6月17日という日は特別な日だ。
25年前(1889年、平成元年)の今日、父が他界しました。
もう25年も過ぎてしまったのか…という思いもひとしおですが、
昨日用意した花を持って、今朝、会社へ来る前に墓前に供え、近況報告をしてきました。
昨日、夕方、赤い花が花屋さんになかった。


その9年後の15年前(1998年、平成10年)の6月16日の夜。
「明日は朝、お寺に行こう」と妻と話をしていました。
で、翌17日未明、妻がお腹が痛いと言い始めてしまったんです。
臨月だったのですが、予定日はもうしばらく先でしたが、
どうもこのままにしてはおけない。
早朝、妻を車に乗せ、近所の日赤に連れて行きました。

そして、昼過ぎには、2638gの女児が生まれたのです。

母子共に健康、順調。
前年、平成9年10月に、男か女か判らないウチに<響>という名に決めていたんです。

そんなんで、6月17日は父の命日と、子供の誕生日と云う日なんです。
25年前(1889年、平成元年)の今日、父が他界しました。
もう25年も過ぎてしまったのか…という思いもひとしおですが、
昨日用意した花を持って、今朝、会社へ来る前に墓前に供え、近況報告をしてきました。
昨日、夕方、赤い花が花屋さんになかった。


その9年後の15年前(1998年、平成10年)の6月16日の夜。
「明日は朝、お寺に行こう」と妻と話をしていました。
で、翌17日未明、妻がお腹が痛いと言い始めてしまったんです。
臨月だったのですが、予定日はもうしばらく先でしたが、
どうもこのままにしてはおけない。
早朝、妻を車に乗せ、近所の日赤に連れて行きました。

そして、昼過ぎには、2638gの女児が生まれたのです。

母子共に健康、順調。
前年、平成9年10月に、男か女か判らないウチに<響>という名に決めていたんです。

そんなんで、6月17日は父の命日と、子供の誕生日と云う日なんです。