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白瀬中尉

2024年02月21日 | アウトドア

小学校の低学年の時に、何度も読み返した本がある。
何かの偉人伝のマンガだった記憶がある。

白瀬中尉、大尉だったかもしれない。

白瀬中尉が子供の頃、何故、何故に南極を目指すようになったのか?

小学校の低学年時代、先生から「みんなは大きくなったら何になりたいですか?」

「学校の先生」「音楽の先生」「警察官」「看護婦さん」「公務員」

「田中くんは、大きくなったら何になりたいですか?」

「探検家になりたいです」

「う~ん、探検家は職業なんでしょうか?」

一年生の時の写真。右端に居るのが秋野先生。

 

二年生の時の写真。真ん中に居るのが大胸先生。

 

小学校三年生の時の上田先生。

先生の下宿が近所だったので、毎晩のように遊びに行った。

冒険話もイッパイして貰った。

山の手にある安西小学校から大浜海岸に遠足に行った時の写真。

この上田先生に「探検家になりたい」と言ったら、なんと応えるかな(笑)

この後、小学校5年生からはボーイスカウトに入った。

キャンプ大好き少年になった(笑)

 


ナーゲル

2023年10月03日 | アウトドア

1966年
大学の試験を経て合格した。
入学式の前に、その年の3月15日過ぎくらいだった。
中野に「アポロスポーツ」という登山道具屋が在った。
オーナーは松永さんと言い、静岡山岳会と懇意だった。
https://kakublog.blogspot.com/2010/06/blog-post_27.html
中野区市中野5丁目35-8

店に行って、明治大学の山岳部への紹介状を書いて貰った。
その紹介状を持って御茶ノ水の明治大学の山岳部部室を訪れた。
学生会館の地下に在って、プールも部室の前に在った記憶がある。
地下に在る競技用のプールを多くのクラブの部室が取り囲んでいるようでした。

そこで入学式前に春山の合宿があるので、参加するように要請された。
しかし、
ペロ付きの登山靴は必須。

鋲靴(ナーゲル)が、あれば、より良い。

ビブラム底でも良いけど、ベロ付きは必須。

ゲートルを巻くという。

この山岳部。例の植村直己が所属していた山岳部である。
そのころ、彼はまだ有名人では無かった。

その時に明治大学山岳部の話を聞いて、とても一緒に山へ行く気にならなかった。
こっちは。高校時代から欧州アルプスをターゲットにして「スーパーアルピニズ」を目指していたのだ。ゲートルなんて聞いた途端にがっくりきて、入部する気持ちが萎えていった。
幻滅をしてしまった。
帰りに中野の「アポロスポーツ」に寄って、
こんな具合だけど、入部は止めたい。
松永氏「じゃあ、また、社会人山岳会へ入りますか?紹介しますよ」
それで、そのままになってしまった(笑)
ナーゲル(鋲靴)、ムガー、クリンカー、トリコニーなど

 

ヨットへ誘われる

https://blog.goo.ne.jp/something3/e/0f4e27656a1508ea1ce7ece7ea2873b3

 


【中学時代】

2023年09月08日 | アウトドア

【中学生時代】
中学へ入った頃、はそれまで続けていたボーイスカウト活動に納得しなくなっていた。
一番嫌いだったのは、「赤い羽根募金」などで街中に立って募金活動をすることだった。
知り合いに会うと、恥ずかしかった(笑)
小学校の時に行った、富山県高岡市城端とのスカウト交換は続いて居た。中学一年生(1961年)の正月にも、富山へ出かけた。桜が池スキー場という処で滑っていて転倒。左スネ骨折。金具はまだカンダハーの時代だった。豪雪のため静岡駅へ戻るのに36時間掛かった。みんなに迷惑をかけてしまった。
正月明け、一ヶ月もすると、歩けるようになった。ギブスでなくてあて板、添え木だった。

昭和32年(1957年)、近所の駿府公園に児童会館という子供のための遊び場(?)が
オープンした。静岡市(葵区)駿府公園1-1という場所で、駿府公園という名の住所が
あることを知った。
今で言う、子供科学館という感じかな。学校が終わるとカバンを投げ捨てて、近所の仲間
と児童会館へ出かけた。楽しかった。面白かった。いろいろなモノを展示してあって、
触ったり体験させてくれたりした。
 
近所の悪ガキ仲間の一人の父親が児童会館の天文台所長をしていたこともあって、夜星を
観るために、天文台へは何度も出かけた。真っ黒な大空の中に輝く一粒の星を何度も、
いくつも見せて貰った。

昭和35年(1961年)、ボクらは中学二年生になっていたが、時々児童会館へ遊びに出かけて
いた。写真クラブというのが出来て、暗室を自由に使わせてくれて、現像・焼き付けなど
を教えてくれた。
昭和36年(1962)1月1日の新聞にボクが撮った写真を載せてもらったりした。

大谷崩は頻繁に行った。学校の渡辺先生も「連れて行ってくれ」という(笑)

 

 

 

 


高校二年生 山への憧れ

2023年07月09日 | アウトドア

山への憧れ

高校時代の三年間は、ほとんど山で過ごしていた。
小学校でボーイスカウトに入り、中学になって登山、山に憧れる少年になった(笑)
そして、高校一年生の入学式の日に、近所にある社会人山岳会の事務所に押しかけた。
「高校一年生ですが、入会させてください」

そして、最初の山行は、浜松の新所原駅にほど近い立岩という岩場でロッククライミングの訓練だあ。
1963年高校一年生の時の夏山合宿は、今では考えられない北鎌尾根。
それも、湯俣遡上してP1から(笑)
https://blog.goo.ne.jp/something3/e/31c1bcdd3d0b4158dd5e0ff0d093862e

高校二年生の夏山は穂高の涸沢に2週間テントを張って滝谷へ行ったり、前穂の北尾根行ったり、奥穂高のジャンダルムを目指したりした。
この時のアルバムが行方不明だ。でもバラバラになって3枚出てきた。



滝谷のクラック尾根。

滝谷ドーム北壁?

 

 

 

 

 

 

 


山の日

2021年07月21日 | アウトドア
前回の東京オリンピックは昭和39年(19864年)高校二年生。
多感な17歳の時だ。セブンティーン。

何をしていたかというと、山登りばかり。
高校一年で社会人山岳会に入り、共同装備を借りて
あちこちへ行ってた。

このこの年は、穂高&涸沢&滝谷&ジャンダルム。


















お気に入りテント

2020年11月13日 | アウトドア
2003年の夏から、何十回と使ってきたお気に入りのテント
ノースフェイスの「タッドポール23」がベトついてきた。
経年劣化による加水分解。
この先、また頻繁に使うわけじゃないのでえ、「よし」とする。





雨が予想されるときには、ウイングタープを張ろう。
そうすれば、防水は完璧(笑)
強風では駄目だけど(泣)




ビーパル2003年のタッドポール23を紹介してくれた記事を見つけた(笑)