「陽だまりハウスでマラソンを」
公式サイト
http://hidamarihausu.com/

最愛の妻の病気をきっかけに夫婦で老人ホームに入居するパウルは、
メルボルンオリンピックで金メダルを獲得した伝説のマラソンランナー。
70歳を超えても健康なパウルは老人ホームのレクリエーションや規則に
とらわれる施設側の態度に耐えられず、ベルリンマラソンに挑戦することを
決断するのだが……。
はからずも涙を流してしまった。
シネギャラリー、待合場所


団塊の世代は観ることが必須かもしれない。
数年ぶりに、母校、県立静岡東高校へ寄って見た。
近所まで行くコトはあっても、通過してしまうが、
当日はあまりにもケヤキの葉が美しくて、自然に校庭に入ってしまった。
水を吸い上げたケヤキの葉の瑞々しさ(みずみずしさ)。
緑萌ゆる。
欅之碑は場所を換えたのかな?
違う場所に在った気がするんだが。
(1966年)昭和41年1月20日
にケヤキの木が茨城県石岡市から運ばれてきた。
亡父が頻繁に高校へ顔を出しているので、高校時代はそれが疎ましかった。
私は昭和38年開校の高校の一期生なんだが、オヤジがPTAの副会長を仰せつかった。
が、会長が他界してしまったので、その後を引き継いでいた。
高校一年生から静岡の社会人山岳会へ属していて、
あまり学校へは近づかなかった(笑)
よって高校への帰属意識が、同級生よりも薄い感じがする(笑)
以来49年か。
この石は、現在、柚木にある静岡護国神社、その前身は静岡市葵区北番町に
あった招魂社だけど、その階段に使われていた石だ。
https://blog.goo.ne.jp/something3/e/0056fd53d5bcdeb698d1a04350370bf2
静岡市葵区羽鳥にある名刹、洞慶院梅園にある「老梅林園」の碑と同じ石だ。
◆ ◆
東高校設立時の資料が段ボールにイッパイ入っていた。
特にケヤキに関しては、一冊のアルバムにまとめてあった。
静岡市文化振興課です。
引取り希望者を公募していた、静岡市城北公園(葵区大岩本町)内に設置している
蒸気機関車(D51-146号)の引取り者が決定しました。
この蒸気機関車は、昭和13年11月に製造され、昭和50年に引退するまで、室蘭本線と
函館本線で運行されていました。引退後は、駿府城公園内にあった児童会館横に置かれ、
現在は城北公園に引っ越し、運行を終えてからもたくさんの方に親しまれてきました。
北海道から静岡に引っ越し、また新天地に向かうD51。
今年で、製造されてから75年になります。
引き取り先でも、たくさんの方に、ずっとずっと愛されていくことを祈っています。
◆ ◆
昭和32年(1957年)、近所の駿府公園に児童会館という子供のための遊び場(?)が
オープンした。静岡市(葵区)駿府公園1-1という場所で、駿府公園という名の住所が
あることを知った。
今で言う、子供科学館という感じかな。学校が終わるとカバンを投げ捨てて、近所の仲間
と児童会館へ出かけた。楽しかった。面白かった。いろいろなモノを展示してあって、
触ったり体験させてくれたりした。
近所の悪ガキ仲間の一人の父親が児童会館の天文台所長をしていたこともあって、夜星を
観るために、天文台へは何度も出かけた。真っ黒な大空の中に輝く一粒の星を何度も、
いくつも見せて貰った。
昭和35年(1961年)、ボクらは中学二年生になっていたが、時々児童会館へ遊びに出かけて
いた。写真クラブというのが出来て、暗室を自由に使わせてくれて、現像・焼き付けなど
を教えてくれた。
昭和36年(1962)1月1日の新聞にボクが撮った写真を載せてもらったりした。
その児童会館も平成15年(2003年)11月に閉館して解体された。
その横にこのD51は昭和51年(1976年)ころから、(2004年)まで長年鎮座していました。
◆ ◆
その翌年、2004年3月10日。
D51が元静岡大学跡地の城北公園に引っ越しをすると聞いて、現地へ行ってみました。
特別SLマニアではないのですが、感慨深いモノがあって引っ越しについて行ったのです(笑)。
最初から屋根がなかったから朽ちて行く運命にあったのでしょうが、大井川鉄道に行けば
良いのにナァ…と思っていたとこです。栃木県か。
写真は2004年3月10日、城北公園での移転作業中のモノです。