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「ココロとカラダ」再生研究所、蒼穹堂治療室が送る、マニアックなまでに深く濃い、極私的治療論とお役立ち(?)情報の数々。

吉田直哉さんの死を知る

2008-10-06 19:09:25 | Weblog
10/5の新聞記事で、吉田直哉さんの死を知った。

吉田直哉──元NHKディレクター。ドキュメンタリー『日本の素顔』や大河ドラマ『太閤記』などを手掛け、特に『太閤記』では過去と現在とが地続きであることを示すため、時代劇なのに冒頭に新幹線が走るシーンを出し、「放送事故か?」と問い合わせが殺到したという。

…が、私は残念ながら、これらの作品を視ていない。私の吉田直哉“体験”は1974年から75年にかけて放送された『未来への遺産』に始まる。これはNHK放送開始50周年特別番組として作られたシリーズで、「文明はなぜ栄え、なぜ滅びたか」をテーマに、世界中のさまざまな遺跡を通じて人類の過去から未来までも俯瞰しようとする壮大な番組で、当時、小学生だった私はそれを食い入るように視たものだ(放送は不定期だったため、いつ次の放送があるか気が気ではなかった)。

そしてもう1つ、大学生の時に視た1年に渡るシリーズ『21世紀は警告する』(1984-85)は忘れられない。21世紀まであと約15年というところで、予測されるさまざまな問題を包括的にとらえ、問題提起したこの番組は、その後のNHKの大型企画『21世紀への奔流』(1996-1997)、『世紀を超えて』(1999-2000)へと引き継がれていくことになる。だが、『21世紀は警告する』が、続く同種の番組(NHK、民放を含めて)と決定的に違うところがあった。それは、『21世紀は警告する』は問題提起した第1部と、その処方箋を世界各国の賢人たちに求めた「回答編」とも言える第2部の、2部構成になっていたことである。問題提起だけして「あとは知らないよ」というドキュメンタリー番組ばかりの中にあって、この“本気さ”にしびれた。

吉田直哉さんの作る番組は、他の人が作った同種の番組とは常に何かが違っていた。『21世紀は警告する』のように、氏が常に新しい試みをしていた、ということもあるが、それだけではない。まず何と言っても、番組のタイトルや各回のタイトルがいい。例えば『21世紀は警告する』では、氏はタイトルの意図を

『21世紀は……』ではなくて『21世紀へ警告する』ではないのか、という質問を何度も受けたのであった。
冗談ではないのである。警告を受けるべきなのは現在の状況を作りつつある私たちであって、まだ実体もない21世紀の住民ではないのだ。私たちは警告されこそすれ、警告できる立場にはない。


と述べている。
また、NHK卒業制作となった、司馬遼太郎が幕末から明治を語り尽くす『太郎の国の物語』は、まさに氏の集大成といえるタイトルだ(後にこの番組は『明治という国家』のタイトルで書籍化された)。

ちなみに『未来への遺産』の各回のタイトルは…
プロローグ 失われた時への旅
第2回 天は語らず 大地をして語らしむ
第3回 天は語らず 廃墟をして語らしむ
第4回 天は語らず 人をして語らしむ
第5回 誰がどんな情念で(Ⅰ)-巨石との関係-
第6回 誰がどんな情念で(Ⅱ)-密度を求めて-
第7回 誰がどんな情念で(Ⅲ)-この沈黙の遺跡-
第8回 はるかなる伝言(Ⅰ)-石の言葉・砂の物語-
第9回 はるかなる伝言(Ⅱ)-聖なるかたち-
第10回 壮大な交流(Ⅰ)-シルクロード-
第11回 壮大な交流(Ⅱ)-陶磁の道-
第12回 壮大な交流(Ⅲ)-剣を持った場合-
第13回 -ヴィーナス 彼女の周辺-
第14回 -心のなかの宇宙-
第15回 -破壊・修復・再体験-

そして『21世紀は警告する』の各回のタイトルは…
第1集 祖国喪失
第2集 国家が“破産”するとき
第3集 飢えか戦争か
第4集 都市の世紀末
第5集 小さな家族の大きな崩壊
第6集 石油文明の落日
第7集 砂漠か洪水か
第8集 電子社会の孤独
第9集 兵器の反乱
第10集 声明の黙示録
エピローグ 悪魔の二者択一を越えて
…である。


しかし、氏の制作した番組が他の人と違うのは、タイトルだけの話ではない。プロ棋士たちの戦いを描いた、能條純一のマンガ『月下の棋士』の中に、こんなセリフがある。

強ェ奴が指すとよぉ、駒が光るんだよ。

そうだ、氏の番組には確かにそんな“光”があった。多分、“本物”が作ったものだけが放つことのできる“光”が。私が氏の番組に見ていたものは、そんな“光”だったのかもしれない。そして、小学生の時に視た『未来への遺産』、大学生の時に視た『21世紀は警告する』、この2つ“体験”は、「私」という人間の深い部分に今も変わらず残っている。

私には、あまり「尊敬している」と言える人がいないのだが、吉田直哉さんは、そんな私が尊敬する数少ない人の1人だった。
──合掌。

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