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データコンバート

2016年07月20日 | 団塊の世代


をDVDに焼いて貰った。




思い出創造社は、8mmやVHS、miniDVなどのビデオからDVDへのダビングを行う、
静岡の会社です。


http://omoidesozo.com/


で、DVDを焼き増しして、町内のオヂサン仲間に配ろうと思ったら、
DVDビデオデッキの操作が出来ないという(泣)。


じゃあ、youtubeにアップした方が楽かな…と思い、
XMedia Recodeを使って、データコンバート。

それと、当時の8ミリカメラは「音声」はありませんから、
音が出ないと、悩まないでください(笑)


「昭和37年3月 御二十日さん5周年」 1962年

[[youtube:WE6dtj1QA-M]]



昭和38年秋  語多友会」 1963年




亡父が8ミリカメラで撮影した時から50余年を経て、陽の目を見た町内の動画。

これを、町内の人に見せよう(笑)






8ミリフィルム

2016年07月14日 | 団塊の世代
昭和30年代、亡父は8ミリカメラを持って、あちこち撮っていた。

ゼンマイを巻いて、撮るヤツだ。



8ミリビデオとは違う。8ミリカメラだ。

撮りためたモノを8ミリ映写機を使って映写会を開いていたりした(笑)

そんな8ミリフィルムが、50本近く残っている。




facebookで「いいね」したためか、富士フィルムのデータ変換サービスが時々アピールしてくる。
いつかやってみたいな…と思いながら、決断力不足(笑)

http://fujifilmmall.jp/conversion/dvd_8mm/

そんな事を思っていたら、すでに8ミリフィルムからVHSビデオテープに変換してあった(笑)
町内のイベントの2本

「昭和37年3月 御二十日さん5周年、町内新年会、成人式」
「昭和38年秋  語多友会」




富士フィルムまで届けるの、宅急便だけど、面倒だな…と思って検索したら

近所に在った(笑)


思い出創造社は、8mmやVHS、miniDVなどのビデオからDVDへのダビングを行う、
静岡の会社です。


http://omoidesozo.com/





夢であいましょう

2016年07月13日 | 団塊の世代
永六輔が(も)逝った。
大昔、中村八大とやっていた「夢で逢いましょう」

白黒テレビの時代だ。

そう言えば、この番組でギターを弾いていた人が、いつぞや静岡のクラブで弾いていた。




そんな事を書いていたら、ザ・ピーナッツも。

みんな居なくなってしまうなぁ。
いつかは遅かれ、やがて行く道。

テレビが楽しくなっていく時代だった。







同窓会

2016年07月11日 | 団塊の世代
高校の同窓会が頻繁だ。
前回は2013年。

今年は卒業50周年。


http://white.ap.teacup.com/something/1433.html

3年ぶりの同窓会





誰が先生で、誰が生徒なのか全く分からない。

風貌はどちらも大差ない(笑)




あっちの席へ移動したり、こっちの席に来たり、忙しい。

話をしている内容は50年前と同じレベル。




みんな、すでに呑む体力、食べる体力がなくなって久しい。

それほど呑めないのだ(泣)

食べるのは少量でよいのだ(泣)



2016年7月9日(土)

静岡県立静岡東高一回生の同窓会

於 クーポール会館





島田市博物館

2016年06月27日 | 団塊の世代
島田市博物館で、こんな展示をしていた。
「昭和の時代」





電気洗濯機のローラー脱水。





博物館の別館、分館。旧桜井邸

http://kindaiwafu.eshizuoka.jp/e1020554.html







ここのほうが見応えがあった。



氷で使う冷蔵庫。毎日、氷屋さんが配達に来てくれた。



籾殻を使ったタマゴ入れ。
昭和20年代、生タマゴは入院のお見舞い品に使われた。
超高級品だった。




暮らしの日々。
こういうモノに囲まれて生活していた時代。
落ち着いて居たな。



何かに追いかけられているような感じはなかった。










VANのおしゃれ方程式

2016年06月17日 | 団塊の世代
【VANのおしゃれ方程式】

昨日、古い書類をひっくり返していたら、1965年6月20日の新聞の切り抜きが出てきた。

51年前か(笑)

高校三年生の時の新聞。









こんな本も残っているけど、これは分かっている。




平凡パンチも数冊保存(笑)

大橋歩さんのイラストが懐かしい。




白木屋 バン アイビー

麦とろ 丸子亭

2016年03月15日 | 団塊の世代
その店は在った。

静岡市清水区真砂町4-20
麦とろの店 丸子亭




ここ1or2年、気にはしていたけど、入るタイミングを逸していた。
ランチタイム終了間際のころ、
「こんちわ。ランチ良いですか?」
女性スタッフが
「はい、どうぞ」



「坂越さんは、いらっしゃいますか?」
店奧の調理室から、顔をのぞかせて

「はい、私ですが…」

じっくり私の顔を見て

「おおおおおおおおおおおお!

  田中くんじゃないか!」


「良く分かりましたね。そそ(笑)」
「何年ぶりだ?」
「40数年ぶり(笑)」

学生時代に、中野ブロードウェイの近所に住んでいたと書いた。
中野ブロードウェイの中に「バラライカ」という定食屋さんも兼ねた喫茶店があった。

http://white.ap.teacup.com/something/1392.html

その経営者が坂越さん。
私より4or5歳年上かな。
当時、民謡の世界では有名人だった。

私が大学卒業以来、坂越さんとは会ったコトがなかった。
2年前に中野ブロードウェイの喫茶店に行った時、坂越さんは、
清水で「とろろ屋」さんを開いていると聞いた。

それまでは静岡には住んでいないと思っていたのだ。
いつか行かなければ…とタイミングを逸していた。




1960年代後半、彼はフィアット500に乗っていて、民謡の巡業(?)があるときなど
勝手に乗ってイイよ…と言われたことも思い出した。

麦とろご飯を食べた後、コーヒーを飲みながら、
昔、学生時代の下宿生活+バラライカ生活を、少しづつ紐解くように
思い出して行った。






学生時代にお世話になったお礼を言って、何か一つ済んだような気になった。






とろろ 自然薯 山芋




メタルボタン

2016年03月09日 | 団塊の世代
いわゆる「ブレザー」「ジャケット」
大学の時から数えると、すでに50余年(笑)

半世紀を過ぎている。

その頃から、ジャケットは黒、ブラックと決めている。
50年で10着以上のブラックジャケットを作ったり買ったりしたと思う。

今でも冬用は厚いフラノのジャケットと決めている(笑)

その中の捨てられない一着。




このボタン、当時の知り合いで、彫金デザイナーのなり損ないが
作ってくれたのか、既製品を選んでくれたメタルボタン。

レミントンの散弾銃とライフルの薬莢。薬莢の尻でつくってくれたメタルボタン。




まあ、ボタンだけ外して取っておけばよいのだけど、
そうすると紛失する可能性が大きくなる(笑)










サンドイッチ

2016年02月02日 | 団塊の世代
子供の頃、昭和20年代後半から30年代にかけてかな、
近所のパン屋さんには食パンとコッペパンしかなかった。

そんな時代、近くを走っていた路面電車に乗って国鉄静岡駅へ行くコトが時々あった。

http://www.the-support.net/something/old/01/index.html


静岡駅には東海軒の駅弁が売っていた。今でもだけど。
幕の内弁当がメインだけど、「青・白・赤」パッケージののサンドイッチがあった。

今ではトリコロール色というけど、当時はそんな言葉はなかった(笑)





空腹を満たすだけだったら幕の内弁当のほうが上位だけど、
サンドイッチはオシャレだった。

親にねだった(笑)

そんなサンドイッチを初めて食べた時、バターとカラシの味がした記憶がある。




それと、このサンドイッチの間に、一房、パセリが挟まっていた。

今ではパセリがない。

苦くて子供の頃には食べるコトが出来なかった。

ある時から、高校時代からかな、パセリを食べることができるようになった。

パセリを初めて見たのはこの東海軒のサンドイッチからだ。


パセリが在ったはずだと思い、検索した。
在った(笑)

東海軒のホームページ、駅弁物語の中にあった。

http://www.tokaiken.jp/ekiben.html



サンドイッチの前の黒く写っているヤツがパセリだ。