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健康グッズ(泣)

2015年12月14日 | 団塊の世代
団塊の世代は、高齢者に近づいて居る。
あるいは

すでに高齢者になっている(泣)


この週末、天気が悪いこともあって、家に居てテレビを見る時間が多かった。
夜中の通販番組を見ていると、ターゲットは団塊の世代(泣)

相変わらず、右膝が痛い。
膝をかばっていると、腰まで痛くなってくる。

腹筋、背筋の不足だ。

それにはぽっこりお腹を解消しないと。




膝痛も股の筋力不足。




ラクなのにお腹が引き締まる。



ポチ…っと押したくなります(笑)


膝痛のサプリメントばかり、目に付く(泣)






ハロウィンなんて大嫌い(笑)

2015年10月29日 | 団塊の世代


ここ数年、やたらメディアが「ハロウィン」って騒ぐ。
未だに2月のバレンタインが嫌いだ。
この「節操の無さ」が大嫌いだ(笑)

なんでも騒いで、経済活動にのれば、良いじゃないか…というのが嫌いだ。

多分、西洋の収穫祭なんだと思うけど、日本に無理矢理伝えて来て
そのイベントを起こしてしまう。
そして、そのイベントに乗ってしまう。
その「節操の無さ」が嫌いだ(笑)

もう数年たったら、収穫祭なんてイメージは全く無くなり
奇抜な格好をして、仲間同士で練り歩く日になってしまう気がする。

おぢさん達は、こういうの大嫌いだ!(笑)




夏だ! ビールだ! エレキで乾杯!

2015年08月24日 | 団塊の世代
「夏、ナツ」、夏と言えばベンチャーズ…と大昔、言ったとか言わないとか。

「夏だ! ビールだ! エレキで乾杯!」という死語を重ねたキャッチコピー
で古いヨット仲間がライブ(笑)。
結成20周年記念とか。

今年は(も)河岸を変えて眼鏡市場本社ビル(トップセンタービル)
地下の「フレックス-ミュンヘン」






午後6時30分開演



フリードリンク



今年の夏。

みんな呑めなくなってきた(泣)

でも、ベンチャーズサウンドは続く(笑)






弁当を隠して食べた

2015年07月03日 | 団塊の世代
弁当の話
1947年生まれ、団塊の世代。
小学生時代は給食だったが、中学時代、高校時代は弁当だった。

地区、地域、年代によって違うかもしれないけど、まだ日本は貧しい時代だった。

昭和30年代、中頃。
特に中学時代、弁当を持って来れない生徒もクラスに何人かいた。

また、昼飯の時間になると、包んであった新聞紙とか弁当箱のフタを使って
弁当の中身を隠して食べている生徒がいた。




食べるモノが、各家庭やたら違ったのだ。
特に女子生徒が弁当を隠してたべるのが多かった気がする。

また、自宅へ昼飯を食べに帰る…と言って教室を出て行く生徒もいた。
しかし、自宅へ帰っていたわけではなく、校舎の裏側でたたずんでいるだけだった。
満足に、昼飯を食べるコトが出来ない時代だった。

http://white.ap.teacup.com/something/1453.html


          ◆           ◆

ウチの妻はかなり年下なんだが、妻の実家は3年前まで鰻屋だった。

義母の場合は普通のお弁当だが、

義父が時々、お弁当を作ってくれると、料理屋さんの松花堂弁当、幕の内弁当
のようになってしまい、「はずかしかった」と言う。

また「ウナギ弁当」の時は、恥ずかしくて、食べないで帰宅したとも聞いた(笑)











イタリアン&ジャポネーゼ

2015年07月02日 | 団塊の世代
ナポリタンのついでに(笑)

アントニオの岡村さん親戚の「洋食屋 コックさん」の
スパゲティ、イタリアン



http://white.ap.teacup.com/something/1586.html

それから、「ジャポネーゼ」というスパゲティを初めて知った(笑)

スパゲッティはアルデンテがどうのこうのというお話ではなくて、いわゆるソフト麺です。
焼うどんイタリアン風?

「ジャポネーゼ」ってイタリア語で日本人のコトだな(笑)












ナポリタン

2015年07月01日 | 団塊の世代


なんとかクリームソース、カルボナーラ、うに明太子、ペペロンチーノ
スープパスタ、トマトソースパスタ

おぢさんは、ナポリタンを食べたいのです。
小生意気なパスタ屋だらけで困る。
しゃらくさい!(笑)。

パスタ屋には、あのナポリタンがない(笑)。
それにチーズとタバスコも置いてある店が少ない。

「あのぉ~、タバスコを欲しいのですか!」

「タバスコはありません。オリーブオイルはありますが…」

生意気に(笑)!


スパゲティはパスタの一種だ…と分かったのは最近のコト(笑)

それにしても、ナポリタンを最初に食べたのはいつなんだろう?
先日、オヂサン達と呑んでいて話した。







1963年~1965年(昭和38年~昭和40年)の高校時代、

今の高校生とは違う時代なんだが

今の外食という意味では、外食したことがなかった。

学校帰りに学校の近所のパン屋さんで、空いたお腹を満たすためにパンorおでんを
食べるのが精一杯の時代。

何々を食べるために、両親が外食へ連れて行ってくれる…という時代ではなかった。
(違う人もいるかもしれないので、ボクの廻りでは)

          ◆           ◆

大学ヨット部に入り、三浦半島の油壺手前の初声(はつせ)マリーナでいつも合宿を行った。
現在、神奈川県三浦市初声町

その時に食事当番になると、食材の買い出しをすることになる。
一人一日250円でまかないをする、一食じゃなくて一日だ!。

バス停の前に小型のスーパーマーケットがあって
そこで食材を調達した。

30人くらいいたので、30人×250円=7,500円が一日の食材費だと思った。
そこで上手くやると、お釣りが出て、食事当番3~4人分のお駄賃になる。

その小型スーパーに隣接した喫茶店。そこで食事当番達はお腹を満たすことになるのだが
みんな育ち盛り。いくらでもお腹へ入っていく(笑)

前置きが長くなったけど、そこでボクは初めてナポリタンを食べたのだと記憶している。
そこにタバスコと粉チーズがあって、それも初体験だったと思う。

小さなケチャップ瓶だな…と思ったらタバスコだった(笑)






ナポリタン、同世代の人達はいつ、初めて食べたのだろうか?


日本ナポリタン学会
http://naporitan.org/

イタリアのナポリにはナポリタンが無い事実…と思っていたら、存在するようだ(笑)









ジェットストリーム

2015年06月24日 | 団塊の世代
Wikipedia

株式会社エフエム東京(エフエムとうきょう、Tokyo FM Broadcasting Co., Ltd.)は、東京都を放送対象地域として超短波放送(FMラジオ放送)を行う特定地上基幹放送事業者である。1970年4月26日に、日本で3つ目に一般放送事業者が開設する超短波放送(FM)の放送局として開局した。

1967年7月3日に、東海大学のFM試験放送局FM東海にて放送を開始。1970年4月からは、FM東海を引き継いで同月に開局したエフエム東京(TOKYO FM)に移って放送を続け、2004年11月25日に放送1万回、2007年7月3日に放送40周年を迎えた。同局およびJFNにおける最長寿番組として、現在も記録を更新している。


学生時代、中野駅前の中野四丁目というところに下宿していたんだけど、
ソニーのFMが聴ける、このFMレシーバーを買って、下宿の四畳半で、
その時刻を待っていたことを覚えている。











http://palette.ocnk.net/product/630






篠山紀信展

2015年06月19日 | 団塊の世代
行こう行こうと思っていた篠山紀信展 「写真力」
先日、静岡県立美術館へ行って来た。

見たい写真は一枚だけ。









暗幕が張られた会場へ入ると、目に入った最初の一枚が、
どでかい三島由紀夫の写真2枚

そのうちの一枚を観て
懐かしい昔を思い出して、いきなり、こみ上げてきた。





1967年、学生時代に、ある大経済新聞社のFという経済記者(?)と
親しくなったコトがあった。でも、ちょっと怪しい人でもあった。

文学について、経済について、新聞社について、色々ためになる話をしてくれる人であった。
当時の有名人をいかにも自分の友人のように話をする。
世間知らずの大学生としたら、憧れモノである(笑)

カネが無い貧乏学生(ボク)を美味いモノを食べに何度か連れて行ってくれた。

そのうちに「実は三島由紀夫先生と親しいのだ。今度会ってみないか?」
こっちはビックリである!。
「是非、お願いします。えぇ!ほんとですか~ぁ」

小説を読んで知っていたり、当時の平凡パンチに掲載されて知っているくらいだ。





何回目かに飲み屋さんへ行った時、焼鳥屋だと思ったが、新聞社名の入った
A4サイズの茶封筒に原稿用紙を渡された。

「これね、三島先生の使っている原稿用紙だよ。もらってきたんだ」
「えっ!、ホントですか。すごい。貰ってもイイですか」





後から思うと彼は三島由紀夫の「楯の会」のメンバーだったかもしれない。

その後そのF記者と2or3度会ったが、三島由紀夫には会えずじまいだった。

写真はその時の数枚の原稿用紙だが、真偽は不明である。満寿屋の原稿用紙。

1970年11月25日、あのニュースを中央線の中で聞いた。






ソース焼きそば

2015年06月18日 | 団塊の世代
小学校高学年のころだと思う。
10歳、11歳、1957年or1958年ころか。

近所に静岡浅間神社があって、4月には二十日会祭(はつかえさい)という
お祭りを5日間やっていた。

そのお祭りの時、浅間神社へ行って、屋台の焼きそばを食べるのが楽しみだった。
今で言う、「ソース焼きそば」

「ソース焼きそば」を食べたくて、小学校時代は毎年、その祭りを待ち焦がれていた。
焼きそばと、キャベツ、挽肉、そしてソース。

キャベツの硬い芯も火が入ると甘くて美味しいと思った。
ソースの焦げた香りが浅間神社の境内を漂う。




皿に盛ってあるわけでなく、当然プラスチックのパッケージでもなく
経木(きょうぎ)を折った皿だった記憶がある。





そんな想いがあって、家でオフクロに作って欲しいと頼んだが、
焼きそば、その麺が近所の乾物屋売っていなかった記憶がある。
まだスーパーがない頃の話。

また、当然と言えば、肉は全て高級品だった。


ある日、静岡駅近所、現在のマルイのトコに、麦香村(ばっかそん)、
稲香村(とうかそん)という中華の店が出来た。





その店に「焼きそば」があるという。
親にねだって、そこへ連れて行ってもらった。

「焼きそば」を注文したけど、テーブルの上に運ばれてきたモノは
「餡をかけた、かた焼きそば」で、自分が望むモノではなく、非常にショックだった。

こんな焼きそばがあるとは思っても見なかった(笑)


そのうちに、いつだったか忘れたけど、近所のおでん屋さんで、
「ソース焼きそば」を作って売るようになっていた。


いつでも食べられるようになった。
そうすると、それほど食べたくはなくなってきた(笑)


また、或る日突然、「焼きそばパン」という調理パンが発売されるようになり
こんなパン、誰が考えたんだろう(笑)

それほど、焼きそばを食べたいとは思わなくなった(笑)




1968年にオリバーソースが家庭用のウスターソース(焼きそば用)を販売。




マリーン ジャズ歌手

2015年06月16日 | 団塊の世代
20~30年前、静岡でもディスコブームがあった。
その頃は、当たり前だけどボクも20~30歳若かった(笑)

繁華街の両替町の日映森岡ビルには、色々な店が出来て、そして無くなった。
古くはカクテルコーナー。バブル期にはディスコ「サムライ」、「チキン亭」など。

キサナドゥなつかしい。 ファイブダラーもよかった!
ストリートファンキーズが毎週ブレイクダンスをやっていた。
キング&クイーンかぁ。

玄南通りのこのビルの2階に「シック」というディスコがあった。
オーナーは清水の女性だった。




あるときシックのオーナーから「ライブをするから来てくれ」と頼まれ、
誰が出演するか分からず、友人達3人で出かけた。

40~50人くらい入るディスコに客は数人しかいなかった。
フィリッピンの女性ジャズ歌手だった。
客の少なさにいやがらずに歌って終わった。

歌が終わった後、レコード盤、CDを持ってきて買って欲しいと言う。
壁に貼ってあった、畳サイズのポスターにサインをしてくれたら買っても良いと応えた。

「マリーン」と言うけど、「マレーネ」が本当の読み方だと言う。


畳サイズのポスター、倉庫に残っている(笑)




1983年1月31日「マリーン」

その半年後、大学の学園祭に「マリーン」が出演して、それからブレイクした。
32年前か。


近所のホテルの壁に「ファイブダラー」の看板が、まだ残っている。





六本木ディスコ照明落下事故なんかがありましたね。



●静岡のディスコ

キング&クイーン
キングスター、
クレイジーハット、
ギゼ、
メチャ安のサイトーの二階:ナンバーテン
日映森岡ビルの中のサムライ
玄南通り:シック
清水巴川:キャンディハウス
末広町 ロイヤルホテル地下:ファイブダラー