先週、出先での仕事が早めに終わり、亡父が昭和の時代に整備してきた梅園に寄った。
そして父に会ってきた。
http://white.ap.teacup.com/something/520.html
一年に一回は必ず出かけるようにしている梅園。
東海の名刹<洞慶院>。
「老梅林園」。
父が書いて、自宅に在った石を持ち込んで、石屋さんに彫って貰った文字だ。


この一月中旬、まだまだ、梅には早いけど、園の隅にある蝋梅(ろうばい)
はきれいに咲いていた。



「老梅林園」の「老梅」とは、ここ洞慶院の住職だった元大本山永平寺貫首の
丹羽廉芳氏の「号」だ。
ボクが子供の頃から、可愛がっていただいた。
http://white.ap.teacup.com/something/807.html
数百本あると思われる紅梅、白梅が咲き始めるのは2~3週間後くらいかな。
洞慶院では開山当時(西暦1500年頃?)から住職が梅の木を植えてきたようですが、
「梅園」というモノは無かったようです。
梅園として整備しよう、梅園を作ろうと声を上げたのが昭和54~55年頃。
オヤジを車に乗せて、何回も石屋さんと現地へ行きました。
晩年は書家を目指して好きなことを、好きなようにやっていたオヤジ。
四阿(あずまや)も完成し、除幕式が昭和57年2月21日。
…とオヤジのアルバムには書いてありました(笑)。
石碑の裏側には父の名前が彫られています。
寄贈:田中英吉

この石碑の歴史
http://white.ap.teacup.com/something/1635.html
http://white.ap.teacup.com/something/520.html
そして父に会ってきた。
http://white.ap.teacup.com/something/520.html
一年に一回は必ず出かけるようにしている梅園。
東海の名刹<洞慶院>。
「老梅林園」。
父が書いて、自宅に在った石を持ち込んで、石屋さんに彫って貰った文字だ。


この一月中旬、まだまだ、梅には早いけど、園の隅にある蝋梅(ろうばい)
はきれいに咲いていた。



「老梅林園」の「老梅」とは、ここ洞慶院の住職だった元大本山永平寺貫首の
丹羽廉芳氏の「号」だ。
ボクが子供の頃から、可愛がっていただいた。
http://white.ap.teacup.com/something/807.html
数百本あると思われる紅梅、白梅が咲き始めるのは2~3週間後くらいかな。
洞慶院では開山当時(西暦1500年頃?)から住職が梅の木を植えてきたようですが、
「梅園」というモノは無かったようです。
梅園として整備しよう、梅園を作ろうと声を上げたのが昭和54~55年頃。
オヤジを車に乗せて、何回も石屋さんと現地へ行きました。
晩年は書家を目指して好きなことを、好きなようにやっていたオヤジ。
四阿(あずまや)も完成し、除幕式が昭和57年2月21日。
…とオヤジのアルバムには書いてありました(笑)。
石碑の裏側には父の名前が彫られています。
寄贈:田中英吉

この石碑の歴史
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