深く潜れ(Dive Deep)! キネシオロジー&クラニオセイクラル・ワーク(クラニオ)の蒼穹堂治療室

「ココロとカラダ」再生研究所、蒼穹堂治療室が送る、マニアックなまでに深く濃い、極私的治療論とお役立ち(?)情報の数々。

「完備性」を整える

2023-10-18 15:48:49 | 一治療家の視点

何らかの不具合というのは身体症状として出るので、その原因はまず物理的な身体の異常として追求される。中には原因を聞いても「骨格(背骨、骨盤)が歪んでるから」、「神経が圧迫されてるから」としか答えない(答えられない?)ひどい治療家もいるが、そういうエセ治療家はともかく、体に出ている症状の原因を解剖学、生理学的な切り口で探ることは極めて真っ当なやり方だ。

けれども、そうした切り口だけでは原因が捉えられないこともよくある。捉えられないのに無理矢理、物理的な身体の異常ということにして施術を続行してしまう治療家も少なくないが、もう少し気の利いた治療家なら物理的な身体から離れて、心理的、感情的な切り口や、エネルギー的な切り口で原因を探るかもしれない。

だが、それでも原因が捉えられない時は?

そういう時、私が考えるのは、身体あるいは心身というものを成り立たせている物理的、化学的な構造を支えている数学的な側面から異常を探ることである。

これまでも、このブログでそのヒントになる記事を書いてきたつもりだが、改めて読み返してみると内容が非常に分かりにくいものが多くて、申し訳ないと思う。ただ、必要な数学的な内容をできるだけ嘘なく述べるには、どうしても長ったらしく分かりにくいものになってしまうので、その点はご容赦願いたい。

例えば、私は以前「ハウスドルフ性」について述べた(詳しくは過去記事「位相空間論を治療に用いる」を見てほしい)。「ハウスドルフ性」が崩れている患者への対処法にはいろいろなやり方があるが、一番手軽な方法はサインペンなどで体に直接「この体はハウスドルフ空間の条件を満たす」とでも書いておけばいい(直接書くのが憚れるなら、キネシオテープなどに前述の言葉を書いて貼ってもいい)。この時、「ハウスドルフ空間」について知っているに越したことはないが、この言葉自体を一種の「呪文」と捉えるなら、それを発動させるのに必ずしもその意味を知る必要はない、とも言える。

さて、今回述べるのは「完備性」である。すぐ上に述べた「ハウスドルフ性」と同じく、「完備性」が崩れている患者に対処法するには、例えば患者の体に「この体は完備である」とか「この体は完備化されている」、あるいは「この体においてコーシー列は収束する」とでも書いておけばいい。

「ハウスドルフ性」にしても「完備性」にしても、それが崩れている人はゾロゾロいるわけではないので、誰でも彼でもそれを書いておけばいい、というわけではない。が、何をやっても効果の出ない患者が、そうした数学的な部分の問題に対処することで大きく改善することがあるのも事実である。

ここから先は「完備性」について説明する。ただし内容は数学的なものになるので、それはご理解いただきたい。

「完備性」について述べるためには、まず数列の収束についての定義を述べなければならない。高校数学では数列の収束を「…に限りなく近づく」などの言い方をするが、大学で大抵は1年次に学ぶ基礎解析学(微分積分学)では、それに厳密な定義を与える。それは以下のようなものだ。

数列{an}n=1,2,…がaに収束するとは、任意の正の数ε(イプシロン)に対して、以下を満たすある正の整数Nが取れることである:n>Nならば|an-a|<ε

これがε-N論法と呼ばれる収束の定義で、これを関数の連続性の定義に応用するとε-δ(デルタ)論法となる。ε-N論法もε-δ論法も、大学数学で学生が最初にぶち当たる関門とされ、ネットなどでよくおどろおどろしく取り上げられいるが、慣れてしまえば何てことはない。上の定義も

数列{an}n=1,2,…がaに収束するとは、nを十分大きくするとanを好きなだけaに近づけることができる、ということである

という、ごく当たり前のことを数学の式を使ってもっともらしく書き直しただけに過ぎない。

次にコーシー列について述べる。コーシー列の定義は以下のようになる。

数列{an}n=1,2,…がコーシー列であるとは、任意の正の数εに対して、以下を満たすある正の整数Nが取れることである:n,m>Nならば|an-am|<ε

つまりコーシー列とは、十分大きなnにおいて数列同士の距離を好きなだけ近づけることができるようなものを言う。これにどんな意味があるのかというと、コーシー列と数列の収束の間には密接な関係があるのだ。それは

収束する数列はコーシー列である

ということだ。一応証明を与えておくと

数列{an}n=1,2,…がaに収束するとすると、数列の収束の定義から任意の正の数εに対してある正の整数Nを取って、
n,m>Nならば|an-a|<ε/2, |am-a|<ε/2
とできる。よって
|an-am|=|(an-a)-(am-a)|≦|an-a|+|am-a|<ε
これはコーシー列の定義そのものであり、よって{an}n=1,2,…はコーシー列

では逆に、コーシー列なら収束するのか?

コーシー列の定義では、先に行けば行くほど数列同士の差を好きなだけ小さくできるのだから、何となく成り立ちそうに見えるが、実はそうではない。(多次元を含む)通常の実空間あるいは複素空間であれば、数列が収束することとコーシー列であることは同値(つまり、数列がコーシー列であることは、その数列が収束することの必要十分条件)だが、一般の位相空間ではコーシー列であっても収束するとは限らない(もっと正確に言うと、位相空間X上のコーシー列はX上で収束するとは限らない)のだ。そうした例は簡単に作ることができる。

ここではXとして有理数空間を考える。X上の数列{bn}n=1,2,…を、b1=3、b2=3.1、b3=3.14、…と円周率π=3.1415…に合わせて定義する(これらbnは全て有理数であることに注意)。こうして定義した{bn}n=1,2,…は十分大きなnにおいて数列同士の距離を好きなだけ近づけることができるので、コーシー列である。そしてn→∞とするとbn→πとなるが、πは無理数であるので、有理数空間X上には存在しない。つまり有理数空間Xにおいてコーシー列{bn}n=1,2,…は収束しないのだ。

そして、「コーシー列ならば収束する」を満たす(位相)空間のことを、完備な(位相)空間という。完備な空間では、数列が収束することとコーシー列であることは同値になる。

ここで身体/心身に話を戻せば、「完備性」が崩れているということは、身体/心身が通常の実空間あるいは複素空間の状態から逸脱してしまっている、ということになる。

完備でない空間を完備なものにする操作を完備化というが、どんな空間でも完備化できるとは限らない。

「完備性」も「ハウスドルフ性」も、これを仮定しない形で数学理論を構築することはできる。ただそうすると、できた数学は常識に反する異様な(数学者がよく使う言い回しでは「病的な」)ものになってしまうことがある。

身体あるいは心身においても私がこうした数学的な基盤を気にするのは、そういう理由による。

※なお、ここで述べた「完備」は解析学的な意味の完備であり、数学も分野が変わると同じ「完備」でも全く違う意味で使われることがあるので注意。


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