対処をされているので、太平洋横断に十分なスキルがあったと思います。

写真は出港数日前に撮ったヒロさんとの写真です。
これは日本で初めてブライドセーリング世界選手権が行われた会場です。
パティーが終わった後も、ヒロさんとスタッフの方としばらく飲みました。
ヒロさんはセーラーとして優秀であり、ブラインドになってからもブラインドセーラーとして素晴らしい経験を積まれています。何よりどんな事がっても明るく前向きな方です。
でないと、太平洋横断の夢にチャレンジしませんから。
直接お会いして、いろいろ話をして、この人だったらきっと太平洋を渡れるだろうと感じました。

結論ですが、私自身が直接話を聞いてみましても、今回の太平洋横断における出港が無謀だとは言えないでしょう。十分な成功の確率があったと思います。むしろ人がうらやむバックアップ体制とスキルを持っていたのかと思います。
成功したから準備が良く、失敗したから準備が悪かったとは一概に言えないのです。
結果だけ見て判断するのではなく冷静にすべての状況を見るべきでしょう。
セーリングスポーツは最も不特定要素が多いものです
どんなに準備をしていてもダメな場合があります。準備不足でも成功することもあります。
「運」の要素がひじょうに多いのが「冒険」です。
冒険とは、誰もやったことがない大胆な事を、誰よりも慎重にやる作業です。
自分で、今までやったことのない事をするのが挑戦ですからね。

次に沈没の原因ですが、どうやらクジラに激突したのが有力です。
私も何度かクジラに当ったことがあります。
実は2002年のレースの時に南氷洋でクジラの背中にヨットが乗りあげたことがあります。
その時、クジラが暴れて僕の右舷側ラダーを半分折りました。
幸い船体にダメージは無くそのままレースを続けましたが、ヨットとクジラの激突はまれにあります。その時のトラブルで多いのはキールにダメージを」受ける、ラダーを折られるなどのケースが多いです。エオラス号はロングキールなのでキールが障害物によってダメージを受けるリスクは非常に少ないです。おそらくクジラの浮上のタイミングとエオラス号が波よって下がるタイミングが合い、大きな衝撃になったと思います。こればかりは予測は大変難しいです。クジラは水中から浮上します。いくら見張りをしていても見えない場合が殆どです。ヨットは他の船舶と違いエンジン音がしないないので双方気が付きにくいです。当たり所が悪く船体に損傷が起きて浸水したと思われます。
この時の対処は適切なものと考えます。まずヒロさんが音によって浸水を感じます。さすがヒロさん。私たちより感覚が鋭いのでしょう。そして、あっという間に床まで浸水したそうです。この船にはビルジ(船に入ってきた水、水垢)だまりと言って、多少の水漏れはそれをためるタンクを備えております。通常は適度に排出をしていますが、そのビルジだまりの容量を超えて床下まで浸水がありましたので、相当な量の浸水だったと思います。浸水の場所を探したそうですが、それより浸水のスピードが速く船の放棄を決めたようです。
ブラインドのヒロさんを2~3mの波の中、安全にライフラフに乗せるのには通常より時間がかかります。前に述べたように、この航海で一番危険な作業だったと思います。
以上のことを考えますと、総員怪我なく無事に脱出できたことは素晴らしいことです。

次に救助に関するものです。海では救助を求める者(SOSを出したもの)を認識した者は最優先で助けなければなりません(自分の身に危険性があるものは除く)。
これは国際法や日本の法律論の前にシーマンシップとして当然なことです。
その時に、遭難者の国籍、性別、肌の色、思想などに区別はありません。
目の前にいる遭難者を助けられる者が全力もって助けます。
私もレース途中に仲間がキールを痛め航行不能になった時レースをいったん放棄して救助に向かった経験があります。世界のセーラーはみんな同じです。確かにレース中ですのでライバルではありますが、遭難者に対しては全力もって救出に向かいます。
お互いに出港までの大変さや海の厳しさを知っております。何より明日は我が身です。
今回、海上自衛隊は見事にその任務を果たされました。
厚木基地に不時着した時のUS-2をご覧になりましたか?
右舷側、内側のプロペラが止まっていました。
おそらく海上着水時に海水が入り1発エンジンがダメになったのでしょう。
たった3発で荒れる海の波のタイミングをはかり離水し、見事厚木基地に戻って遭難者を家族のもとに返しました。キャプテンの腕、クルーの動きは日頃の錬度の高さです。
その陰で忘れてはならないものがあります。もしUS-2が下りられない場合に備えて近隣の船が救助に向かい、海上保安庁が現場に急行していました。彼らは表立って称賛されませんが敬意を表します。同じシーマンとして素晴らしいと思いました。
日本は海に囲まれています。日本は99.8%が船の輸送によって資材が運ばれてきます。
そして、日本で加工して99.8%が船によって海外に輸出されます。日本の燃料は100%海上輸送です。今の日本は船によって成り立っていると言っても過言ではないでしょう。海の安全は日本国にとって、日本人の生活にとってこれほど重要なのです。その安全を日頃の訓練によって支えられている方々に改めて敬意を表します。
救助を求める者を差別すべきではありません。
商業活動が最優先で遭難者を助ける国などになってほしくありません。
それを望む国民にもなってほしくないのです。
損得勘定で救助をしていたら、日本は世界から信頼を失い、誰も日本へ安心して来てはくれませんよね。
何よりヒロさん、辛坊さんが無事に家族のもとに帰れたのは本当に良かったです。出向前にヒロさんの奥様やお子様ともお会いしました。
本当に良かったですね。

最後に、ずいぶんと生意気を書かせていただきましたが、私は今まで何度も失敗をしてご迷惑をかけてきました。僕も初めて世界一周を目指したとき、2度連続で失敗しております。準備がどれほど大変であったか、資金集めがどれほど大変であったか、どれほど長い時間この時のために耐えてきたか。どれほどのプレッシャーだったか。
今、ヒロさんがどなん気持ちか、察するに余りあるのです。
私が2度の失敗からいよいよ三度目の出港を迎えたときのことです。
僕は次に失敗したら生きて帰ってくる自信はありませんでした。
そんな僕を見て親方はこう言います。
「康ちゃん、生きていれば、生きてさえいれば何度でもチャレンジできるんだぞ」と、
またヒロさんがもう一度夢に挑戦しよう。もう一度太平洋を渡ってみようと思ったとき。
私は喜んで応援します。
「国を亡ぼすには、若者たちに危ないことはするな、おとなしくしていなさいと教え込むほど簡単なことはない」フランス作家の言葉だそうです。

私は日本の皆さんに願います。これから挑戦する人も、応援する人も、見守る人も
「海より深い愛情と、富士山より高い志と、日本刀の下に心を置くほどの忍耐」を持って
行くべきではないでしょうか。

エオラス号、夢を乗せてよく走りました。
ありがとう。
康次郎








三保半島

2013年06月28日 | ヨット
三保半島は、長さ約4km、幅約1kmの砂嘴(さし)と呼ばれる地形です。
安倍川の流れ、それに伴う北東に流れる黒潮の分流。
南アルプス前衛の山々から流れ出す、砂が永い間に三保の砂嘴を造り上げて
行ったと聞いている。







北東へ流れる海流(黒潮の分流)
南西へ流れる、その反流。
レースの時、微風時にはこの反流の潮に乗って岸ベタで南西へ向かう。
水深5m以内をデプスメーターを見ながら、南西へ向かう。
この反流が、砂浜をギザギザにして浸食して行く要因かもしれない。




40年以上前は、どこもかしこも広い砂浜だった。
安倍川の源流には大谷崩れという大崩壊地があって、今でも崩れている。
幸田露伴の次女、幸田文が書いた「崩れ」にも載っている。





その砂利、砂が安倍川に流れて堆積して河床を上げてしまう。
天井川になっては困るので河床に堆積する砂利は優良なコンクリート骨材として
高度成長期にかなり首都圏の建築物に使われたと聞いている。

その後、大谷崩を含め、土砂が流れないようにするために多くの堰堤が流域に造られた。
当然と云えば、当然、安倍川が運ぶ土砂が少なくなってしまった。
静岡市の大浜海岸-久能海岸-三保半島に砂が届かなくなってしまったのだ。
堆積しなければ、浸食して行くのみ。
三保の先端の方まで、その浸食は20年位前から始まっていて、ディンギー基地に
なっているトコの浜は、すっかり浜の形状が変わってしまった。




今、静岡市葵区郊外の安倍川河川敷から毎日40~50台、大型ダンプカーで10年以上
にわたってトラックで砂を三保半島の海岸部へ運んでいる。




砂の採取している近所には、こんな看板が立っている。
ダンプ何万台運べば良いのだろう?。








AEOLUS号

2013年06月26日 | ヨット
辛坊氏、AEOLUS号の今回の浸水、船体放棄事故。

マスコミ人として、いろいろな問題を抱えているけど、それはパス。
なにゆえ、船体放棄するほどの浸水が起きたのだろうか?
バウスプリット漏水問題は全く関係ないだろう。
潜水艦じゃあないのだから、多少の漏水は修理しながら帆走する。

また、よくぞ、沈没寸前の艇から定点カメラからSDカードを抜き出してきたと思う。
かなり冷静だったんだと思う。



衝突寸前から34秒辺りまで、右から左に動いているモノがある。


AEOLUS号の2010年のボートショウの時の画像。




Bristol_Channel_Cutter28 ハルの厚み24mm
フィンキールでなくて、ロングキール。
キールは後付けでなくて、一体型。






http://www.samlmorse.com/

クジラだったら乗り越えるか、転覆するか…では?
…という意見も






遠距離航海者の斉藤さんは、クジラではないと云っている。
凸凸凸の背中を見てクジラの専門家はマッコウクジラの背中という。

          ◆           ◆

辛坊治郎ブログ

http://blog.livedoor.jp/sinbojiro/archives/50895234.html

http://blog.livedoor.jp/sinbojiro/







富士山文化遺産+三保の松原

2013年06月24日 | ヨット
土曜日の夕方、街で号外を受け取った。
おお!(驚)
富士山好きとしてはすごく嬉しい。
なおかつ、いつも見ている三保の松原も、一緒に登録されたのは
また嬉しい。




三保の松原と富士山。
富士山と三保の松原




三保の松原と富士山を同時に見るためには海の上に出かけなくてはならない。
砂浜から富士山を見ることが出来るけど、その時同時に見ることが出来るのは
「松原」ではなく、5万本あるという松原の中の「松の木」あるいは数本の「松の木」。

でも、そんな屁理屈はよいのです(笑)。




多分、静岡観光汽船がこの機に乗じて、「三保の松原と富士山が同時に見えるクルーズ」
企画を出してくるのだと思っています(笑)。




海へ出て欲しい。
そして、海から陸を、松原と富士山を見て欲しいのです。






辛坊治郎さんら2人救助

2013年06月22日 | ヨット
これはのせて置かなくてはならない。






          ◆           ◆


投稿者:《El Domingo》渡邉

2013/6/22 21:32

私は今非常に怒っています。
編集されてこのビデオでは見ることができないのですが、辛坊氏はこの会見で「結果的にこうなってしまったので、無謀だったのだろうといわれれば、無謀だったとしか言いようがない」と発言したとのことです。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/accident/664077/
(このリンクはニュースなので時間が経つと消えてしまうかもしれません)
レーダーで障害物が感知できない太平洋の真ん中で水中の何かにぶつかって浸水したからといって、自らその計画を無謀と言い切ってしまうのは明らかに間違いであります。それでは誰もヨットで太平洋を渡れなくなってしまいます。現時点では不可抗力によるアクシデントと思われる状況ですが、ぶつからなければOKでぶつかったら無謀というのですか?
「無謀と言われれば」と前置きしたり、ワッチオフ時に眠っていたことを「恥ずかしながら」と表現するあたり(ワッチオフで寝なければいつ寝るというのですか。次のワッチのために眠っておくのが義務なんです。)他人の目、他人の評価を異常に気にしていることがうかがえます。
私感ですが辛坊氏はやはりマスコミ界の人間だなとつくづく思います。質問したのもマスコミで何を答えさせようとしているかということが解ってしまって模範解答をしたという感じです。この人はヨット乗りとして航海していたのではなくマスコミ人として海に出たんだなと感じさせられます。ヨットはその手段だったのかと・・・。

          ◆           ◆

投稿者:《El Domingo》渡邉

2013/6/22 21:35

1000文字の制限があるのを知りませんでした(汗)
続きです(笑)
-----------------------------------

税金が使われたことにも触れていますが、海難事故の救出に税金が使われるのは海の世界ではあたりまえのことです。私が納めた税金がこの救助に少しでも役立ったなら私はうれしいです。

おそらくこの会見を見たヨット乗りではない大多数の人は辛坊氏の発言を違和感なく受け入れ、ヨットで太平洋に出るのは無謀で税金を無駄遣いする行為なんだと潜在意識の中にすり込まれたことでしょう。
この人にヨット乗りと名告って欲しくないです。
岩本氏が辛坊氏の論調に無理矢理同調させられている様子がかわいそうでなりません。


田中さん、田中さんのblogなので不適切だと思ったら削除してください。
同感だと思うならあっちこっちにばらまいてください(笑)
黙っていられないのですが、HPもblog持っていないしFacebookの友達も極小なので言いふらす手立てを持ち合わせておりません。
・・・人脈の広いサムちゃん頼み・・・(笑)

          ◆           ◆

投稿者:マハロパパ

2013/6/23 16:20

1000文字を突破するほどのEl Domingo渡邉さんの檄文に同感です。

辛坊氏は「正直、今後、どの面下げてという思いはする。」などとも発言されているようですが、別に悪いことをしたわけではないのに・・・運が悪かっただけなのに・・・なぜそこまで卑屈になるのか?

「海上自衛隊によると、今回の救出費用に関して辛坊さんらへの負担はなく、経費についても算出していないという。」という報道もありますが、海の事故について仕事でも遊びでも、同国人でも外国人でも、有名人でも無名人でも救出費用はとらないのが常識。常識のないマスコミは困ります。

しかし、辛坊氏は多分チャンスを与え、資金を出してくれたスポンサーに対しては平身低頭にならざるを得ないのでしょうね。私もサラリーマンだからそれは分かります。『だってしょうがないじゃん!』とは口が裂けても言えないのが宮仕えの辛いところですから、辛坊さんもここが辛抱のしどころと考えているのでしょう・・・(=_=)



衝突したのはクジラだったようですが、SDカードを抜いて持ち帰ったのはすごい。

http://www.youtube.com/embed/r8E4H3Nnnqg?feature=player_embedded




デイパック

2013年06月21日 | ヨット
ここ20数年間、お出かけする時にはデイパックに「武器」を詰め込んで
お出かけすることが多い。

ヨットへ出かけるときも日帰りの時はこれ一個だ。
日帰りで山へ行く時には、これでは小さいので、これはほとんど使用しない。

20数年前の数年間は、このデイパックを使っていたが、少々容量が少なかった。
それに内側の防水層がベロベロにはがれてしまった。
グレゴリーのデイパック。




そんなんで二代目は「ノースフェイス」のこれを使ったが、背中のショックコード、
その他のゴムの箇所が、すぐに劣化してベロベロになった。
それと、内部でコカコーラをこぼしてしまって、洗濯したけど、気に入らなくなってしまった。




で、2007年頃に三代目を購入して、今に至っている。
「ノースフェイス」のHOT_SHOT。
内部には細かくそれ用のポケットがあって、収納するには便利。
また、サイドにはコンプレッションベルトが付いていて、荷物が少ないときには
そのベルトを締めると平べったくなる。





カメラ、若干の着替え、タオル2本、小さなバッグ、ビニール袋(コンビニ袋)数枚、
雨具などだ。




小さなバッグの中身はLEDライト、ナイフ、筆記具、絆創膏類。





この時期のレースでなければ、雨具は「モンベル」の薄手の雨具を持って行くことが多い。








静岡市葵区鷹匠町

2013年06月18日 | 生活
ディープな街へようこそ。
じゃあ、ないけどオヂサン達は呑みに行こうとすると居酒屋、それなりの店が精一杯だ。
先週末、若者達が集まる静かな店に行こうというプランを練った。


静岡市葵区鷹匠町はsoneくんが以前住んでいた街で、ここ10年ほど前までは
ほとんど静かな住宅街だった。
30~40年前は数軒だった呑み屋さんが、今では隠れ家のような小さな店がたくさん出来た。そんな静かな店には若者達が静かに寄り添う。
決してガヤガヤしていない静かな街と店。

で、その辺りに詳しいツアコンを頼んで(笑)、

一軒目、計6人「パールビクス」に集合。
コンクリート打ちっ放しの店内を見て「倉庫ジャン!」と云うオヂサン(笑)。
ココには日本酒も焼酎の水割りはない。
ビールとワインとパスタ。
ひそひそ声でおしゃべりしないと、店内に響く。
声を潜めてひそひそ声。





プロモーションビデオを観ながら、いろいろな話をするが、落ち着かない(笑)。

で、二軒目に行こうと席を立った。

隠れ家のような店を何軒か廻ったが、6人入れる店がほとんどないのだ。
今日は刺身と日本酒は御法度にしようと思ったけど、そういう店しか6人入れない。
数日前にも行った「魚弥長久」
突然行って、席を作って貰って、やっとオヂサン達は落ち着いた。
日本酒と刺身(笑)。





そんなこんなんで、ワインとパスタには遠ざかってしまったけど、
三軒目は
昔のヨット仲間、エンちゃんの「炉辺土(ろべんど)」
ピアノバー。




第二回、ツアーを組もう。
もっとディープな処へ(笑)。


          ◆           ◆

静岡市葵区の繁華街も時代と共に移って行く気がする。

40年ほど前までの繁華街は人宿町。映画館の周囲だった。
その頃、七間町を散歩する「シチプラ」なんていう言葉が出来た。
その当時、今の玄南通りは街路灯がポツンと点灯している静かな街だった。
材木屋さんも在った。

その賑わい、雑踏に嫌気がさした、ボクらの年代が両替町に移ってきた。
40年ほど前は、両替町は静かなモノだった記憶がある。
今や、その街の夜は猥雑な夜になってしまって、若者達が鷹匠町へ移動していった。

また、同じようなコトが繰り返されるのか。

鷹匠町探検隊



6月17日

2013年06月17日 | 生活
6月17日という日は特別な日だ。
25年前(1889年、平成元年)の今日、父が他界しました。
もう25年も過ぎてしまったのか…という思いもひとしおですが、
昨日用意した花を持って、今朝、会社へ来る前に墓前に供え、近況報告をしてきました。
昨日、夕方、赤い花が花屋さんになかった。







その9年後の15年前(1998年、平成10年)の6月16日の夜。
「明日は朝、お寺に行こう」と妻と話をしていました。

で、翌17日未明、妻がお腹が痛いと言い始めてしまったんです。
臨月だったのですが、予定日はもうしばらく先でしたが、
どうもこのままにしてはおけない。

早朝、妻を車に乗せ、近所の日赤に連れて行きました。





そして、昼過ぎには、2638gの女児が生まれたのです。





母子共に健康、順調。
前年、平成9年10月に、男か女か判らないウチに<響>という名に決めていたんです。





そんなんで、6月17日は父の命日と、子供の誕生日と云う日なんです。


キャベツかつ丼

2013年06月15日 | グルメ

ここのかつ丼は癖になる(笑)

急に食べたくなって、出かけることが多い。

甘辛いキャベツにかけたソース。









全国には、いろいろなカツ丼がありますね。

駒ヶ根のソースカツ丼はキャベツの上にカツが乗っていますね。

静岡市葵区鷹匠町 辰金本店















S&S30

2013年06月14日 | ヨット
ここに記録しておきたいと思った。
往年のIORレーサー。S&S30。

オーナー、ゴメン。無許可で載せてしまった。

ここのハーバーには「S&S38」の東風、「S&S34」の美美が係留されているが
同様な形状だ。

http://white.ap.teacup.com/something/979.html


http://white.ap.teacup.com/something/1088.html



ディープキールと相まって、スケグ付きラダー。

このS&S30はハンプトデッキというR状のデッキ形状で動きやすいと思った。
そのデッキにハードドジャーを着けてファミリーセーリングでも乗れるように改造。





スピンポールレストの溝がバウデッキに掘られている。
タンブルフォームというハル形状が非常に良く分かる。







デッキ、艤装。










舵誌1973年6月号に特集されているようだが、残念ながら当時の舵誌は既にない。

セールNo.1221なんだが、これも元のセールナンバーかどうか分からない。
IOR真っ盛りの頃、何度か見かけた。
第一回江ノ島-清水レースで見た記憶があるが、エントリーリストに載っていない。








このS&S30は第一回、江ノ島-清水レース(1973年)に出場していた
<竜飛II>セール番号1221と判りました。