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牛丼

2024年11月15日 | いきざま

牛丼
40歳の大晦日に初めて食べたコトを覚えて居る。
静岡のジャズハウスのパーソン、白沢の処へ1987年(昭和62年)の大晦日に訪問した。
白沢が、夜遅くなってから、急に今から新宿の知り合いのジャズハウスに行こうと私を誘った。
最終一本前の新幹線だった記憶がある。
新宿へ、その日のウチに到着した。ジャズハウス(名前を忘れた)に行く前に、牛丼の吉野家へ寄った。

 

当時、静岡に牛丼の吉野家が在ったかどうか?私は記憶が無い。白沢が「牛丼、並み2つ、つゆだく1つ」、そうやって注文したことを覚えて居る。

二軒のライブハウスへ行って、東京駅へ戻り、午前6時頃の東海道線各駅停車の特等席を取って、横になりながら静岡へ帰った。熱海の手前あたりで、海から昇る初日の出を観た。

 


選択

2024年04月11日 | いきざま

選択

1971年に最初の《Something》を入手。24歳でした。
やたら焦っていた気がします。
2023年に(52年後に)《SomethingⅢ》を手放しました。
http://www.the-support.net/something/some/something.html


何をそんなに焦っていたのでしょうか?
大学ヨット部を終え、静岡に戻ってきたときに、山へ戻ろうかと考えて居ました。
が、東名高速道は完成して開通しましたが、インターチェンジから先は、全く手が付けられていない状態。道路がないのです。
静岡から甲府へ向かう52号線も、舗装になるのに20年掛かると言ってました。でも、高速で接続したのが2020年頃(笑)。

当時、山へ向かっていたら、今はどうなっていただろう?
いや、その前にボーイスカウトに入団(小学校5年)しなかったら、何を選択していたのかな?
キャンプが好きになり、登山が好きになり、高校一年生で社会人山岳会へ入った。
山の本ばかり読んでいた。

山へ向かうことがなければ、高校時代は何をしていたのだろう?
高校時代、同級生に山の話をしても通じなかった。

大沢崩

http://www.the-support.net/something/onsen/oosawa/index.html

 

 

 

 

 

 

 

 


田口ランディ

2016年05月28日 | いきざま
田口ランディという作家がいる。
私より一回りしたの女性作家で、もう30年来の友人だ。

そんな彼女が静岡市葵区七間町のスノドカフェと言う店で講演会をやるというので4月半ばころに申し込んでおいた。
どうも、すぐにも定員30人になり、キャンセル待ちという人も居たようだ。

5月27日(金)
早めの時間に出かけた。

http://runday.exblog.jp/d2016-03-31/





キャンプへ行ったり、住んでいる湯河原へ入ったり、ヨット乗ったり、
我が家へ泊まりに来たり、尻焼温泉へ行っている仲間だ。


講演会は専門的な話だった。




で、講演会が終わってから、何人かは私の処へ集まってくれた。
その場で、ランディを交えて二次会が始まった。




驚いたコトに富山県、金沢、東京などの遠隔地から泊まり掛けで
来ているランディファン達が居ることだった。

ランディ+彼女たちと近所のワインバーへ三次会に向かった。
気がついたら、午前01時30分だった(笑)








今年も、この季節がやってきた

2015年04月24日 | いきざま
また、この季節がやってきた。

自宅の近所に静岡茶市場があって、案外早朝から慌ただしい。
…と言っても、道路に人があふれ出ている訳じゃあない(笑)




桜の花が散ってしばらくすると、庭のツツジが咲き始める。

猫の額ほどの庭だけど、四季と共に動いている気配。




それと共に、年を越す頃には枯れていたモミジの木も一気に水を吸い始める。

緑萌ゆ





どこからか、舞ってきたケシの花、タンポポもそれに色を添える。









如意輪観音?

2015年04月10日 | いきざま
以前にも書いたけど、我が家に観音像がある。

父が他界した後、しばらく経ってから、菩提寺にあずけた。
でも、やはり気になって2013年の4月に自宅へ戻し厨子に入れたまま
仏壇の横に置き毎朝、御供え、お線香をあげている。




徳川家康公薨去四百年という記念の年に建穂寺(たきょうじ)が関係してくると言う。


平成元年に他界した父が、亡くなる前に

「この観音さまは建穂寺(たきょうじ)のモノだ。
明治3年の建穂寺の火事の時、運び出した観音像らしい。
建穂寺が再建したら返すように…」

と言っていた。

建穂寺へ戻したいが、一度、静岡市役所の文化財課の人と話をした。

鑑定をしないと建穂寺にあった観音像かどうか、判断できないが、
建穂寺のモノだとしても、今は観音堂が狭いので、置き場所が無い。

置き場所さえあれば、返したいのです。




建穂寺のコトを静岡市の人でも知らない人が多いが、「幻の名刹」である。

火事にあった時、村人達に多くの仏さま、観音さまが運び出されて難を逃れたと、
研究書の記事を読んだ。その一体ではないかと思われる。

厨子は新しいから、その後、作り直したかもしれない。




千手観音とかは手がたくさんあるが、この観音さまは12本。

もし、本当に建穂寺の観音さまだったら、鎌倉時代のモノだと思われる。

歴史に残るような名工が彫ったわけではないと思う。

それほど「出来が良い」観音像ではないが、観音像を彫る時、

彫刻師は何かを思ってノミを手にしたはずだ。

その「想い」は、何だったのかを知りたい。

同じ屋根の下に居るのだから(笑)



ここ10数年、建穂寺について多くの研究書が書かれたようだが、
この研究者を探して、会って、これを見て貰って問うてみたいと思っている。

ネットの質問コーナーにこんな問い合わせがあった。
http://okwave.jp/qa/q6563462.html


建穂寺の観音堂




仏像修復の第一人者、東京藝術大学大学院美術研究科の籔内教授が
ウチへ来てくれたときにお願いしたが、
修復が専門であって、鑑定(?)は得意ではない…と言われた(笑)

http://white.ap.teacup.com/something/1253.html






ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード

2012年11月09日 | いきざま


手回し式のオルゴールがロッカーの奧からホコリだらけになって出てきました。
30数年前に、旅先のお土産に買った記憶があります。

ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード
The Long And Winding Road
日本ではこの曲がラスト・シングルとして発表されている(1970年10月)

The long and winding road that leads to your door
will never disappear I've seen that road before
It always leads me here Leads me to your door
長く曲がりくねった道は君のもとに向かう道。
決して消えることがない前も見たことのあるこの道を
行けば必ずここに辿りつく。君のもとに辿りつく。

…と云うようですが、今までのボクの人生のようです(笑)。
この先も長く曲がりくねっているのでしょうか?。
それほど、長くはないけど(笑)。


でも懐かしい曲だなぁ。

[[youtube:hVQr0-0m2aE]]



物欲(笑)

2012年08月08日 | いきざま
昨年の夏過ぎ、使っていたデジカメ「リコーGX200」から「リコーGXR」に交換した。
ユニット交換型カメラ。デジイチ。
約11,000枚撮って、1年を迎えようとしている。

http://www.ricoh.co.jp/dc/gxr/



一緒に購入したレンズは、
「RICOH LENS S10 24-72mmは、広角24mmから中望遠72mmの光学3倍ズームを搭載しています」
というスタンダードのモノ。





これはこれで、非常に気に入って常時携帯している。
ワイドコンバーターもテレコンバーターもGX200のモノが使用できて
無駄遣いしなくてすんだ(笑)。

しかし、ここへ来て、少し物足りなくなってきた。
このレンズが欲しくなってきた。



極力、物欲を押さえているのだが…(笑)。
なにせ、マイナーなカメラなので、レンズもヤフオクには中古で出てこない。

普通に買うと、コンパクトデジカメ2or3台の価格と同じになるかも。




永平寺東京別院

2009年11月11日 | いきざま






長谷寺

永平寺東京別院 長谷寺。「はせでら」とは云わない「ちょうこくじ」

それこそ西麻布に在る。昔は麻布笄町(こうがいちょう)。





久しぶりに、この夏に訪れた。
もしかしたら、大学時代の初めココで1年間過ごしたが、それ以来だったかもしれない。
仏教の勉強に来ている外国人数人と一緒に過ごした1年。

父親から半ば強制的に下宿先をココにされた(笑)。
昭和40年(1965年)の話だ。

あの一年間はなんだったんだろう?。懺悔の日々を送った…と云うのは嘘だけど(笑)


毎朝4時起床、そして一時間の禅問答、

5時から1時間の座禅。

6時から何万坪とかの境内の作務。


托鉢にも連れて行ってもらった。食べるモノも修行している坊さんとは違う普通のモノ。
小学生の頃から父親に、座禅などに頻繁に連れて行かれたので、お寺で寝泊まりする

違和感は全くなかった。

この長谷寺、周囲がほとんどお寺の土地なので、貸してる土地代の集金にも行った。

離れに国文学者で「広辞林」を編纂した金澤庄三郎先生が余生を送っていたので、
食事を届けたりもした。
墓地の向こう側には根津美術館。境の塀が無く、つながっていた記憶が。

後に大本山永平寺の貫首になった丹羽廉芳氏の話を毎日聴いていた。
丹羽氏には私が小学校2年生から、いろいろな話を聴き、可愛がって戴いた。


正面に本堂が新築され、使わなくなった古い本堂を区切って寝泊まりする部屋を
造ってもらったが、私の部屋が納骨堂の横(笑)。

窓を開けると、画家の黒田清輝の墓、横のほうに井上馨の墓。
井上馨の墓を何度か掃除をした。




今で云う、いわゆる「信仰」とか「宗教」とか、「葬式のための仏教」とか、
そんなモノとは全く関係のない

「いかに生きるべきか」「いかに物事を考えるのか」…

そんなコトを教わった一年間だった。
祈ったら、願をかけたら…というモノとは一切無関係だ。
全く関係ない。

これが本当の哲学=宗教なのかもしれない。



インド哲学、西洋哲学より古い哲学…ウパニッシャッド哲学とも聞いた。



当時、首都高速はまだ建築中。都電が走っていた。停車駅は高樹町。
寺を出て右へ10分歩くと青山、渋谷。左へ10分歩くと材木町から六本木。
でも、その頃はそんなににぎやかではなかった気がする。

ここから大学に出かけたり、クラブの合宿に出かけたりしたが、
自分の中で全く違和感がなかった。








・麻布大観音
・樟(くす)の一本彫 高さ三丈三尺(約十メートル)
・日本芸術院会員 大内青圃氏謹作

これを彫り始めた頃の話だ。
仏像を彫る、観音像を彫る、その気持ちを教えてもらった。