I君「昨日、スプレーで濡れてビショビショになっちゃったよ」
ボク「なにしたの」
I君「鉱次郎が来て、この船でビデオ撮りしたんだ」
ボク「おお、来たのか」
I君「5月17日の**時にNHKでオンエアするようだ」
<サムシング>の前に、ポンツーンを挟んだ場所に<オケラ5>が係留されている。
あの世界の海を渡った多田雄幸さんの艇だ。
「オケラ五世優勝す―世界一周単独ヨットレース航海記」。これも絶版だな。
古くからオケラグループのI君。
30年ほど前、個人タクシーの自分の車で多田さんは、頻繁にこのヨットハーバーへ来て、
オケラグループと親交を暖めていた。サックス持参で。
その中へ、いつの頃からか、白石氏が参加していた。
多田さん達オケラグループは、清水港の空いている倉庫を借りて、何度か艇を作った。
このイカ頭の艇、<スピリット オブ ユーコー>も造っていた。
バウのイカ頭が波浪中で有効に働くかも…という願いを込めて造った。
結果はダメだったようだが…。
多田さん亡き後、90年代初め頃、静岡市内でも何度か白石氏の講演会を企画して
カンパを募ったこともあった。
昭和47or48年頃、一緒に帆走中の<サムシング1>から撮った<オケラ1>だと
思われる写真だけど、違うかな?。セール番号661。
当時、諸磯から清水に移ってきたばかりの<オケラ1>だと思う。
合板艇でスナイプをそのまま大きくしたような感じだった。
物に動じない快活そうな多田さんだったので オーストラリアでの出来事は衝撃でしたが、弟子の白石さんが長距離レースに出続けてるのは 頼もしいですね。
<スピリット オブ ユーコー>、色々な処で、色々な人達が彼を応援していました。
係留中の<スピリット オブ ユーコー>は西伊豆、松崎港です。
西伊豆の青年会議所の人達も応援していました。
わくわくして読んだことを覚えています。
ニューポートジャズフェスティバルのサックスとヨットが写っている映画を見て,虜になられたと書いてあったように覚えています。サックスは多田さんのトレードマークであったようですね。
オケラグループは今もあるのでしょうか?
多田さん,最後は非業の死で残念でしたが,
白石さんが,跡継ぎをしてくれていて頼もしい・・。
オケラ何世なのかなあ、「イチジク浣腸」みたいな形のが印象強いです。
何かのイベント、夏祭りなどの時に、時々サックスを吹いてくれました。
西伊豆の黄金崎でも聴いた記憶があるな。
オケラグループ、どうでしょうか。今でも存在するんだろうか?。
元々、形がないと思うので、今でも存続していると思うのです。
だから、白石氏も、この<オケラ5>にやってくるんだと思います。
●マホロパパさん。
何かありましたね。イチジク浣腸…のような形をした艇(笑)。
何世だったのか、今度問うてみます。
近くに係留されているのはすごいですね!!
見に行きたいですね
イカ頭の艇スピリット オブ ユーコーも
ユニークですね、こちらは松崎なんですね
多田雄幸さんの記事や本が
懐かしいですね
すごく人生を楽しんで生きられていたと思います
僕は船名のオケラというのがすごく印象的でした
<オケラ5>は、かなり前から清水に居ます。
I君の所有になっています。
が、<スピリット オブ ユーコー>の写真は12~13年ほど前に松崎港に係留中の
写真です。いまは、どうなってしまったのか知らない(笑)。
その時に復元力不足を補うために、キールの改造もしたと憶えています。
多田氏は感覚でデザインして模型を作り、そのまま拡大したラインズで船を造っていたようなので、大型艇になるほどイメージとの誤差が大きくなってしまったようです。
改装前のユーコーは、強風の追ってでは潜水艦みたいにバウ沈しちゃうし、アップウインドでも復元力不足でまともにセールが張れなかったと聞いています。
だから改装後とはいえ、あの艇で世界一周した鉱次郎は、凄いと思っています。
記憶違いかも知れないけど、最初は潜水艦の水平尾翼のようなモノが
沈まない方向についていた。そのご、その尾翼の下に浮力体を設けた。
違うかもしれない(笑)。
材木屋の倉庫で作っている時に見た記憶。
確かカーボンマスト前提の設計だったのに、資金難で手に入らなくてアルミのマストを立ててバランスを崩したととも、デザイン自体がバウの浮力不足だったともどこかで読んだ記憶もあります。