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フィジーへ再び

2010年04月05日 | チャータークルージング
1997年の正月はフィジーで迎え、日本へ帰ってきても寒い日本でヨットに当分の間、
乗る気にならなかった(笑)。
それはそれで社会復帰の難しさを思い知ることになったんだけど、フィジーでの日焼けが
さめないうちに、もう一度行きたくなった(笑)。

南太平洋報告と称して<サムシング>のヨット仲間達と新年会。
彼女たちに「南太平洋」の素晴らしさ、夢のようなヨットシーンを写真をまじえて紹介。

南太平洋病が続いている3月。
<サムシング>のクルー達2人(女性)も含めて、もう一度南太平洋へ向かう計画をたてた。

ボク+妻+仲間2人の計4人。
6月になってテクノレジャーへ連絡を取り、現地のヘンリーとライサも頼んで、
1997年12月から翌年の1月にかけて、もう一度、フィジーへ向かうことになった。
46feetの艇を準備して貰った。
今度は、もうちょっと豪華な¥433,000-/1人。バブルの影響がまだあった頃かな。
4人で¥1,732,000-

9月5日までに予約金¥200,000-
9月29日までに2回目の¥400,000- 計¥600,000を払い終わった。
11月28日までに残金¥1,132,000-を支払うことになっていた。





物語は、ここから始まる(笑)。

10月の月末頃、妻が「受胎告知」を病院から受けた。
翌週、群馬県の四万温泉の奥の秘湯「湯の泉(ゆのせん)」へ予定通りでかけた。
2日目、奥山田温泉に泊まっている最中にツワリが始まってしまった。
ものすごくひどいツワリで結果5週間の入院を要した。

さて、妻以外のメンバーを誘って4人にして行くべきか?。
妻をおいて、3人で行くべきか?。
非常に悩んだ。

結果はチャタークルージングをギリギリの処で中止した。
仲間に謝って、中止をした。
キャンセル料は¥640,000-(大泣)。
既に¥600,000-は予約金として払ってあるが、4万円追加(泣)。

その子が、今では11歳。
明日から小学校6年生(笑)。

子供を連れて、もう一度、フィジーへ行きたい。
ついてきてくれるかな(泣)?。





チャータークルージング アイランドホッピング

2010年04月05日 | チャータークルージング
「ヤサワ諸島」。
ブルックシールズ主演「青い珊瑚礁」のロケ地、ヤサワ諸島を訪ねて、
ボクたち妻と二人、主人公になろうというシナリオだったが、日数不足でかなわず
アイランドホッピングとなった。
が、それはそれで素晴らしいモノだった。
強引にヤサワを目がけても、それなりの楽しみは在っただろうが。



明日はクルージングが終わるという日の午後、水先案内人のヘンリーが
「****島へ行っても良いか?」と問う。
「ああ、好きな島へ案内してくれ」

沖合いへアンカリングして、テンダーで上陸。
リゾートになっている島だ。
ここフィジーには島ごとリゾートになっている島が何カ所か在る。
また、島ごとレンタルしている島も在るという。



島の子供たちといろんな話をした。
英語が通じる。
また、リゾートを訪れているお客さん達に混じってビーチバレーもやった。
「どこから来たんだ?」
「日本から…」
「あのヨットで来たのか?」
「違う(笑)」



その夜、沖合いにそのままアンカリングして夕食を済ませ、一服していると
ヘンリーが
「ちょっと、島へ行って来ても良いか?」と尋ねる。
「オッケイ」

ライサ、妻、私の3人で、いろいろな話。
日本で、ボクは朝の7時から夜の8時頃まで働いている。
「oh! it's crazy…!!!」
凄く印象に残る言葉だった。

1時間経っても、2時間経ってもヘンリーが戻ってこない。
心配になってライサに問うと
「この島にヘンリーの彼女が住んでいる!。今晩は戻ってこないはずだ」
「…」

「ライサ、ものすごくこのクルージングが気に入った。絶対にまた来るよ」
「すばらしいセーリングシーンだ。必ずもう一度来るよ」
「その時にはライサとヘンリーに、また、お願いしたい」


翌朝、朝食を取っていると、エンジン音が近づいてくる。
「ヘンリーおかえり」
「さあ、でかけようか!」
「まだ、朝食中だよ」
ヘンリーは苦笑いをしてその場を取りつくろった。





そんなこんなんで南の海を堪能し、出発したマスケットコープ・リゾートへ戻り、
小型機に乗り、ナンディへ戻り、ホテルに一泊。
そして、日本へ戻っていた。

日本を12月26日に出て1月3日に日本に戻ってきた。
海の上に5日間か。
静岡市からの新幹線代金、交通費も全て含めて、1人¥380,000円だった。
高いのか、安いのか、満足度は各人違うと思うけど。



チャタークルージング 貿易風

2010年04月03日 | チャータークルージング
貿易風。トレードウインドと読む。地球の自転に伴う風と聞いている。
東よりの順風。6~8m/sec.の風だ。
朝、目が覚めるとこの風が吹いている。
常に一定している。
チャタークルージング用にカスタマイズしたベネトウ43。
珊瑚礁用にバラストを短く、マストも少し低く。




その艇で、貿易風を受け、フルメイン、フルゼノアで北上。
ジブシートもメインシートも調整はほとんどしない。
レースじゃあないのだ(笑)。
貿易風は風速も風向もほとんど一緒だ。
アイランドホッピング。
小さな島が連なっている。
無人島も在るし、有人島もある。
有人島は、ほとんどがリゾートアイランドになっている。
こんなプールの在る島もある。




スコールが近づいてくる。海の色が鉛色に変わって行く。
夕方、セーリングに疲れて、どこかの島へアンカリング。
そして、海は紅く染まる。
いつも空と海のグラデーションを楽しむ。







そして、何もしないウチに日が暮れて夜になる。
宴会(笑)。




昼間の疲れでぐっすり。

そして、次の日の朝が来る。




                        …まだ続く(笑)。




チャータークルージング 航海編

2010年04月02日 | チャータークルージング
こんちは。初めまして、日本から来た田中です。こっちはワイフ
おお、私はコックのライサ。コッチは親戚にあたるけど水先案内人のヘンリー
よろしく
たのしみましょう。


…と英語で

ヘンリーとライサは<トロピカル・ジャズ号>に荷物を積み込んでいた。



天候が悪いので、ヤサワ諸島までは行けないかも知れない。
無理をすれば行けるかも知れないけど、どうだろう?。

ヘンリーにお任せするよ。

ラジャー。


フィジーへ出発する前に、日本で航路詳細図を手に入れ思いを馳せていた。




しかし、現地へ着いてから、既に脳みそが南太平洋になっていた(笑)。
そんな細かいことはどうでも良くなっていた。
この蒼い南太平洋の海で帆走できれば、何処へ行っても良くなっていた。



軽量発泡コンクリートを使って作った浮き桟橋。
丈夫だけど、転んだら膝は血だらけになりそう(笑)。

モヤイを解き、出港。機走。セールアップ。
ヘンリーとライサが全てセーリングの準備を行ってくれる。
順風強のトレードウインドにセールを合わせ、北へ向かう。




これ、2人にプレゼント
カシオのGショック腕時計を二人分、お土産に持ってきた。
おお、本当に!、貰って良いのか!

2人は、ものすごく喜んでくれた。
このクルージングの最後まで、このGショックを貰ったことは嬉しかったようだ。

普段セーリングをしていると聞いているけど、ラットを持つかい?
おっけい、コンパスコースを教えてくれ

それ以来、かなりの時間はボクたち夫婦がラットを握った。
セーリングの経験がない人には、彼らがやってくれる。
じゃあ、セーリングできる人は、船体だけレンタルして勝手気ままに行けば
良いじゃないか…という意見もある。
この地でガイドが付いたクルージングを何度かした後、船体のみのレンタルもある。

しかし、しかしである。
島にアプローチする時、珊瑚礁を横切ってリーフ内に入るのだけど、その場所の特定し、
アプローチするコース、角度が難しい。
珊瑚礁への入口には旗とかブイが何本か立っている。
それは自然に珊瑚礁が欠けた所もあるし、人工的に削った場所もある。




その入口を探し、2つの旗、3つのの旗の見通し線。
これら旗の右側を10m以上離れないでデプスメーターを見ながら前進。
ヘンリーがバウに立ち、手で進行方向を示す。
脅かされているので、緊張。最初は写真撮る暇がない(笑)。

アンカリング(ウンドラス)をして、島へテンダーで渡る。




珊瑚礁内は、本当に浅い。深い場所も所々点在するが、それでも素潜りで海底に着いてしまう。
4~5mか。

また、海に沈んでいる島がある。
海面が白く見える処がそうなんだけど、その島の上にボクらが立っている。
潮が引けば島になる。
こんな処で夜は動けないし、水先案内人なしでは無理だ。







チャータークルージング 食事編

2010年03月31日 | チャータークルージング
1996年、その年の春、アナログ回線がやっとISDN回線になった頃だけど
Mooringsのホームページに接続して、フィジーへチャタークルージングに行きたい旨
を伝えた。
そして、日本の代理店であるテクノレジャーを紹介され、それ以来、神谷さんと連絡
しあった。申込用紙が届き、いくつかの点を記入。

□ あなたはヨットの操作ができますか?。
□ あなたはタッキングができますか?。
□ あなたはジャイビングができますか?。
□ あなたはバウツーができますか?。
□ あなたはスタンツーができますか?。
□ あなたはアンカリングができますか?。
□ …などなど、数々のヨットシーンのチェック。

□ フィジーの島の水路には詳しいですか?。
□ 水先案内人をつけますか?。(1日=2,800円だと思った。現地ではかなり高額。)
□ コックをつけますか?。(1日=1,300円だと思った。現地ではかなり高額。)

□ あなたの食事のボリュームは (S・M・L)?。
□ 好き嫌いはありますか?。

□ ダイビングライセンスは持っていますか?。
□ ビールは何本積み込みますか?。
□ 積み込むワインの銘柄を書いて下さい。

等々、50~60くらいの項目をチェック。

食事の量は、普通くらいだな。中くらいだね。Mか。
好き嫌いはないけど、日本での日常生活の好き嫌い。
ワインの銘柄なんて、赤玉ポートワインしか知らない(笑)。

ハーバーに着いた時にヘンリーとライサがリヤカーへ満載した食材を載せていたが
「これが4人で6日分の食材なのか?!(驚)」…とビックリする量。

■食事にまつわる話
フィジーは大食であることが、クルージングに出かけてから分かった。

初日の午後、ホームポートを出港して、明るいウチに無人島の****島へ
アンカリング。
通過したサイクロンのためか、珊瑚礁で囲まれたリーフ内でも海面は少々凸凹。
そのなかで1人6~8匹の「チキンのココナッツミルク煮」は食えなかった(笑)。

朝、目が覚めるとコックのライサが、
中ジョッキに、なみなみと入ったフレッシュジュースを差し出してくれる。
それを飲んでいるウチに、ミルクたっぷりのコーンフレーク。
それをバリバリ食べているウチに、1人6~8枚のパンケーキを焼いてくれる(泣)。




セーリング中の昼食。
大皿に山盛り一杯のスパゲティ。
みんなで食べるのだと思ったら、一人分だという。
小エビの唐揚げ(川エビみたいなヤツ)を中型ボウルに1杯。
ライムを掛けて食べる。これも1人分。
それにチャーハン大盛り。
昼食にワインは2or3本、ビールはガブガブ…4人で(笑)。



「ライサ、お願いだから、ボクたち二人の分は食事の量を少なくしてくれないか」
「でも、残ったら困る」
「ライサ、保存がきくモノは持ち帰って良いから」
「おお、ハッピー!」



或る日、バラクーダ(巨大カマス)を釣った…と言うより釣れてしまった。
大きなケンケンの釣り針に、ビニール片を縛っておいたら釣れてしまった(笑)。
引き揚げるのに、セールダウンして艇を止めて、しっかり手袋付けて引き揚げる。
2or3回、戻された。手袋無しではできない。
釣り上げる準備をしていなかったので大あわて。
時々、艇を後進させながら引き揚げる。30~40分くらいか。




BBQグリルがスターンパルピットに付いていて、そこで焼いたのだけど、
塩コショウしかなかったので大味だった。醤油が欲しかった(笑)。




ある日、セーリング中の途中でビールが足りなくなった。
ヘンリーが無線で要請。
水上飛行機が缶ビールを積んで出前にやってきた(笑)。
テンダー(エンジン付きゴムボート)でビールを受け取りに行こう。







Moorings

2010年03月29日 | チャータークルージング
久しぶりにMoorings(チャータークルージングの会社)からエアメイルが届いた。
10年ほど前までは、案外頻繁に届いたが、久しぶりだった。
オーストラリアのMooringsからだけど、タイのプーケットに基地を設けたから
来てくれと言う案内状だ。
でもプーケットはキングスカップに仲間同士で行くのが良いな。




          ◆           ◆

1996年12月、その半年以上前から企画したフィジーでのチャータークルージング。



妻と二人で冬服を成田のコインロッカーに預け、真南へ11時間飛んだ。
フィジーのナンディ空港へ降り、10人乗りくらいの軽飛行機でマロロライライ島へ。
そこにはベネトー43feetの<トロピカルジャズ>号が、ボクらを待っていた。



水先案内人のヘンリー、コックのライサが、リヤカーに満載した食材を艇に移していた。
ものすごい量。4人分の食材だけど、ビックリ。

Mooringsのオフィスに入り、天気図の確認をしたんだけど、サイクロン(台風)が通過
したばかりで、出港は明日の午後にしようと言うことになった。
この日程だとブルックシールズ主演の映画「青い珊瑚礁」のロケ地ヤサワ諸島へ届かない
かもしれない。でも、そんなことはどうでも良くなっていた。ここは南太平洋(笑)。
翌日、ドッグアウトし、赤道方向の北へ向かう。



南太平洋、トレードウインド(貿易風)のなかの5泊6日のアイランドホッピング。
何事にも代えられない。至福の時。
本家のウェブサイトにダイジェストを当時書いて載せてはあるが、この時の詳細を
書こうとすると、ブログが何回になるのだろうか?(笑)。
第二回目のオチもあるし。