腰痛放浪記 2020-02-26 09:59:04 | 症例から考える この記録は、もしかしたら私の遺書になるかもしれないし、あるいはまた、私自身に回生のきっかけを与えてくれるかもわからない。 第1章の冒頭に記されたこの言葉は、ひどい腰痛になって2年後のもので、この当時、著者はまだこの腰痛との終わりの見えない戦いの中にあったはずだが、何と全くその通りだったことがわかる。夏樹静子の『腰痛放浪記 椅子がこわい』は、まさに夏樹静子という存在の遺書であり、回生の記であっ . . . 本文を読む
「わかる」ということ 2020-02-15 10:28:09 | Weblog ここのところ「わかる」ということについて考えている。 インターネットによって調べ物は格段に楽になった。例えば忘れてしまった漢字や英語の綴りなどは端末さえあればすぐに見つけられるし、一面識もない人間のプロフィールなども、さまざまな情報を辿って付き合わせれば、かなり詳しく知ることができる。そういう意味では、いろいろなことがたやすく「わかる」ようになった。けれどもそれは、せいぜい「知らなかったこと知る . . . 本文を読む