ウールの手袋
スキレット
2000年~2003年頃に100均のダイソーでスキレット(鋳物製のフライパン)を売っていた。自分の会社が静岡市葵区羽鳥にあった頃の話だ。ダイソーは現在のドンキ山崎店辺りに在った。隣が安西自動車学校だった。
そこの棚に、小さくて重いスキレットが列んで居た。
「100スキ」というのをご存じだろうか?。
鋳物で作ったフライパンをスキレットと云うようだ。キャンプなどで使うダッヂオーブンのフライパン版だ。
http://www.the-support.net/something/etc/100suki/
それほど料理が得意ではないが、料理の雰囲気は好きである(笑)。で、早速この100円スキレットを2個購入。税込み210円である。朝の一人分の炒め物、目玉焼き、酒のツマミなどを作るのに非常に調子がよろしい。最初は鉄臭かったり、焦げ付いたりすることもあったが、今ではその臭いもなく快調である。
その後、アウトドア雑誌にこの100スキが紹介された。本当の名前は「クッキングプレート」だと思ったが、100円のスキレットであるんで100スキと称していた。
その愛好家クラブも、ウェブサイトも出来た。「100スキ」で検索してみてください。
2004年頃、100円ショップから姿を消し始めた。中国製なんだが鉄の価格が高騰し品薄になり、100円での販売が次第に出来なくなっていった。そのため一時は何を狂ったのか、仕事で県内を動くたびに100円ショップを探して30個くらい手に入れた(笑)。そのほとんどはキャンプの仲間に無料であげてしまって、今では形の違う100スキが3or4つ手元に残っているだけ。
水筒。
1963年(昭和38年)、15歳、高校へ入学と同時に社会人山岳会へ入った。高校の部外活動には余りタッチしなかった(笑)。時代も時代、翌年が最初の東京五輪。モータリゼーションが始まった頃か。汽車、電車の本数も少なく、東名高速道路も完成に近づいていたが、インターチェンジで降りると、接続している道路が、未完成。インフラが未整備だった。それに自家用車を持っている人が少なかった。故に富士山へは近所の故、頻繁に出かけた。冬になると大沢崩を目がけた。まだ、現在の朝霧道路は形も無く、在るのは旧道のみ。

2015年2月。新しいデイパックを購入した。
黄色のデイパックだけど、既に使用頻度が低い。
その前は、アタックザックとして3つ使い潰した。
このグレゴリーのデイパックは「はしり」の頃。
アメリカのアウトドアが日本へ押しかけて来た頃。
やたら高額だった。
アウトドアショップ【ヨセミテ】
静岡市葵区の本通り「ミヤシタレーシング」の隣に「ヨセミテ」は在った
元々、日本の登山&キャンプは欧州から入ってきた。リュックサック(ルックザック)もランタンもピッケルもザイルもドイツ語だ。
1981年頃、雑誌「ビーパル」が出た。「アウトドア」と言うアメリカ語が一緒に日本へ入って来た。それまでは「野外生活」(笑)だった。
アメリカにも登山の文化があるんだ!…と気がついた(笑)
ヨセミテを中心とする明るい登山(笑)
そうして、みんな、ビーパルに洗脳され始めた(笑)
しかし、当時は1ドル=360円時代。東京駿河台下の、登山道具を扱っている店(そこしかなかった)でも、とんでもない価格だった。
1985年、ブラザ合意と共に1ドル=200円近くなり、日本でも買いやすくなった。
本通りの「ヨセミテ」は1990年過ぎ頃にオープンしたのではなかったでしょうか?
驚いた。東京のスポーツショップで売っているモノが売っていた(笑)西暦2000年過ぎ頃まで「アウトドア」という言葉は「恥ずかしくて」使えなかった(笑)
【ボーイスカウト】
当時、住み込みの人が居て、父母2人、兄姉4人、お手伝いさん2人、住み込み1人で、結構イッパイだった。で、昭和34年9月、向かい側の倉庫に2階を増築して私が住むことになった(笑)。
昭和34年というと、小学校6年生だ。一人住まい(笑)勉強部屋と云うコトにした。
実際には8畳間を作って、その3640×910にベッドコーナーを作った。残りは6畳間。
入り口はハシゴ(笑)
高校時代の写真が何枚かある。
この倉庫の裏がお寺で、ボーイスカウトの集会をいつもやっていた。
ボーイスカウトの尾崎さんが持っている山、藁科奥の山、赤沢で何度かキャンプをした。
ボーイスカウトで嫌いだったのは、街頭に出て募金活動をすること。
赤い羽根募金とか緑の羽根募金とかだ。
その日が近づいてくると、なんとか理由を付けて募金活動を欠席した。
そんな何百人もいるボーイスカウト隊ではないので、すぐにばれる(笑)
中学生になる頃には、それがイヤでキャンプorキャンプによって培われた登山へ、毎週出かけるようになった。それが登山の始まりだった。近所の山、安倍川流域の山だ。
山の本をイッパイ読んだ。芳野満彦の「山靴の音」、安川茂雄の「霧の山」。
すり切れるほど読んで、山への想いを高めていった。
中学三年生の頃にはボーイスカウト活動はほとんど参加しなかった。