これは「ブクレコ」に『時空と生命』のレビューとして書いたものに加筆修正したものである。
書かれていることは非常に重要で本質的で画期的なもののはずだが、(多分、読み手の力量の問題もあって)なかなかそれについての明確な象を描くことができない、何だかとても「おもはゆい本」。それがこの『時空と生命』を読み終えての第一の感想だ。
以下は初読段階で私が掴むことのできたものを、暫定版として書いたもの。この本の語るより本質的な部分については、理解が深まった時にまた改めて述べたいと思う。
京大理学部物理学科卒、同大学院理学研究科修士課程終了でSF作家という著者の橋元淳一郎がこの本で繰り出すのは、相対論、量子論、場の理論、分子生物 学、発生学などを統合した時空間生命科学(のようなもの)。と言っても200ページに満たない中でそれを全部やるなどということはできないので、ここでは 生命を主体的意思と読み替え、その主体的意思を生じさせたものは何かを物理学的に解き明かす、ということがテーマである。
全体は5つの章からなっていて、第1章はミンコフスキー空間(この本の用語ではミンコフスキー時空)を用いた相対論的な時空間についての解説、第2、3章 ではそれぞれ動物、バクテリアを例にとって生命=主体的意思と読み替えられる根拠が述べられ、次いで第4章で生命現象を物理学的に扱うための非平衡熱力学 について書いた後、第5章「主体的生命原理と創造的宇宙」で前の4つの章で述べてきたことを統合する。
この中で私は、まず第1章でミンコフスキー空間を使うと相対論における時空間がこんなにも明確に見えてしまうんだ、ということに感動してしまった。なぜ物 体の運動は光速を超えることができないのか、なぜ過去の事象は見えるのに未来の事象は見えないのか、などが、ごく簡単な計算で求められてしまうだけでな く、我々が認識できない非因果領域が存在することすら、1枚の絵の中で見えてしまうのだから。この第1章を読むためだけでも、この本を手にする価値はある (ただしミンコフスキー空間は実軸と虚軸によって構成される複素座標系なので、内容を理解するのに多少の数学的知識は必要になる)。
そして第2~4章を費やして、非平衡熱力学系の中から単なる物質的な原子・分子の集団が生命へと変わるための契機となったものは、エントロピーの増大に打 ち勝とうとする主体的意思だったのではないか、という結論を導き出し、第5章でその生命=主体的意思と物理学的な時間論との統合を図るのだが、困難極まり ないその過程で突破口となったアイディアとは?というのが、この『時空と生命』の最大の見せ場になっている。その大きなヒントとなる一節を引用しておこう。
それは、人間理性が見ている世界もまたイリュージョンであり、われわれが生きていく上で不要な要素は、かりに実在しているにしても、われわれには決して見えることがないということではなかろうか。
ここから、なぜ時間は過去と未来で対称ではないのか、なぜエントロピーは常に増大する方向に向かうのか、という問いに対する答が見えてくる。我々はどこから来て、どこへ行くのか、という問いへの答も。
だから、まだ内容を十分理解できてはいないが、この『時空と生命』は私にとって、2015年に読んだ本の中でも間違いなくホームラン級の1冊であると言っておこう。
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