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ビールサーバー

2011年07月29日 | 生活
昨日「粗品」で、こんなモノを戴いた。






その時は会社に居るので、実験をやるわけにはいかないし、
中に挟む缶も会社の冷蔵庫にはない。

実験は夜だな(笑)。
…と云うわけで、夕食時に実験開始。


グラスが大きいと泡を注ぐ前に缶ビールがなくなってしまった(笑)。
満を持して500ミリ缶と小さいグラスを持ち出して





う~む、泡が少ないなぁ。
よし、もう一回。





今度は泡が多いなぁ。
10回くらい練習しないと上手にならないな(泣)。
会話が少なくなった夫婦用だな(笑)。

妻曰く。
「あたしだったらつかわない」

ヨット仲間の<SWING>にプレゼントしようか(笑)。


「缶ビールをビールサーバーのように注げる」
「タカラトミー」





快走 サムシング

2011年07月27日 | ヨット




梅雨明けしてからの方が雨が多いのかな。
今朝も雷雨です、静岡市。

7月17日(日)。
海の日記念日の市民体験セーリング。
140名という多勢の市民の方が参加してくれて、午前の部、午後の部楽しみました。

ヨット協会の会長がセーリング中の<Something>の写真を撮ってくれて、
プリントでプレゼントしてくれました。

自分の艇が帆走しているという写真というのはかなり少ない。
だって、自分で撮れないから(笑)。
会長に、いろいろなアングルから撮った写真があったらメールで送って…
と云ってある。


今まで他の人から撮って貰ったことはこれくらいしかないな。

http://white.ap.teacup.com/something/975.html

http://white.ap.teacup.com/something/964.html




駿河湾横断レース

2011年07月25日 | ヨット
24日は駿河湾横断レース。

清水港スタートして伊豆半島の大瀬崎フィニッシュ。
午前9時、28ハイのヨットが清水、沼津から集まってきた。




仲間の艇、ボリアス4に乗艇。
遅れても良いので一番上からスタートし直後にタックして南へ向かう。
ほとんどの艇は、そのまま東へスターボードタックで向かう。



しかし、風はない(泣)。





1時間たっても南が吹き始める気配はないけど、タックして東へ向かう。
スピンアップ







波無し、風無し状態が続く。
ギリギリ、頭が痛くなってくる(泣)。

タイムリミットは2時。
残り5マイルを残して1時30分にエンジン・オン。



東へ向かう。
誰もフィニッシュをした艇はない。




沼津のヤマハマリーナ沼津でレース後のパーティーだ。
3時30分スタート。
有り余る賞品のじゃんけん大会(泣)。










一度あることは二度ある。二度あることは三度ある

2011年07月23日 | ヨット メンテナンス
「一度あることは、二度ある。二度あることは三度ある」
昔の人は偉い。
マーフィーの法則じゃあないけど、その例えのように、壊れる。
20年も経てば当たり前だよね。

ドッグハウス上のスターボードサイド(左舷)の上に4つのシートストッパーが在る。
左から
「2ポイントリーフ」
「メインハリヤード」
「ゼノア2(左)」
「ゼノア1(右)」

先日のセーリングでNo.2を上げてストッパーを掛けたら
「ピシッ!」(泣)。
「ゼノア2(左)」にクラックが入りました。





これで三回目です。
一回目はメインハリヤードで、すでに新品に交換済み。

二回目はスピンハリヤードで、この春に側板だけ交換しました。
http://white.ap.teacup.com/something/1052.html

三回目ともなると、手慣れたモノでキャビン内の天井に付いているプラスネジ5本を
抜いて天井をはがす。
ボックスレンチの10番でナットを緩める。







外側へ行ってストッパーを止めているプラスのボルトを左廻しして、ボルトを抜く。
しっかり止まっているので、案外ドライバーを廻すのがタイヘン。
でも、廻していけば、いつかは外れる。




接着面に残った古いコーキングをカッターナイフで削り、穴の周囲だけコーキング。
プラスのボルトを締め込んで、閉め込めなくなったらキャビン内に入り
ワッシャー、ナットを付けてボックスレンチで「これでもかっ!」と
云うくらい締め込む(笑)。



これでスターボードサイドは「2ポイントリーフ」だけ古いヤツ。
これも、そのうちに割れるだろう。



ポートサイドには
「バング」
「スピンハリヤード」
「1ポイントリーフ」
があるが、スピンハリの側板を換えただけだ(泣)。
まだ割れていないのは、「バング」と「1ポイントリーフ」。
取りあえず、ハリヤード類のストッパーは、みんな交換したわけだが、
四度目はいつ来るのか?(泣)。





あちこちにあるハーケンのカムクリート。
この中のシリコンのタマタマが割れて、飛んでいる(泣)。





SWING28という艇

2011年07月22日 | ヨット
<サムシング>と同型艇の「SWING28」に大阪岸和田で乗っているWINGさんのブログ。

http://blogs.yahoo.co.jp/twsjf858/folder/1513576.html

今はない「ツボヰヨット」で造ったブルース・ファー設計の艇なのだが違う箇所が何カ所かある。
建造したのは<WING>は1988年(昭和63年)の6号艇、
<サムシング>は1990年(平成2年)の17号艇(…と聞いた記憶が)。

一番違うのはセールプラン。
<サムシング>は普通のプラン。
<WING>はダイアモンドステイを付けて、マストトップスピン。
絶対に微風で並んで帆走したくない(笑)。
「すみません。WINGさん。勝手に写真を借りました」






写真を見て気がついたのだけど、<サムシング>はデッキ、コックピットに
ノンスリップ塗装をしてあるけど、<WING>は無し。






コックピット内の写真を見ても、エンジンパネルとかティラー形状とか違う。
まあ、既製品と行っても並べて売っていたわけでなく、船体以外はセミオーダー
だから違って当たり前だけど、<WING>とスピンで並びたくないな(笑)。






ツボヰで<サムシング>を造っている時。





ロープをコイルする

2011年07月20日 | ヨット
台風6号は悩ましいですね。
Vターンしたり、直角に曲がったりして、困ったモンだ。



…の話ではなくロープをコイルすること。

メインセイル、ジブセイルを上げ終えて各ハリヤードを始末する。
そのままキャビン内に放り投げておく場合も多いが、各シートバックなどを
備えていて、その中へコイルしたロープ類を入れて整理することも多々ある。




時々、コメントを戴いている「まさゆきのヨット小屋」のまさゆきさんが時々
ご自身のブログで書いてくれてあるが、このコイルはロープワークでかなり重要。
http://kawanishi.cocolog-nifty.com/blog/


右利きの人は普通、左手でロープエンドを持ち、右手で円を描くようにロープを
束ねていることが多い。
そうすると、こんなフウになる。




そして、この輪の上部辺りを縛って吊したり、輪をウインチへ掛けたり、
シートバッグに入れたりする。


しかし、この状態はきれいにコイルされていると見えるが、実は円を描いて巻いて
行く時にロープ自体をキンク(ねじる)させて居ることに気がつかない。

きれいに巻けていればいるほどキンクしている(はずだ)。
このまま、ハリヤードを降ろしたり、ジブシートを解放すると、ブロック部分で
必ずと云って良いほど引っかかる。キンクの玉が出来てしまうのだ。


これを防ぐためには、ロープはコイルするのではなく折り畳むような形をとること。
折り畳んで行くと、こんな8の字の形になってしまうが、これで良いと思う。
ロープを折り畳むという感覚が理解できないかもしれないが。
動画にしないとダメかな(笑)。
あるいはシートバッグにエンドからソロソロ…と入れて行く。




右利きの人は、エンドを左手でもって、右手で円を描かないで左手にストローク分を
わたす。
このように8の字になっていると云うことはキンクしていないと云うことです。
この状態の束はそのままリリースしてもブロックの前でコブが出来たりしません。
スルスルと、そのまま延びていきます。

何のロープでも同じだ。
メインハリヤード、ジブハリヤード、スピンハリヤード、メインシート、ジブシート
スピンシート、アンカーロープ、全てコイルしてはいけない。折り畳むのだ。
コイルしておくと、急いでリリースする時に必ずキンクする。


ロッククライミングで使うザイルを束ねる方法も同じです。
(今はザイルとは呼ぶのではなくロープと呼ぶのか?>ほりさん)

コイル状にしておくと、使い始める時にキンクをとらなくてはなりません。
これは片手しか使えない時に、非常にやっかいです。

アウトドアでもテントとかタープを張ったりする時に使用するロープも同様。



市民体験乗船

2011年07月18日 | ヨット
17日(日)。
いろいろなことがダブってしまっていた。
13日~16日までのお盆は終わったけど、もしかしたら誰かくるかもしれない。
折戸マリーナのヨットレース。
<サムシング>で参加できなくても、<ボリアス4>で出来るかも。
アウトドア仲間の富士川を下るラフティング。
清水港ヨット協会の市民体験乗船。

ヨット協会の会長から、「艇が足りないので出て欲しい」とのメッセージもあって
シングルで良ければ出ますよと…返事をして置いた。

ポンツーンから離れて市民が歩く岸壁へ艇を移動。
こんな細かいことは一人だと面倒だね。さてオートヘルムも準備しなくては。
海の日記念日の旗もスターンのポールへ縛り付ける。




そこへ割り振られたお客さん。
小学校2年生のお子さんを連れた女性Tさん。
それと男性のIさん。

Tさん。
こんなバッグを持って乗り込んできました。



お子さんに乗艇の仕方を教えている。
「う~む」

サイドした仲間の艇にモヤイを解いて貰い、0930:出港。
まずは自己紹介。

男性Iさん
「何度か体験乗船に来ています」

女性Tさん
「生まれは京都ですが、結婚して静岡へ来ています」
「父が琵琶湖でヤマハ24を持っていたので、子供の頃からクルーザーに乗っています」
「スピンのハンドリングも出来ます」
「シーホッパーも持ってました」

「おお!」

すぐにティラーを彼女に渡しました(笑)。

メインセールだけでセーリングするつもりが、No.2もアップ。



今日は夏にもかかわらず、富士山がくっきり。
午後は吹くかな。




適当な風でお茶を濁して、午前の部は終えて1130寄港。
午後の部も、お二人とも乗りたいという。
体験乗船本部に、その旨を伝えて、昼食を終え1230ドッグアウト。



良い風になってきました。
男性のIさんも、「いいなぁ、気持ちいい!」






帰路にはアビームになるようにコースを選択。
すでに台風のウネリは低かったけれど、駿河湾にも届いていました。







タックの時にはジブを頼んだのですが、きれいに決めてくれました。





朝食一覧表

2011年07月16日 | 生活
昨年12月にも書いたことがあるけど、1年中、朝4時半頃には起床している。
体内時計が身体を起こしてしまう。
http://white.ap.teacup.com/something/987.html

ここ数年、朝食はご飯オンリーだ。
毎朝4時半頃には目が覚め、即座に起床。
布団の中でグズグズしているのは好きではない。
まあ前夜眠るのは10時~10時30分頃かな。
故にそれ以降のテレビ番組はほとんど知らない。

4時半、キッチンへ行き、炊飯器の電源オン
書斎(物置=遊び道具部屋)へ行きパソコン電源オン。
メールのチェック、ウェブサイト、ブログのチェック(笑)。

仏壇の花の水を替え、水とお茶とご飯を供える。
5時頃から朝食の支度を自分のモノだけする。
冷蔵庫の中をゴソゴソやって自分のモノだけ作る。

今、はまっているのは「目玉焼き」
黄身を黄色に保つためには蓋をしてはいけない。
白くなってしまう。それに水を入れて蓋をするのは「目玉蒸し」。

妻子は6時に起こしてから、各自好きなモノを食べる。

6月から7月にかけての朝食一覧表。36食。
朝食の写真を撮っておくと、いつ何を食べたのかの備忘録になる(笑)。











大森実

2011年07月15日 | 団塊の世代

2011年7月

このことは、いつか書き残しておかないと忘れてしまう。
…と云いながら、パソコンHDD内の30年近い間のデータを探している(笑)。

大森実
2010年の3月、88歳で他界したけど、大森実というジャーナリストが居た。
1965年、毎日新聞外信部長としてベトナム戦争時に北ベトナムに入って
米国の攻撃方法を批判した。
そのことで米国からクレームが付き、毎日新聞を退職した。
大森国際研究所を設立し、「東京オブザーバー」という新聞を出した。

当時知り合った仲間の父上が、大森実と知人だった。
1968年(昭和43年)、大森実氏に「アメリカに来ないか?。船で」と呼びかけられた。
「今の若者にアメリカという国を知って欲しいのだ」

考えたコトもなかった。アメリカは今思うより、ずっと遠い世界だった。
1ドル360円、固定相場制。日本での外貨持出制限。
21歳の時だった。今から43年前か。1968年

当時、バイト代金が1日700円。1時間ではない1日だ。
ベトナム戦争で亡くなった兵士の身体洗いのバイトが10,000円/日と聞いたが、
誰もやったことがある仲間はいなかった。うわさ話だけだった。
この頃、初任給2万円くらい。この渡航費が38万円だった記憶がある。
初任給の19ヶ月分の渡航費だ。

JR中野駅前の陸軍中野学校の跡地前(現中野区役所、中野サンプラザ前)の
アパートに寝起きをしていたけど4.5畳に小さな台所がついて家賃は4,500円だった。
大森実氏はカネがないけど行きたい人に「新聞・東京オブザーバー」の配達を頼んだりした。

1968年当時、日本はまだ貧しく発展途上国だった。
1964年(昭和39年)の東京オリンピックを終え、右肩上がりの「いざなぎ景気」だった。

そのゆがみが戦前からの学生運動を再燃させた。
三派全学連、そして全共闘と呼ばれていった。
革マル(革命的マルクス主義者同盟)
社青同(社会主義青年同盟)
社学同(社会主義学生同盟)
中核(革命的共産主義者同盟)
民青(民主主義的青年同盟)などの学生運動で大学はガタガタ状態だった。
閉塞状態だったと云っても良いかもしれない。

オヤジに話をしたら、「是非、アメリカへ行け」という。
その気になってしまった(笑)。

まだ、太平洋横断できるジェット機がない頃の話だ。
大森実は若者を絶対にベトナムへは連れて行かないという、確約を外務省としたと言われた。

何度か説明会を開き、その日は来た。
うろ覚えなんだけど、第二次大戦中に地中海で沈没した病院船を引き上げて客船に改造
したというギリシャ船籍の客船<マルガリータ号>。いわゆるグレード分けはない客船。
ドミトリーという部屋、エンジンルームの横、2段ベッドの8人部屋。

*月*日、当時の晴海埠頭から船は出た。
誰しも永く生きていると、何度か「自分の人生・考え方を変えた(決めた)きっかけ
がいくつか在るとは思うが、この米国行きはボクにとって、その一つだった。

 船の上での生活は、思いもよらない素敵なモノであった。船上生活はこれだけで一冊の
本が書けてしまうほどでだ。





3週間後、金門橋(ゴールデンゲエートブリッジ)は早朝、しっかりとボクたちを迎えてくれた。
サンフランシスコ(桑港)に滞在した時、驚きのほうでは「すげぇ!、おお」、
悲しみのほうでは「えぇ~!」の連発だった。

1ドル=360円というのは日本の中でのレートであって、サンフランシスコでは
1ドル=400円ロサンゼルスでは1ドル450円と云うのが、普通の銀行での
為替レートだった。日本円が全く通用しないのである。
全くと言って価値がないのである。
外貨持出制限があって、ドルを日本国内で交換できなかった。

カリフォルニア大学バークレー分校の夏期講座へ通った。
昼飯のハンバーガーとコーラで2ドル50セント。日本で1日バイトして1,000円の
バイト代金を米国に持ってきても450円の為替では昼飯も食えないのだ(泣)。
日本は凄く貧乏な国だという実感を持った。

米国でのバイトは確か1日15ドル前後だった記憶がある。バイトをするほど期間の
余裕が無かったけど。15$を日本に持って帰って、円に替えれば5,400円。
米国で4日バイトすれば、日本での1ヶ月の生活費は稼げたのだ。

今、中国とか東南アジア諸国の人達が日本に来て働いているのと全く同じだ。

世界一歴史のある商売に売春がある。世界中途絶えることは無い商売だという。
一つのレートの例であげるが、当時、サンフランシスコで44ドルと聞いた。
とてもじゃないが行けない。
1日2ドルのバイト(日本で)をしても22日バイトしないと行けないのだ(泣)。

人と会って話をすると
 「Chinese?」と何度も聞かれた。
 「No Japanese」と応えると
 「Japanese? … Japanese…」と即座に思いついて貰えない様子であった。

もの凄く強い米国、貧乏国の日本をヒシヒシと感じた。
この3ヶ月間の思いは、その後のボクの考え方を決めるのに十分であった。

桑港(サンフランシスコ)では、その時、ダスティンホフマンとキャサリンロスの
映画「卒業」をやっていた。
今でもサイモン&ガーファンクルの「スカボロフェアー」と「ミセス・ロビンソン」
が流れると「貧乏国、日本」を思い出す。

その後、何年かたって日本製品が米国を駆逐し始めた。
安くてモノが良い日本製品の排斥運動が米国で始まった。
ニューヨークのグリニッジビレッジ公園で、東芝のトランジスターラジオを大きな
ハンマーで壊す映像がTVに流れた。


そして、台湾、韓国、中国製品が日本製品を駆逐している。
今や、1ドル78円か。


 


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逆に2022年9月。
145円の円安になってしまった。

 


初盆

2011年07月13日 | 生活
この3月に93歳で他界したオフクロの初盆だ。
今週はなんだかんだと慌ただしい。
静岡市周辺では7月盆が多いと聞いているが、いろいろかもしれない。
13日~16日かな。
12日午前中、お盆の前に届けるお布施とお墓の掃除と花替え。






このお寺は報土寺(ほうどうじ)と云うが京都冷泉家の人達が近所の浅間神社に
来て、このお寺で歌会をして遊んでいったとか云われている。

http://www.asahi-net.or.jp/~KW2Y-UESG/jiin/houdoji/houdoji.htm

最近になって本尊を調べてもらったら平安時代の仏像彫刻家「定朝」作と
わかったようだ。1000年たっている。文化財に指定されるかもしれない。





多勢の檀家さんがお墓参りに来ていた。



お盆の飾り付け方法も色々ですね。





今日は午前9時に、棚経をあげに住職が来てくれる。

報土寺(ほうどうじ)

http://houdoji.com/