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手袋

2025年02月10日 | アウトドア

ウールの手袋

数年前に購入した薄手のウールの手袋。穴が開いて(笑)しまったが、温かい。
一週間ほど前に、片方、紛失した。多分、戸外で。ウチの中だったらそのうちに出てくると思ったが、一週間経っても出てこない。
で、アラジンへ向かった。いわゆる、昔で言う、登山用のインナー手袋。




100スキ

2025年01月17日 | アウトドア

 

 

スキレット
2000年~2003年頃に100均のダイソーでスキレット(鋳物製のフライパン)を売っていた。自分の会社が静岡市葵区羽鳥にあった頃の話だ。ダイソーは現在のドンキ山崎店辺りに在った。隣が安西自動車学校だった。
そこの棚に、小さくて重いスキレットが列んで居た。

 「100スキ」というのをご存じだろうか?。
 鋳物で作ったフライパンをスキレットと云うようだ。キャンプなどで使うダッヂオーブンのフライパン版だ。
http://www.the-support.net/something/etc/100suki/
 
 それほど料理が得意ではないが、料理の雰囲気は好きである(笑)。で、早速この100円スキレットを2個購入。税込み210円である。朝の一人分の炒め物、目玉焼き、酒のツマミなどを作るのに非常に調子がよろしい。最初は鉄臭かったり、焦げ付いたりすることもあったが、今ではその臭いもなく快調である。

 その後、アウトドア雑誌にこの100スキが紹介された。本当の名前は「クッキングプレート」だと思ったが、100円のスキレットであるんで100スキと称していた。
 その愛好家クラブも、ウェブサイトも出来た。「100スキ」で検索してみてください。
 
 2004年頃、100円ショップから姿を消し始めた。中国製なんだが鉄の価格が高騰し品薄になり、100円での販売が次第に出来なくなっていった。そのため一時は何を狂ったのか、仕事で県内を動くたびに100円ショップを探して30個くらい手に入れた(笑)。そのほとんどはキャンプの仲間に無料であげてしまって、今では形の違う100スキが3or4つ手元に残っているだけ。

 


マルキル

2024年09月28日 | アウトドア

水筒。

 

 

水筒 マルキル
それまではエバニューの2リットルくらいの乳白色のポリタンを使っていた。が、40年ほど前にドイツ製の水筒を山道具屋で見つけて購入。
でも、パッキンのゴムが痛む。ホームセンターで板ゴムを買ってハサミで、処理をしていた。

大沢崩

2024年06月14日 | アウトドア

1963年(昭和38年)、15歳、高校へ入学と同時に社会人山岳会へ入った。高校の部外活動には余りタッチしなかった(笑)。時代も時代、翌年が最初の東京五輪。モータリゼーションが始まった頃か。汽車、電車の本数も少なく、東名高速道路も完成に近づいていたが、インターチェンジで降りると、接続している道路が、未完成。インフラが未整備だった。それに自家用車を持っている人が少なかった。故に富士山へは近所の故、頻繁に出かけた。冬になると大沢崩を目がけた。まだ、現在の朝霧道路は形も無く、在るのは旧道のみ。

 

 

 


灯油ランプ

2024年05月07日 | アウトドア
【灯油ランプ】
そろそろスキーのシーズンも終わりそうだが、北アルプス白馬岳(しろうまだけ)、
八方尾根の麓に今は白馬駅(はくばえき)と呼ばれているが、
60年前は信濃四谷駅と呼ばれていた駅だった。
また、今では八方(はっぽう)という地名で呼ばれているが、以前は信濃細野と呼ばれていた村があった処だ。
そこの対岳館という民宿に修学旅行に行って2or3泊まった。白馬の大雪渓にも登った
その後、スキーに冬山に何度か行ったが、対岳館へ泊まった。
対岳館の玄関先に10数個のランプがぶら下がっていた。
問うと、「一昨年、電気が通じるようになったので不要になったランプ」だという。
一つ戴いてきた。手でぶら下げて静岡まで持って来た。
その時から自宅の物置の天井梁から壊れることなくぶら下がっている。
約60年間のホコリが積もっている。
なんとなく掃除をしてみた(笑)。
固まった灯油のスラッジがとれないな。
今年の冬は芯を入手して、灯を着けてみようかな。
一分、二分の何分芯って云うんだよ。(一分は3ミリ)
 
 
 

デイパック

2024年03月13日 | アウトドア

2015年2月。新しいデイパックを購入した。

黄色のデイパックだけど、既に使用頻度が低い。


その前は、アタックザックとして3つ使い潰した。

このグレゴリーのデイパックは「はしり」の頃。

アメリカのアウトドアが日本へ押しかけて来た頃。

やたら高額だった。

 

 


ウトドアショップ【ヨセミテ】

2024年03月08日 | アウトドア

アウトドアショップ【ヨセミテ】
静岡市葵区の本通り「ミヤシタレーシング」の隣に「ヨセミテ」は在った
元々、日本の登山&キャンプは欧州から入ってきた。リュックサック(ルックザック)もランタンもピッケルもザイルもドイツ語だ。
1981年頃、雑誌「ビーパル」が出た。「アウトドア」と言うアメリカ語が一緒に日本へ入って来た。それまでは「野外生活」(笑)だった。
アメリカにも登山の文化があるんだ!…と気がついた(笑)
ヨセミテを中心とする明るい登山(笑)
そうして、みんな、ビーパルに洗脳され始めた(笑)
しかし、当時は1ドル=360円時代。東京駿河台下の、登山道具を扱っている店(そこしかなかった)でも、とんでもない価格だった。
1985年、ブラザ合意と共に1ドル=200円近くなり、日本でも買いやすくなった。
本通りの「ヨセミテ」は1990年過ぎ頃にオープンしたのではなかったでしょうか?
驚いた。東京のスポーツショップで売っているモノが売っていた(笑)西暦2000年過ぎ頃まで「アウトドア」という言葉は「恥ずかしくて」使えなかった(笑)

 

 


ボーイスカウト生活

2024年02月26日 | アウトドア

【ボーイスカウト】
当時、住み込みの人が居て、父母2人、兄姉4人、お手伝いさん2人、住み込み1人で、結構イッパイだった。で、昭和34年9月、向かい側の倉庫に2階を増築して私が住むことになった(笑)。
昭和34年というと、小学校6年生だ。一人住まい(笑)勉強部屋と云うコトにした。
実際には8畳間を作って、その3640×910にベッドコーナーを作った。残りは6畳間。
入り口はハシゴ(笑)
高校時代の写真が何枚かある。

この倉庫の裏がお寺で、ボーイスカウトの集会をいつもやっていた。
ボーイスカウトの尾崎さんが持っている山、藁科奥の山、赤沢で何度かキャンプをした。
ボーイスカウトで嫌いだったのは、街頭に出て募金活動をすること。
赤い羽根募金とか緑の羽根募金とかだ。
その日が近づいてくると、なんとか理由を付けて募金活動を欠席した。
そんな何百人もいるボーイスカウト隊ではないので、すぐにばれる(笑)

中学生になる頃には、それがイヤでキャンプorキャンプによって培われた登山へ、毎週出かけるようになった。それが登山の始まりだった。近所の山、安倍川流域の山だ。

山の本をイッパイ読んだ。芳野満彦の「山靴の音」、安川茂雄の「霧の山」。
すり切れるほど読んで、山への想いを高めていった。
中学三年生の頃にはボーイスカウト活動はほとんど参加しなかった。